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「なあ、燕花。前から思ってたんだけどさ……この屋敷、鳥の置物ばっかだよな。趣味悪くね?」
召喚されて一週間。
煌は、朱塗りの鳥の像がずらりと並ぶ廊下を歩きながら、あからさまに顔をしかめた。
赤い羽根、金の瞳。どれも今にも鳴き出しそうなほど精巧で、通るたびに背筋がむず痒くなる。
「なっ、なにを無礼なことを!」
隣を歩く燕花が、慌てて像の頭を押さえた。胸元まで垂れた黒髪がさらりと揺れ、その隙間から銀白の“角”がちらりと覗く。
一瞬、灯の反射かと思ったが、煌は眉をひそめた。
――あれは、確かに角だ。
大学生くらいの見た目なのに、それが当たり前のように頭についている。
この一週間、目覚めてから眠るまで、食事の世話に着替えの手配、この世界の右も左も分からない煌の「これなんだ?」という質問攻めにも嫌な顔ひとつせず付き合ってくれているのが、この燕花という少女だった。
人の姿をしているくせに、どう見ても人間ではない。
煌は改めて、ここが本当に異世界なのだと痛感する。
燕花は手を止め、わずかに眉を寄せた。声の温度が一段下がる。
「朱雀様の御姿を“趣味悪い”などと……そのような言葉、あの御方の耳に届かぬよう祈るばかりですわ」
その眼差しには、一瞬だけ熱を帯びた炎が宿る。
しかしすぐにいつもの穏やかな微笑みに戻り、彫像のほこりを払った。
「これは朱雀様の御姿を模した聖像でございます。南の護り神たるお方の威光をお忘れなく。朱雀様は四神の中でも随一の実力を誇る御方――本来は、この像のように神々しくあらせられます」
「へぇ、あの変態……いや、朱雀って鳥なんだ?」
煌は片眉を上げ、像の翼をつんと突いた。
「派手なだけで、焼き鳥にしたら小骨すげー多そうだけどな」
「焼き鳥、とは……」
燕花は息を呑み、それから深くため息をついた。
「童殿、軽口ばかり叩いておりますと神罰が下りますよ?」
「神罰ねぇ? んなもん怖くもなんともねぇよ。やれるもんならやってみろっての!」
「ふふ、それこそ無謀というもの。いまだ私に一本も取れぬ方が、朱雀様に敵うとでも?」
「うっ……それ言うなって……」
一蹴され、煌は苦々しく唇を引き結んだ。
三日前。朱雀の傲慢な態度に堪えかねた煌は、「一発殴らせろ!」と啖呵を切り、中庭で殴りかかった。
だが燕花どころか朱雀にも掠りもしなかった。
結果は惨敗。
指一本、袖ひとつ触れさせることなく、風のような身のこなしですべてをいなされ、最後は首筋を軽く突かれただけで全身の力が抜けた。
あのとき、煌は痛感した。
――“弱っているはずの朱雀”の、底知れなさを。
「アイツ、本当に弱ってんのか? なんかの間違いじゃね?」
「いいですか、童殿。朱雀様はこの国の結界を支える守護獣――センチネル。その魂はあまりに巨大で、繊細なのです。末端の穢れならともかく、御身の奥に沈んだ澱みは、特別な方法でなければ払えません」
「特別な方法? なんだよそれ。高い薬とかか?」
何気ない問いに、燕花の頬がぱっと紅潮した。
慌てて扇子で胸元を隠し、視線をそらす。
「そ、それは……その……巫女様と朱雀様が、肉体を通じて……より深く、魂を“交わらせる”ことで……」
「…………は?」
煌の思考が止まった。
「魂の交わり? 交わりって……どういう意味だよ?」
「そんなこと、わたくしに言わせないでくださいまし!」
燕花はみるみる顔を真っ赤にして扇子をあおぐ。
その羞恥に満ちた仕草が、煌の頭の中で最悪の連鎖反応を引き起こした。
――朱雀の熱い胸板。指先に伝わった体温。
あのとき押し付けられた距離感と、言葉にできぬ息の絡まり。
嫌な形で、すべてが線で繋がってしまう。
背筋に冷たい汗が流れた瞬間、煌は数秒フリーズし――
ふっ、と憑き物が落ちたように表情を緩めた。
「……そっか。そっかそっか」
まるで他人事のように、遠い目で頷く。
「巫女ってのも大変なんだなぁ。あんな変態を相手にしなきゃいけないなんて。その……なんだ、心から同情するよ。頑張れよ、いつか現れるその巫女さん」
完全な現実逃避だった。
あまりにも不都合な真実を前に、煌の脳は鮮やかに“理解しない”という選択をした。
己がその“巫女様”であるという現実を、全力で他人事にすり替えながら。
「……何を仰っているのですか。その巫女様とは、貴方様のことではありませんか」
燕花の声が、冷水のように響いた。
微笑すら浮かべぬその表情が、静かに、だが容赦なく煌を射抜く。
哀れみと確信の色が、その双眸に同居していた。
「――だから! 俺は違うっつってんだろ!」
声が裏返る。
