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ぎょっとして肩を跳ねさせた煌だったが、朱雀は離れるどころか、その高い鼻先を煌の首筋へ深く埋め、逃がさないと言わぬばかりに腕の力を強めた。
「……童。貴様、不思議な香りがするな」
「あぁ!? そりゃそうだろっ! さっきまで路地裏にいたんだよ。つーか! 離れろって!」
首筋に当たる熱い鼻腔の感触に、煌の背中にゾワリと鳥肌が立つ。
必死に引き剥がそうとするが、朱雀は熱に浮かされたまま、夢遊病者のような手つきで頬に触れ――。
至近距離で見る彼の顔は、息を呑むほど美しかった。
仄暗い炎を纏ったような赤い瞳が、熱に浮かされ、獲物を喰らう直前の色香を放って煌を射抜く。
触れ合うほどに近づく、朱雀の熱い唇。
甘く痺れるような香りが鼻腔をくすぐり、煌の意識がわずかに遠のきかけた――その時。
「……っざけんな、このエロジジイッ!!」
脳内の警報が最大音量で鳴り響いた。
煌は、自分を抱き込む朱雀の腕などお構いなしに、最短距離で右拳を突き出した。
「ふざけたことしてんじゃねぇぞ、ボケェッ!!」
煌の渾身のストレートが、朱雀の美しい顎を正確に捉えた。
その瞬間、パキィィィンッ! とガラスが砕けるような硬質な音が響き、煌の拳から弾け飛んだ「怒り」の衝撃波が、部屋中に充満していた禍々しい熱気を一気に吹き飛ばした。
「ぐはっ……っ!?」
神獣にあるまじき情けない声を上げ、朱雀が寝椅子ごとひっくり返る。
お札が激しく舞い、香炉の煙が霧散する。
「ちょっと顔がいいからって、どさくさに紛れて何やってんだクソがっ!! 変態かてめぇはっ!」
肩で息をしながら、拳を握りしめて吠える煌。
すると、床に転がっていた朱雀が、ゆっくりと上体を起こした。
殴られた頬を押さえ、信じられないものを見るような目で煌を見つめている。だが、その瞳からは先ほどまでの濁った熱が消え、驚くほど澄んだ輝きを取り戻していた。
「……ほう。まさか、物理的な衝撃で『穢れ』を叩き出すとは。……面白い、実に面白いな童は」
朱雀は口角に溜まった血を親指で拭うと、先ほどまでの「ぐったり」が嘘のように、軽やかな動作で立ち上がった。
その全身から放たれる気配は、もはや「病人」のそれではない。
「す、朱雀様!! 大丈夫ですか!? 今しがたの爆音は一体――」
「……確信した。こやつはただの紛れ込みではないな。……わしを導く『案内人』だ」
「はぁ? ガイドだぁ? 変な二つ名つけんじゃねぇよ!」
「お、お待ちください朱雀様! この『悪魔の申し子』は、今まさに貴方様の尊顔を汚したのですよ!? 今すぐ捕らえて地下牢へ――」
「静遠、黙れ。貴様の目は節穴か?」
朱雀は冷徹な、だがどこか愉快そうな声で側近を黙らせた。
先ほどまでの気だるさはどこへやら、朱雀は悠然とした足取りで、警戒を緩めない煌の周囲をぐるりと回る。
「お前も見ただろう? 殴られた衝撃で、わしの身体に澱んでいた穢れが霧散した。……可憐な巫女の祈りよりも、この童の拳の方が、よほどわしの『火』を揺り動かすようだ」
「っつーか、さっきから勝手に『童』だの『ガイド』だの……。俺には煌って名前があんだよ! あと、そのニヤついたツラもやめろ。また殴られてぇのか?」
煌は拳を突き出したが、朱雀はその拳を優雅に避け、ふわりと煌の背後に回って耳元で囁いた。
「煌……か。良い名だ。……煌、そなたをこのまま帰すのは惜しくなった。わしの『案内人』として、この国を蝕む穢れを、その拳ですべて叩き出してみせよ」
「おいっ、なに勝手に決めてるんだ! 俺はさっさと帰って、後輩ボコった他校の奴らを――」
「帰るための『証』が必要なのだろう?」
涼しげな流し目でそう言われ、煌は言葉に詰まった。
こいつの言う通りだ。この「証」とやらをむしり取らない限り、あのドブ臭いけど落ち着く裏路地には戻れない。
「……っ、それは、そうだけ……」
「ならば、わしを納得させてみよ。わしの内側に溜まるこの不快な穢れを、その拳ですべて叩き出してみせると。……それとも、ただの虚勢か? 実は自信がないのか?」
朱雀はふっと口角を上げ、挑発的に目を細めた。
その「いかにも人を食ったような」小馬鹿にした態度に、煌の脳内で何かがブチ切れる音がした。
「あぁ!? 誰に向かって言ってやがる……。いいぜ、やってやるよ! その代わり、全部終わらせたらソッコーで証とやらを寄こせ! 1秒でも遅れたら、その綺麗なツラ、原型留めねぇくらいにリフォームしてやっからな!!」
啖呵を切る煌の背後で、朱雀は「……くっ、ふふ。実に良い返事だ」と、愉快そうに肩を揺らした。
その様子を、数歩離れた場所で見ていた静遠と呼ばれた神官は、ガタガタと震える手で懐から小瓶を取り出した。
「あ……ああ……。主君は暴君に、巫女(仮)は蛮族に……。悪夢だ、これは救いようのない悪夢だ……っ」
静遠は天を仰ぎ、胃薬の錠剤を手のひらにぶちまけると、祈るような手つきで一気に口へ放り込んだ。