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「はあ」
思わずため息が漏れて、淹れたばかりのコーヒーの湯気が揺らめいて風に溶けていった。
2階のバルコニーからは、秋の日差しに照り返す新車が見える。
「似たような車ばっかり作りやがって」
言いながら、得意げに並ぶ車たちを睨む。
上から見ると、燃費を気にして作っているせいか、どれも風の抵抗を受けない流線型で、同じように見える。
こんな似た車ばっかり、同じような色で作るメーカーはどうかしてる。
店から黒田支店の店長である宮内が、客と何か談笑しながら出てくる。
そしてこんな同じ車ばっかり馬車馬のように売ってくる営業たちはもっとどうかしてる。
イベントサポートで裏から見ている眞美は、営業の本性なんて嫌なほど知っている。
「そんなこと言ってくれるの佐藤さんだけですよ~。ええ!ご来店お待ちしてますからね!!」
言った営業が、指で電話を切ったあと、寸分も違わないような内容で他の客に電話を掛ける。
「ああ、そうなんですね、じゃあ、今回は新しい車を買わないで、車検を通すってことで。ーーーいえいえ、いいんですよ。それが一番タイミング的にはいいのかもしれませんし。車検を当社で受けてくれるだけで僕は嬉しいので」
そう言って電話を切った途端、受話器をデスクにたたきつける。
さらに「事故れ!!」と吐き捨てる。
周りの営業も店長も、咎めるどころかその営業の肩を叩き、「次だ次」と慰める。
電話口の向こうの客の抱える気持ちや、未来に対する考え方や、どんな人生を送るかなんて、何も考えてない。
彼らには、車が売れるか、売れないかしか頭にない。
宮内が客が運転する車を、道路に誘導している。
「ほら、見てなさいよ」
誰もいないのに、眞美は呟いた。
「客を見送った後、やれやれって顔するから」
流れる車の切れ目を見つけて、宮内が道路に出る。客の車が無事道路に合流すると、歩道に戻って深く頭を下げる。
眞美は客の車を目で追った。
300メートルほど進んだ車が、信号で右に曲がる。
それでも宮内は顔を上げようとしない。
「おーい。客、曲がりましたよぉ」
到底聞こえない声で呟く。
宮内はやっと頭を上げた。
客の車はもうとうに見えない。
「ほらほら。“営業”が“ただの人間“に戻るぞー」
言いながら手の中のコーヒーを一口飲む。
うんざりした顔をして。
ため息をついて。
時には唾まで吐いて。
その姿に自分たちは、幾度も失望してきた。
“こんなやつらが車を売った金で、生かされているのか”と。
親にも友達にも言ってある。
「車を買うときはTOYODA自動車だけはやめたほうがいいよ」
しかし宮内は、客の車が去ったT字路を見ると、ふっと笑った。
そしてとっくに車は見えないのに、その無人のT字路に、もう一度軽く頭を下げた。
(————まあ、世の中には例外つうのがつきものよね)
朝陽を浴びて眩しそうに眼を細めた宮内を見下ろす。
その視線に気が付いたのか、彼がバルコニーを見上げる。
「おお、お疲れ!」
麻里子とは違う意味でよく通る声で手を上げる。
「今日なんかは、外でコーヒー飲むの、気持ちよさそうだな」
そのすがすがしい笑顔を見ていると、先ほどまでの自分の周りに漂っていた毒が浄化されていくような気がする。
(宮内店長か)
その整った顔を見る。
(独身時代、凄くモテたって話も、まあ、分からなくはないかな)
愛想笑いを返していると、
「宮内店長もどうですかぁ?」
すぐ後ろから声がした。
驚いて振り返ると、そこには少し長めのくせ毛を、朝陽に照らした綾瀬が立っていた。
「そうだな。今度な」
宮内が微笑みながら、店舗に戻っていく。
どうやら初めから眞美にではなく、綾瀬に話しかけていたらしい。
振り返って軽く睨むと、
「あちっ」
