テラーノベル
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「はぁ……毒がまわりすぎて、簡単に酔えません」
私は飲み干したワイングラスを手に、テーブルに突っ伏した。
月見里さんは空になった私のグラスにおかわりを注いでくれる。
「時間がかかるだろうから、ゆっくりしていけばいいよ」
結局、彼のおうちでお風呂を使わせてもらい、そのままリビングで酒を飲んでいる。
私は床に敷かれたふしゃふしゃの絨毯の上に座ってテーブルに肘をつき、大変行儀の悪い格好でグラスを傾けている。
対する彼はきちんとソファに座って料理を取り分けてくれる。
皿にはモッツァレラと生ハムのサラダにオリーブとバゲット添え。
唐辛子がぴりっと効いたアラビアータにスパークリングワインがめっちゃ合う。
「簡単なものしかなくてごめんね。出前でも取る?」
「十分です。あんまりお腹すいていないので。ありがとうございます」
とはいえ、しっかりお腹に入れてしまえるのは彼の料理の腕前がいいのと、家事スキルを見せつけられて感動しているせいかもしれない。
ほんのり火照った顔で彼の顔をじっと見つめる。
ああ、本当に顔のいい男だこと。
もう見ているだけで癒されるから十分だよ。
「こうなったのもぜんぶ、自分の責任だってわかっているんです。彼や彼の母から理不尽なことを言われても、我慢しなきゃって謎の根性論がわいて」
私はフォークにパスタをぐるぐる巻きつけながらぼやいた。
「彼の母は、彼が体調を崩したり何かあるとすぐ私の管理ができていないからだって言うんです。すごーく丁寧に長々と説明してくれるんですよ。あなたが悪いのよって」
フォークに巻きつけたパスタを口に入れることもなく、ただため息が漏れる。
「まあ、フツーそれで別れますよね。おかしいと思ったら。でも私、育った環境がアレだから、自分が悪いのかもって思っちゃって」
子ども頃から、母が何か気に障ることがあると私が悪いんだって言われ続けてきた。
原因はよくわからないのに、一方的に責め続けられるとだんだん感覚が麻痺してくるのだ。
いつの間にか子どもの私は考えることを放棄した。
そのほうが穏便に済ませることができるから。
反抗したって相手が逆上するだけで、冷静な話し合いなんてできないのだから。
「でも、今よく考えてみたら、私何も悪いことしてなくない? って思うんです」
「うん。何も悪いことはしていないよ」
月見里さんから穏やかな表情で肯定されたら、とたんに涙がだばだば流れた。
「やば……涙腺、ゆるすぎ……」
ぐしゃぐしゃの顔をさらしたり、ティッシュで鼻をかんだりと、あまりに不格好な姿を見せてしまって恥ずかしい。
けれど、彼は親切にティッシュの箱を「はい、思いっきりかんで」と手渡してくれるので思わず笑いが洩れた。
「変な人」
「そう?」
「かっこつけたりしないんですね」
「かっこつけるよ。女性の前では」
「それどういうことですか? 私は女じゃないってこと?」
「君は特別」
冗談で言ってみたら意外な返事をされた。
酔いがまわってその意味がいまいち理解できなかったけど、なるほどそうか。わかった。
初対面の私がぐずぐずの状態だったから、この人はビジネスモードの私を知らないんだ。
今さら取り繕う必要もないせいか、私も気持ちが楽でいられる。
「私、あんまり人に甘えたことないんです。甘えちゃだめだって刷り込まれてるから。でも……」
おかわりを飲み干してグラスをテーブルに置くと、自分でも意外なほど素直な言葉が口から出た。
「今、とっても甘えたい気分です」
月見里さんはきょとんとした顔をした。
つかの間の無言が続き、ハッとした私は慌てて言い訳を口にする。
「ごめんなさい。冗談。忘れてください」
「いいよ」
耳を疑うような言葉が彼から発せられて、思わずじっと見つめてしまった。
彼は冷静な顔でこちらを見つめている。
「い、いや……えっと」
自分で言っておきながら猛烈に恥ずかしくなった。
すると、彼はまさかの両手を広げてみせたのだ。
「はい、おいで」
「えっ……?」
「来ないならこっちから」
「あ、あの……」
それはあまりにスムーズな動きだった。
彼はまったく遠慮なく、さらりと恋人にするように、私の腕を引いて自分に抱き寄せたのだ。
「や、まなしさ……」
