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#日常組
tagu2026226
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第6話 あなたの隣にいる資格
――あの指輪、とても綺麗ですわね。
庭園でルカの指に輝く指輪を見つめながら、セレスティアは微笑んでいた。
リンデンが、自分以外の誰かに贈り物をする。
それも、あの冷静で他人に関心を示さないリンデンが、自ら選んだものを。
その事実が、どうしても気に入らなかった。
かつて自分の婚約者だった彼が、今では身分も魔力も持たない少年を特別扱いしている。
あの指輪を見るたびに、セレスティアの胸の奥では、黒い感情が膨らんでいった。
「……少し、お話をする必要がありそうね」
彼女は手元の紅茶を置き、侍女を呼び寄せた。
「ルカ様を、私の部屋へお呼びしてちょうだい」
その声は、いつもと変わらず優雅だった。
まるで、何ひとつ問題など起こすつもりはないかのように。
◇
「セレスティア様がお呼びです」
そう告げられたのは、午後の仕事がひと段落した頃だった。
「僕を、ですか?」
「はい。すぐにお越しくださいとのことです」
「……分かりました」
ルカは少しだけ不安を覚えたものの、断るわけにもいかず、案内された部屋へと向かった。
扉の前で一度深呼吸をしてから、そっとノックをする。
「失礼いたします。ルカ・エースです」
「お入りなさい」
中へ入ると、セレスティアが窓際に立っていた。
侍女の姿はない。
「お呼びでしょうか、セレスティア様」
「ええ。そこに立っていてくださる?」
「はい」
ルカは指示どおり、部屋の中央に立った。
セレスティアはゆっくりと近づき、ルカの左手へ視線を落とした。
「その指輪……今日も身につけているのね」
ルカは思わず手を引いた。
「……はい」
「殿下からいただいた、大切なものなのでしょう?」
「はい。僕にとって、とても大切なものです」
そう答えた瞬間、セレスティアの微笑みが消えた。
「……大切?」
静かな声だった。
けれど、その瞳には先ほどまでの優しさなど欠片もなかった。
「あなた、自分の立場を理解しているのかしら」
「え……?」
「あなたは皇太子殿下に仕える側近よ。殿下から特別扱いされることを、当然のように受け入れていい立場ではないでしょう?」
「そ、そんなつもりは……」
「では、なぜそのようなものを身につけているの?」
セレスティアがルカの手首をつかんだ。
「っ……!」
「殿下のお気持ちを利用しているのではなくて?」
「違います! 僕は、そんなこと……!」
「口答えをなさらないで」
鋭い声に、ルカは言葉を失った。
セレスティアはルカの左手を引き寄せ、指輪を見下ろした。
「あなたには、分不相応よ」
「……っ、やめてください」
ルカが手を引こうとした、その瞬間。
セレスティアは指輪をつかみ、無理やり引き抜いた。
「あ……!」
銀色の指輪が、彼女の手の中に収まる。
「セレスティア様、返してください……!」
「返す?」
彼女は冷たく笑った。
「あなたが持っていていいものではないと言っているのよ」
「それは、殿下が僕にくださったものです……!」
「だから何?」
その言葉に、ルカの顔から血の気が引いた。
「殿下があなたにお優しいからといって、何をしても許されると思っているの?」
「そんなこと、思っていません……!」
「ならば、身の程をわきまえなさい」
セレスティアは指輪を手にしたまま、ルカを見下ろした。
「頭を下げて謝りなさい。殿下のおそばにいることを許されているだけの立場だと、よく理解することね」
ルカは動けなかった。
謝る理由が分からなかった。
それでも、逆らえばもっと大きな問題になる。
リンデンに迷惑がかかる。
そう思うと、口を開くことさえ怖かった。
「……申し訳、ございません」
「聞こえないわ」
「申し訳ございません……」
「頭を下げなさいと言ったでしょう」
ルカは唇をかみしめ、深く頭を下げた。
「……申し訳ございませんでした」
