テラーノベル
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その夜から、ハリーは妙に夜の城を歩くようになった。
本人は見回りのつもりではなかった。
誰かに頼まれたわけでもない。
ただ、寝つけない。
目を閉じるといろいろな声が近すぎて、じっとしていると胸の奥がざわつく。
だから歩く。
冷たい石床を踏む。
人気のない階段を上がる。
窓の外の夜気を見下ろす。
そうしていれば、少しだけ、自分の内側の音が薄まる気がした。
でも、それだけではないことを、ハリーは二日も経たずに悟った。
自分は探しているのだ。
ドラコを。
あの夜、古い教室の中で杖を落とし、何もない場所へ怯えた顔を向けていたドラコ。
昼間の平気な顔の下に、ああいう時間があると知ってしまった。
知ってしまった以上、見なかったことにはできない。
自分でも嫌になるくらい、気になっていた。
三日目の夜、ハリーはまたあの教室の前へ行った。
自分でも半分は馬鹿だと思っていた。
来る保証なんてない。
仮に来ていたとしても、また怒鳴られるだけかもしれない。
それでも、足はそこへ向いた。
扉の隙間から灯りは見えない。
気配もない。
ハリーは少しだけ肩の力を抜き、それでも完全には諦めずに壁へもたれた。
しばらくそうしていた時、不意に、廊下の向こうで足音がした。
静かで、できるだけ音を立てまいとして、それでも少しだけ急いでいる足音。
ハリーが顔を上げる。
ドラコだった。
長いローブの裾を払うように歩いてくる。
ハリーを見た瞬間、足がぴたりと止まった。
数秒、互いに何も言わなかった。
最初に口を開いたのはドラコだった。
「何をしてる」
低い声。
冷たいというより、警戒している響きが強い。
ハリーは少しだけ肩をすくめた。
「別に」
「嘘だな」
「じゃあ、君は何で来たの」
その問いに、ドラコは一瞬だけ言葉に詰まる。
ほんのわずかに視線が揺れ、それからすぐに戻る。
「ここを通っただけだ」
「それも嘘だ」
ドラコの目が細くなる。
「調子に乗るな」
「図星なんだ」
「お前は」
ドラコが少し苛立ったように言う。
「本当に、余計なところばかり見ているな」
その言い方に、ハリーは少しだけ安心した。
このやりとりをしている間のドラコは、少なくとも完全には崩れていない。
「今日も眠れないのか」
ハリーが聞くと、ドラコは露骨に不快そうな顔をした。
だが、それは追い返すための強い拒絶ではなく、触れられたくない場所へ軽く指を置かれた時の反応に近かった。
「お前に答える義理はない」
「僕もだよ」
「何が」
「眠れないの」
その返しに、ドラコは少しだけ黙った。
たぶん、そんなふうに素直に返されると思っていなかったのだろう。
ハリーはその沈黙の間に、壁から離れた。
「別に、無理に話したいわけじゃない」
静かに言う。
「でも、一人よりはましかと思って」
その言葉は、半分以上、本音だった。
自分でも認めたくないが、ここ数日は夜になると少しだけ期待してしまう。
ドラコが来るかもしれないと。
あの教室の扉が開いて、嫌そうな顔をしたまま立っているかもしれないと。
それはもう、救いの形をしていた。
ドラコはその本音を聞いて、ほんの一瞬だけ呼吸を止めたように見えた。
でもすぐにそっぽを向く。
「勝手にしろ」
そう言って教室の扉を開ける。
中へ入る。
そのまま閉めない。
ハリーは数秒、立ち尽くした。
それから、ゆっくり中へ入った。
それが、最初の“許可”だった。
⸻
その夜、二人はほとんど会話をしなかった。
古い机のひとつにドラコが腰を下ろし、ハリーは少し離れた場所の壁にもたれる。
窓の外の月明かりが床へ細く落ちている。
灯りはつけない。
つけると現実味が出すぎる気がした。
ドラコは杖を机へ置いていた。
指先はその近くにあるが、握ってはいない。
ハリーはそれを見て、思わず聞いた。
「今日は使わないの」
ドラコの肩が少しだけ強張る。
「必要ない」
「でも、持ってはきてる」
「……だから何だ」
「別に」
ハリーはそれ以上追わなかった。
追えばまた閉じる。
それが少しずつ分かってきていた。
しばらく沈黙が続く。
意外だったのは、その沈黙がそこまで苦しくなかったことだ。
気まずさはある。
けれど、一人きりの夜よりはましだった。