綾瀬はカップにつけていた唇を離して、わざとらしく熱がって見せた。
「栗山さんって、よくバルコニーでコーヒー飲んでますよね」
言いながら、綾瀬は女の子のように両手でカップを包んだ。
「そうね。一人になりたいときはたまに来るかな」
嫌味で言ったつもりだったが、言われた綾瀬はにこにこと笑いながら、「なるほどぉ」と返した。
(なんでこいつって語尾伸ばすんだろ。気持ち悪いんだけど)
思いながら、カップに残ったコーヒーを一気に飲み干す。少し喉が熱かったが、どうでもいい。
こんな男と二人きりでいられるのを見られたら、何を噂されるかわかったもんじゃない。
飲み干して、硝子戸に手をかけたところで、
「あ!!」
綾瀬が声を上げた。
「何?」
眉間に皺を寄せて振り返ると、綾瀬はニコニコと笑った。
「今日、水曜ロードショーで、『父さん、お帰り』って映画やるんですよ」
「ーーー10月3日だから?」
「正解!父さんの日」
(———くだらねー)
呆れてドアノブに手を伸ばすが、
「知ってます?二谷監督の」
声が追いかけてくる。
「知らないけど?」
仕方なく振り返る。
「じゃあ、観たほうがいいですよ、絶対!感動しますから」
「ーーーー」
(うち、母子家庭だから父さんいないんだけど)
喉元まで出かかった言葉を飲み込む。こんな奴に言ってもしょうがない。それどころか知られるのも、反応されるのも癪に障る。
(ん?まてよ。10月3日?)
「あ!!」
今度は眞美が声を上げた。
慌ててドアノブから手を離し、コーヒーカップを綾瀬に押し付ける。
素直にそれを受け取った彼を見ずにポケットからスマートフォンを取り出す。
「———どうしたんですか?慌てて」
綾瀬が覗き込んでくるが、角度を変えて見えないようにする。
「親の誕生日だった。明日…」
言いながらも画面では、ECサイト“ジャングル”で、必死にギフトを検索する。
検索ワード=“70代女性、プレゼント”
『首マッサージ器』……だめ。ババ臭い。
『目元エステ アイウォーマー』……まあ、悪くないけど。要らなかったら邪魔なだけだし。
『安眠枕』……ムリムリ。枕にはこだわりがある人だから。
『シルクストール』……………。
悪くない。
上品で華やか。かつ高級感溢れる光沢。色もピンクゴールドで普段はもちろんフォーマルなシーンでも活躍しそうだ。
(う。7900円…)
高いが、そこは独身貴族の意地を見せることにする。
眞美は購入ボタンを押した。
届け先を今まで何度も送っている実家に指定する。
よかった。
明日までに間に合う。
ほっと胸を撫で下ろして、ため息をつくと、大人しくカップを二つ持った綾瀬が微笑んだ。
「親にプレゼントですか?優しいですね」
他意のない素直な笑顔に、どっと疲れがわく。
「ありがとうございます」と言いながらカップを受け取った。
「砂糖とミルク、コーヒーにいつも入れるんですか?」
綾瀬がそのままの笑顔で聞いてくる。
「え、ええ。甘くないと飲めないの。コーヒー」
言うと、綾瀬は少し真顔に戻り、呟いた。
「勿体ないなぁ…」
「?何がもった―――――」
ガチャッ。
聞き返そうとしたところで、バルコニーのドアが開いた。
「いたいた、栗山さん」
総務部の課長が手招きをする。
「来年から新しい制服になるから、サイズ合わせするって言ってたでしょ?急いで。今、みんな着てるから」
(げ……)
すっかり忘れていた。そんな行事があったんだった。
失敗した。
他の女性社員が集まる前にどうしても済ませたかったのに。
慌ててバルコニーを出ようとすると、綾瀬が眞美のカップを、優しくその手から奪った。
「洗っときますよ、栗山さん」
その笑顔にまたイラっとする。
「そりゃどーも」
言うと、眞美は総務課長に続いて、バルコニーを出た。
スカートに収まりきらなくて、ポコンと出ている腹の肉をさすりながら。