その姿を見て、セレスティアは満足そうに目を細めた。
「最初からそうしていればよかったのよ」
そして、次の瞬間。
乾いた音が部屋に響いた。
ルカの顔が横を向く。
突然のことに、何が起きたのか理解するまで時間がかかった。
頬にじんわりと熱が広がっていく。
「……っ」
「これで少しは、ご自分の立場を理解できたかしら」
セレスティアは、何事もなかったかのように手を下ろした。
「殿下には、余計なことを話さないように。あなたのせいで殿下のお立場が悪くなったら、どう責任を取るおつもり?」
「……はい」
ルカは小さく答えた。
怖かった。
痛かった。
それでも、頭の中に浮かんだのは、自分のことではなかった。
――殿下に、知られてはいけない。
これ以上、迷惑をかけたくない。
その一心だった。
◇
「もう、お帰りなさい」
セレスティアが扉のほうを指し示した。
ルカは一礼し、逃げるように部屋を出ようとした。
そのとき、セレスティアの手元から小さなものが滑り落ちた。
カツン、と床に硬い音が響く。
「あ……!」
銀色の指輪が床を転がり、テーブルの下へ入り込んでしまった。
ルカは思わず手を伸ばした。
しかし、セレスティアが先に動いた。
「……邪魔ね」
彼女は指輪を拾おうとしたものの、椅子の脚に隠れてしまったためか、面倒そうに顔をしかめた。
「そんなもの、もう必要ないでしょう」
そう言い残し、彼女はルカの横を通り過ぎた。
「私は用事がありますの。あなたは勝手にお帰りなさい」
扉が閉まる。
部屋にひとり残されたルカは、しばらく動けなかった。
やがて、震える手で床を探り始める。
「……どこに、いったの……?」
指先が床をなぞる。
テーブルの下を覗き込み、椅子の脚の向こう側へ手を伸ばす。
けれど、指輪は見つからなかった。
「お願い……どこ……」
胸が苦しくなった。
あの指輪は、ただの装飾品ではない。
リンデンが自分のために選んでくれたもの。
初めて、自分が大切にされているのだと感じられたもの。
あのときの優しい声も、微かな表情の変化も、すべて一緒に詰まっているような気がした。
失くしたくない。
絶対に、失くしたくない。
ルカは床に膝をつき、必死に指輪を探し続けた。
◇
「ルカ!」
廊下を歩いていたリンデンは、部屋の中から聞こえた物音に足を止めた。
扉の隙間から中を覗き込んだ瞬間、その表情が一変する。
「……何をしている」
床に膝をつき、家具の下へ手を伸ばしているルカ。
頬は赤くなり、目元には涙が浮かんでいた。
「ルカ!」
リンデンは駆け寄り、ルカの腕を取った。
「どうした。何があった?」
「……殿下?」
ルカは驚いて顔を上げた。
その顔を見た瞬間、リンデンの瞳に怒りが宿った。
「その頬……誰にやられた」
「な、何でもありません……」
「何でもないわけがあるか!」
思わず声が大きくなる。
ルカの肩がびくりと震えた。
その反応に、リンデンはすぐに気づいた。
「……すまない。怒っているのは、お前にではない」
声を落とし、ルカの肩に手を添える。
「立てるか。まずは傷を確かめよう」
「で、でも……」
「いいから、こちらへ来い」
リンデンはルカを起こそうとした。
けれど、ルカは床に視線を落としたまま、動こうとしなかった。
「ルカ?」
「……まだ、見つかっていないんです」
「何がだ」
「指輪が……」
その一言で、リンデンはようやく気づいた。
ルカが探しているもの。
床に這いつくばってまで、必死に見つけようとしているもの。
それが、自分の贈った指輪なのだと。
リンデンは一瞬、言葉を失った。
「……指輪を失くしたのか?」
「違うんです。ここに落ちたはずなのに……どこにもなくて……」
ルカの声が震える。
「殿下が、僕のために選んでくださったものなのに……」
ぽたり、と涙が床に落ちた。
「絶対に、見つけなきゃ……」
「ルカ、もういい。私も一緒に探す。だから、いったん立て」
「だめです……!」
ルカは首を横に振った。
「見つけないと……見つけないと、僕……」
「後で探せばいい。今はお前の頬のほうが大事だ」
「でも……!」
「ルカ!」
リンデンの声が部屋に響いた。