「どこをどう見たら俺が巫女に見えるんだよ! そもそも男だっての! 巫女っつったら、おしとやかでキラキラしてる“女”のことじゃねぇか!」
自分でも何を否定しているのか分からない。
だが、否定せずにはいられなかった。
脳のどこかが悲鳴を上げている。
――認めたら、戻れなくなるぞ、と。
しかし――
「いいえ」
燕花は一歩進み、淡々と告げる。
「貴方様は、薬師たちが数年かけても癒せなかった朱雀様の穢れを、祝詞も捧げず、触れるだけで鎮められた。完全ではなかったにしろ、それは奇跡そのもの。……間違いなく、朱雀の巫女様でございます」
その声には敬意と、ほんのわずかな震えが混じっていた。
煌は思わず数歩あとずさる。
(……クソ。否定しきれねぇのが一番腹立つ……)
確かに、心当たりはあった。
庭の隅で蠢いていた黒いモヤ――『穢れの残滓』とやらを、「うっとうしい」と一発殴り飛ばしたとき。
本来なら触れることすら禁忌とされるそれが、拳に触れた瞬間、水が乾くように霧散したのだ。
あのとき感じた、妙に清々しい感覚。
あれが「浄化」だというのなら――自分には、その力がある。
だが、それとこれとは話が別だ。
「と、とにかく! 俺は無理だっ! 巫女だかなんだか知らねぇけど、他を当たってくれ! この世界に女くらい、いくらでもいんだろ!?」
なりふり構わず背を向け、廊下を駆け出す。
だが、曲がり角を抜けた瞬間――空気が変わった。
鼻の奥を焼くような、甘ったるく腐敗した臭い。
「……なんだ、これ」
足元の絨毯が黒く焦げ、その先で神官が一人、壁際に崩れ落ちていた。
白い法衣の下から這い出す黒い靄。
瞳は虚ろで、瞼の裏には不気味な黒い脈が走っている。
「ひ、ひぃっ……来るな……! 穢れが……!」
空間が歪み、闇の腕のようなものが神官へと伸びる。
それを見た瞬間、煌の身体は考えるより先に動いていた。
「たく、なんなんだよ。クソが!」
迷いのない右ストレートが、闇の“芯”を捉える。
空間を裂くような衝撃音とともに、黒い靄は光に焼かれ、一瞬で霧散した。
「…………っ」
呆然と立ち尽くす神官の傍らで、煌は自分の拳を見つめる。
ただの一撃。
だが手のひらには、何かを芯から焼き払ったような熱い余韻が残っていた。
認めたくはない。
――だが今、確かに。
「あり得ない……。神官たちが命懸けで封じる穢れの残滓を、拳一つで……」
回廊の陰でその光景を目撃した神官長・静遠は、震える手で懐から丸薬を取り出し、水も飲まずに噛み砕いた。
この一週間、煌が「物理」で怪異を解決するたび、彼の胃薬の消費量は加速度的に増えている。
「童殿……! それ以上、近づいては――って、あら?」
追いかけてきた燕花の叫びと同時に、突風が吹き抜けた。
廊下全体が緋色の光に満たされ、渦を巻くように収束し――
ふわり、と一枚の羽が舞う。
朱を溶かしたような光の羽。
重さもなく、火の粉が形を結んだように、煌の拳の上へ落ちてきた。
「……なんだ、これ」
手のひらで弾けた瞬間――背後から熱が包み込む。
「っ――!」
振り向くより早く、逞しい腕が背中に回った。
炎の匂い。柔らかくも、焼けつくような熱。
振り向かなくても分かる。
「やはり、お主は面白い」
耳元で、低く甘い声が鼓膜を震わせた。
逃げる間もなく、朱雀の掌が煌の拳と、心臓の裏側を撫でるように包み込む。
背骨を伝って脳まで焼かれそうな、圧倒的な体温。
「て、てめっ、なにして――」
「動くな。まだ穢れの残り香がある。……よくも無防備に触れたな」
朱雀の熱が流れ込んだ瞬間、煌の全身が内側からざわりと波立つ。
拳に残っていた澱みが、煌自身から溢れ出した眩い赤光に焼かれ、一瞬で蒸発した。
まるで朱雀の熱が“導火線”となり、煌の力を強制的に引き出したかのように。
「……やはり、間違いない」
朱雀は満足げに目を細め、首筋に鼻先を寄せて低く呟く。
「わしの熱を流すだけで、これほど光る。お主の魂は、やはり儂の命と響き合っておる。――炎に愛された巫女は、この男で間違いない」
「……知るかよ、そんなこと!」
煌は腕の中で必死に身をよじる。
「巫女って呼ぶなっ! だいたい俺が殴ったから消えたんだろ! お前の熱とか関係ねぇっての!」
「ふっ、威勢が良いではないか」
朱雀は肩をすくめ、愉しげに笑う。
「よし、決めたぞ。――都へ行く。その『物理』とやらがどこまで通じるか、儂が直々に確かめる」
「はぁ!? 勝手に決めんな、くそジジイ! 俺は行かねぇからな!」
廊下に怒声が響く。
その喧噪を遠くに聞きながら、静遠は震える手で本日五錠目の丸薬を口に放り込んだ。
――朱雀の巫女。
数百年ぶりに現れた希望の光は、彼の胃壁を破壊するには十分すぎる劇物だった。