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「ファーストネームで呼ぶことを許可しよう」
「はい?」
何を言っているんだろう、この人。
それにこの体勢……。
彼は私を抱きかかえたままソファにもたれ、私は上から抱きつく格好になった。
「君の泣き顔、わりと好きだな」
「何言って……ひゃっ」
彼は私の髪を撫でながら指先で耳を触った。
ぞくりとして思わず変な声が洩れてしまった。
やっぱり手馴れているところが遊び人な気がする。
「ねえ、呼んでみて。千秋って」
「いきなりそんなの……」
「紗那」
突然名前呼びされてどきりとした。
同時に顔が燃えるほど熱くなった。
これはきっとお酒による相乗効果に違いない、と思いたい。
「あなたやっぱり、傷心の私をからかって楽しんでいるのね」
「まさか。真面目に君をなぐさめているつもりだよ」
体が熱くてドキドキが止まらない私に対し、彼は涼しい表情をしている。
それがまた、妙に腹が立つ。
だけど、悪くない。
それどころか、最高に心地いい(酔ってるせいだきっと)
「このあいだの続き、する?」
「え、このあいだって……」
彼は言葉にすることなく、ただじっと私を見つめる。
言わなくたってわかる。
ホテルに行ったあの夜の続きだ。
今の私は一応フリーの身だし、なんら問題ない。
だけど、こんな負の感情いっぱいでそんなことをしていいのだろうかと思ってしまう。
「早く言って。ほら」
「何を……」
「名前」
そんなふうに言われたら余計に言えない。恥ずかしい。
「名前とか、別に、関係なくないですか?」
「あるよ。君を抱いているあいだ名字で呼ばれたくない」
「だっ……!?」
もうだめだ。
完全にやられている。
傷心の状態でお酒を飲んではいけなかった。
だって、私の心はもう彼に持っていかれてしまったから。
「紗那」
彼は私の髪をかき上げながら顔を寄せて、私の耳もとでわざとささやくように名前を言った。
もうこれは、卑怯としか言いようがない。
耳に触れる吐息とともに、甘い声で声を吹き込まれたら、脳の奥まで刺激される。
体がぞくぞくする。
瞬く間に女をその気にさせる。
彼はやはり遊び人なのかもしれないと勘ぐってしまう。
たぶん私は真っ赤な顔で彼を見つめているだろう。
アルコールの力じゃなくて、彼の甘美な言動のせいで。
「千秋さん」
「はい」
「あなたのせいです。こんな気持ちになったのは」
「うん」
「責任、とって」
彼はにっこりと笑って静かに答えた。
「もちろん」
彼は私の頭を掴んで唇をふさいだ。
それは強引なようで、意外なくらい優しい感触だったからびっくりした。
けれどそれよりも心地よくて、一気に雪崩のようなキスの嵐に酔いしれた。
せっかく作ってくれた料理が食べられなくなったけど、なんかもうそれどころじゃなかった。
このあいだはひとりで眠ったキングサイズのベッドで、今はとなりに男がいるのが不思議でたまらない。
別れたばかりなのに、これっていいのだろうか。
いや、別れたのだからいいだろう。
そんな相反する気持ちが交互に押し寄せて妙な背徳感を覚える。
私はこの状況を最大限に利用して彼とぴったりくっついて眠った。
それこそ恋人同士みたいに腕にしがみついて体をくっつけて頭を預けて。
そうしたら彼は優しく私の髪を撫でてくれて、心地よくて。
ああ、私はこういうことをされるのがたまらなく好きなんだなあって思った。
元彼の一方的な行為にいつも苦痛でたまらなかったから、触れ合いはそんなに好きではなかったのだけど、悪くない。むしろ、すごくいい。
私はまどろみの中でふと感じたことを口にした。
「なんだか不思議。つい最近出会ったばかりなのに、まるで同期くらい長く一緒にいる感じがする」
「……同期か」
彼は少し不満そうだ。
それがおかしくてつい笑った。
「だって運命を感じたなんて言ったら重いでしょ?」
冗談で言ったのに、彼はまたぼそりと意味深なことを口にした。
「それでいいのに」
「ん……?」
何を言っているのだろう?
やばい、だめだ。眠くなってきた。
あまりにも気持ちよくてもう無理。睡魔降臨。
意識が途切れる寸前に彼は何か呟いた。
「俺は……」
え? 何……聞こえない。
そのままどっぷりと眠りに入ってしまった。
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