「指輪は後で探すと言っているだろう! そんなことより、自分の身体を大切にしろ!」
その瞬間、ルカの動きが止まった。
リンデンも、はっと息をのんだ。
言い過ぎた。
そう気づいたときには、もう遅かった。
ルカはゆっくりと顔を上げた。
その目に浮かんでいたのは、恐怖ではなかった。
悲しみと、申し訳なさと、何かを諦めたような静けさだった。
「……申し訳ございません」
「ルカ、違う。私は――」
「ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした」
ルカは深く頭を下げた。
それから、床に落ちていた小さな埃を払うように、震える手で自分の服を整えた。
「もう、大丈夫です。殿下のお手を煩わせることはいたしません」
「何を言っている?」
「失礼いたします」
リンデンが手を伸ばすより早く、ルカは立ち上がった。
頬の痛みをこらえながら、一度も振り返らずに部屋を出ていく。
「ルカ、待て!」
呼び止めても、ルカは止まらなかった。
扉が閉まったあと、リンデンはその場に立ち尽くした。
床には、ルカが探していた指輪の姿はない。
彼があれほど必死になっていた理由も、まだすべては分からない。
ただ、自分の声に怯えたルカの顔が、頭から離れなかった。
「……くそっ」
リンデンは拳を握りしめた。
あの頬の傷。
怯えた様子。
指輪を失くしたことへの、尋常ではないほどの動揺。
何かがあったのは間違いない。
そして、自分はまた、ルカを傷つけてしまった。
◇
翌朝。
「おはようございます、殿下」
執務室に入ってきたルカは、いつもどおり丁寧に一礼した。
けれど、その声はどこかよそよそしかった。
「……ルカ。頬はどうだ」
「もう何ともございません」
「見せてみろ」
「お気遣いなく。仕事に支障はありません」
ルカは一歩下がった。
リンデンの手が、宙で止まる。
以前なら、頭を撫でれば戸惑いながらも受け入れてくれた。
近づけば、少しだけ頬を緩めてくれた。
今は違う。
ルカは必要なことだけを話し、用が済めばすぐに距離を取る。
その左手に、指輪はなかった。
「……ルカ」
「はい、殿下」
「昨日のことだが――」
「申し訳ございません。これからは、もっと気をつけます」
リンデンの言葉を遮るように、ルカは頭を下げた。
「殿下のお時間を奪わないよう、仕事に集中いたします」
それは、側近としては正しい言葉だった。
けれど、リンデンが聞きたいのは、そんな言葉ではなかった。
「私は、お前を責めたいわけでは……」
「承知しております」
ルカは微笑んだ。
完璧な、側近としての微笑みだった。
だからこそ、リンデンの胸はひどく痛んだ。
ルカはもう、彼に心を開いてくれない。
少なくとも今は。
リンデンは、その理由さえ分からないまま、遠ざかっていくルカの背中を見つめていた。
そしてルカは、誰にも見えないところで左手をそっと握りしめる。
そこに指輪はない。
けれど、あの指輪を失くしたことよりも、リンデンに怒鳴られたことよりも、何よりもつらかったのは――。
大切な人の声を聞いた瞬間、また自分が迷惑をかけてしまったのだと思ってしまったことだった。
もう、これ以上は甘えられない。
もう、これ以上は期待してはいけない。
そう自分に言い聞かせながら、ルカは今日も、リンデンから一歩だけ距離を取った。
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もう、文豪様!(江戸時代辺りの小説家の言い方) 文章能力を…どうか恵んで下さい🙏
この話、すごく切なかったです……。セレスティアの“優雅な微笑み”から一転した冷たい態度、階級と嫉妬が混ざった言葉のひとつひとつが刺さりました。それ以上に、ルカが「迷惑をかけたくない」一心で笑顔を作って距離を置くシーンが胸に来る。指輪を失くしたことより、リンデンの声に怯えてしまった自分自身を責めてしまうところ、もう本当に……。リンデンが叫んだ「自分の身体を大切にしろ」も、届いてほしい言葉だっただけに余計に苦しい。二人とも不器用な優しさを持っていて、それがすれ違ってしまうもどかしさ。続きが気になります。