ハリーは窓の外を見ながら言った。
「君の言う通り、僕は余計な男かもしれないけど」
ドラコは視線を上げない。
「かもしれない、じゃない」
ハリーは少しだけ笑った。
「でも、ここにいると少し楽なんだ」
その言葉に、ドラコの指先がぴくりと動く。
「何が」
「分かんない」
ハリーは正直に答える。
「静かだからかも」
一拍置く。
「君がいるからかも」
今度は、ドラコがはっきりと顔を上げた。
灰色の目がまっすぐこちらを見る。
そこには驚きと、警戒と、わずかな困惑が混ざっていた。
「そういうことを」
ドラコは低く言う。
「簡単に言うな」
「簡単じゃないよ」
「なおさら悪い」
その返事に、ハリーは少しだけ息を吐いた。
ドラコは、自分が思っている以上にこういうまっすぐな言葉に弱い。
たぶん言われ慣れていないのだ。
あるいは、欲しかったのに信じられないのかもしれない。
「……じゃあ言わない」
ハリーは言った。
「でも嘘でもない」
ドラコはそれには返事をしなかった。
ただ、窓の外ではなく、しばらくハリーのほうを見ていた。
その視線の意味は、まだはっきり分からない。
でも少なくとも、追い出す気はないらしかった。
その夜、ドラコの発作は起きなかった。
それでも別れ際、ハリーが教室の扉を閉めようとした時、背中側からぽつりと声が落ちた。
「……明日も来るのか」
ハリーは振り返った。
ドラコは机に腰かけたまま、視線だけこちらへ向けている。
顔は平静だ。
でも、聞いたあとで少しだけ息を潜めているのが分かる。
「君がいるなら」
そう答えると、ドラコは口元を少しだけ引き結んだ。
「勝手にしろ」
またそれだ。
でも今度の“勝手にしろ”は、ほとんど承諾だった。
⸻
それから、夜ごとの時間は少しずつ形を持ち始めた。
最初の数日は、本当にただ同じ部屋にいるだけだった。
ハリーが先に来る日もある。
ドラコのほうが早い日もある。
どちらかが机に座り、もう一人は窓辺や壁際にいる。
会話は途切れ途切れ。
時々、どちらかが短く悪夢の話をする。
あるいは、昼間に誰がどんな顔をしていたか、そんな本当にどうでもいい話をする。
そういうことだけなのに、妙に心が静かになる。
ハリーのほうが、その変化に早く気づいていた。
昼間、授業や食堂の時間は相変わらず落ち着かない。
でも、夜の教室があると思うだけで、一日が少し違う。
そこへ行けば、少なくとも誰かがいる。
しかも自分と同じようにうまく眠れず、平気な顔の裏で何かを抱えている相手が。
それだけで、世界の輪郭が少しだけましになる。
ドラコは最初、そのことを認めようとしなかった。
「お前、最近ちょっとましそうだな」
ある夜、ハリーが何気なくそう言った時、ドラコはすぐに顔をしかめた。
「何を根拠に」
「前より、夜の顔がひどくない」
「お前」
ドラコは低く言う。
「本当に失礼だな」
「でも本当だろ」
ドラコは何か言い返しかけて、やめた。
その沈黙が、逆に答えだった。
実際、少しましなのだ。
悪夢は消えない。
杖を握る瞬間のあの嫌な感じも消えない。
それでも、夜に一人きりで部屋へ戻るより、この教室で少し話してからのほうが、そのあとの呼吸が楽だった。
それを認めるのは癪だった。
でも否定もできない。
ある夜、ドラコは珍しく机ではなく床に座っていた。
背中を壁につけ、片膝を立てる。
ハリーも少し離れたところへ座る。
外では風が鳴っている。
窓の隙間から少し冷気が入る。
しばらく黙っていたあと、ドラコが不意に言った。
「お前、昨日は何で来なかった」
ハリーは一瞬だけ目を見開いた。
昨日は、ロンに半ば無理やり談話室へ引き留められていた。
そのせいで遅くなり、行った時には教室が空だったのだ。
「え」
ハリーは少し間抜けな声を出してしまう。
「君、待ってたの」
ドラコはすぐに顔を逸らした。
「そういう意味じゃない」
「今のは完全にそういう意味だった」
「違う」
低い声。
「ただ、昨日は……」
そこで少し言葉が止まる。
「静かすぎて、気に障っただけだ」
その言い方に、ハリーは思わず笑いそうになった。
でも笑ったらたぶん怒るので、どうにか抑える。
「ごめん」
「謝るな」
「じゃあ、今夜はいるよ」
ドラコはそれには答えなかった。
ただ、壁に預けた肩の力がほんの少し抜けた。
ハリーはその変化を見て、自分の胸の奥が静かにあたたかくなるのを感じた。
必要とされている、とまでは言えない。
でも、いないことで何かが足りなくなる程度には、自分の存在がここへ置かれ始めている。
それはハリーにとって、思った以上に大きかった。
一方のドラコは、その変化に戸惑っていた。
最初は、ただ夜をやり過ごすためだった。
一人よりましだから、それだけの理由でハリーを部屋に入れた。
それが今では、来ないと気になる。
来れば来たで、余計なことを言って腹が立つ。
でも帰ったあとの静けさは、前よりよほど堪える。
どう扱えばいいのか分からない。
ハリーは善人すぎる。
そのくせ、意地の悪いところもある。
こちらの弱いところを見つけるのが妙に早い。
そして何より、一度気にかけた相手へしつこい。
放っておけばいい。
そう思う。
でも、そう言い切るには、もうあの夜の時間が自分の中へ入り込みすぎていた。
ある晩、ハリーが少し遅れて教室へ来た。
雨の匂いを連れて入ってくる。
髪の先がわずかに湿っている。
「外、降ってる?」
ドラコが聞くと、ハリーは扉を閉めながら頷いた。
「少しだけ」
それから、当たり前みたいにドラコのそばへ来て床へ座る。
「君は平気だった?」
その言い方が自然すぎて、ドラコは一瞬だけ答えに詰まった。
平気だったか。
そう聞かれることに、まだ慣れない。
家では体面が先だ。
平気かどうかではなく、どう見えるかが先に問われる。
「……別に」
「それ、平気じゃない時の言い方」
ドラコは顔を上げた。
抗議しかけて、やめる。
たしかに今の自分の声は少し硬かった。
ハリーはそれ以上問い詰めてこなかった。
ただ隣に座り、膝を立てて窓の外を見ている。
その横顔を見た時、ドラコは不意に、口をついて出そうになった言葉に自分でも驚いた。
今日、少しひどかった。
悪夢が。
朝が。
胸のざわつきが。
全部。
でも、さすがにそんなふうには言えなかった。
代わりに出たのは、もっと迂遠な言葉だった。
「……お前は」
ハリーが視線だけこちらへ向ける。
「何で、毎晩来るんだ」
その問いは、責める響きで出したつもりだった。
でも、途中で少しだけ弱くなった。
ハリーは答えるまで少し時間を置いた。
「来たいから」
「意味が分からない」
「僕にも、半分くらいは」
ハリーは小さく笑う。
「でも、来ないと落ち着かない」
その一言が、ドラコの胸へ静かに落ちる。
来ないと落ち着かない。
そこまで言うのか、と一瞬思った。
けれど、よく考えれば自分も似たようなものだった。
ただ認めていないだけで。
ドラコはそこで目を伏せた。
「……馬鹿だな」
「うん」
「否定しないのか」
「君も来てるだろ」
その返しに、ドラコは言葉を失った。
反論しようと思えばできた。
でも、できない。
今のそれは図星だったからだ。
ハリーは少しだけ肩を揺らして笑う。
それが嫌ではなかった。
その夜の終わり際、ドラコは立ち上がろうとして少しだけふらついた。
本当にわずかな揺れだった。
でもハリーはすぐに手を伸ばした。
肩へ添えられる。
支えるというほど大げさではない、でも確かに倒さないための手。
ドラコはその手へ反射的に視線を落とした。
あたたかい。
その温度に、妙に胸が詰まる。
「……平気だ」
そう言いながらも、すぐにはその手を振り払えなかった。
ハリーも無理に離さない。
ただ、ドラコが自分から立て直すまで静かにそこにある。
数秒。
本当に短い時間だった。
なのに、ドラコには妙に長く感じられた。
「もういい」
ようやくそう言うと、ハリーはすぐに手を引いた。
ドラコは何も言わず、扉のほうへ歩く。
でも、手を引かれた肩のところだけが妙に熱かった。
その夜、自室へ戻ったあとも、ドラコはしばらく眠れなかった。
悪夢のせいではない。
杖のせいでもない。
肩へ残った手の熱のせいだと気づいて、余計に苛立った。
一方のハリーもまた、同じように眠れなかった。
肩へ触れたほんの短い時間が、頭から離れなかったからだ。
夜だけの関係は、そうして少しずつ深まっていった。
最初は嫌々だったはずなのに。
最初はただ、一人よりましなだけだったはずなのに。
いつの間にか、二人とも、その時間がない夜を想像するほうが苦しくなり始めていた。
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