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あの日、俺は聖母マリアに出会った。教会のステンドグラスから降り注ぐ光を纏った彼女の姿を求めて、今日も教会の扉を潜る。
あの日は朝から弟が俺の言いつけを守らなかったのか、ただ俺の機嫌が悪かったのかは覚えていないが玄関で手元にあった木製の靴べらを手に取って妹弟を打った。何度も打つと靴べらが割れたので、そのまま投げ捨てて玄関を出た。門扉の前にいつも通り部下がゾロゾロと立っていた。何も言わずに歩を進めると後ろをぞろぞろと付いてくる。
日曜礼拝に訪れた教会はいつもよりも人が多かった。たまに医者がやってきて、無償で診察やら治療を行っている。今日もその日だった。チッと舌打ちをしながらざわつく教会の奥へ進む。いつも通り膝をついて懺悔を始める。
教会の隅で浮浪者や小さい子供連れの若い女などが列を作って順番を待っている。何度か遭遇した光景だが、その日はいつもと違っていた。
以前見かけた時は胡散臭いジジイの医者が診察していたが、その日は若い女医だった。
真っ白の白衣をベールのようにひらめかせながら、いつ風呂に入ったかもわからない汚い老人にも、泣き叫ぶ煩いガキにも同じように優しく笑いかけていた…。ステンドグラスの青色が僅かに白衣に反射して、神々しく彼女を包み込んでる。緩く巻かれた髪を掻き上げると、自分よりも幼いのではないかと思うような顔が見えた。童顔を隠すように引かれた口紅は彼女のハイヒールと同じく綺麗な赤色だった。ステンドグラスに描かれた聖母マリアも神の慈愛を示す赤い衣を纏っていた。
礼拝を済ませたが、この光景をもう少し見たいと少し離れた椅子に腰を下ろした。部下達も何も言わずに2、3列後ろの席に座ったようだ。真っ直ぐに正面のキリスト像に顔を向けるが、意識は視界の端に捉えた彼女に集中していた。
そんな俺の穏やかに流れる時間は勢いよく開いた扉の音に邪魔された。
邪魔者に怒りを滲ませた視線を向けた。そこには子供を抱いた男が焦った顔で立っていた。男の足に縋り付きながら泣き叫ぶ少女。男は女の子を引きずるようにしながら、人混みをかき分けて彼女の方に一目散に向かっていった。
「ここで子供を診てくれるんだろう!早く診てくれ!!」
男は列に並ぶ人達を蔑むような目で見ながら、列の最前まで進むと彼女に言い放った。
「金なら出してやる!!先に診ろ!!」
彼女の顔から笑みが消えた。
表情を落としたまま彼女は男が抱いていた少年に視線を移す。少年を男から抱き取ると、簡易の簡易ベッドの上に寝かせる。寝かされた男の子は口から泡を吹いて痙攣していた。その様子に男の態度にざわついていた周囲も口を噤む。
彼女は黙って少年の診察を始める。少年の服を脱がせた彼女の手が一瞬止まった。
服の下には真新しい痣だけではなく、時間が経って黄色く変色した痣や古い傷が無数に付いていた。決して見えるところではなく服に隠れる処にばかりある傷が示すのは……虐待。
「………何があったんですか?」
診察を続けながら視線だけを男に向けて、彼女は声を震わせて問いかけた。
「…息子がこけて、床にぶつかったんだ」
「ちがぅぅ!!!おにぃ…ちゃ……ぶたれたのー!!!」
「煩い!だまれ!!外で騒ぐなと言ってるだろう!!」
男の足元の少女が泣きながら叫んだが、その声は男の手に持っていた鞄によって振り払われた。
男のセカンドバッグが彼女の頬を薙ぐと、彼女は勢いに負けて教会の床に転がった。
彼女は少女の元に駆け寄ると、優しい笑みを浮かべて抱き上げた。ベッドの傍に少女を降ろすと、自分の体で父親を遮りながら少女に尋ねた。
「何があったか教えてくれる?」
「おにぃちゃ…ん…が……ケンカした…って…パパ……が…おにぃ…ちゃ…たたいたの………おにぃちゃん…あーちゃんのこと…助けてくれた……だけなのぉ……」
彼女は泣きじゃくりながらも必死に説明してくれる少女の背中を撫でながら、真剣な顔で話を聞いていた。少女の話に周囲からも鋭い視線が男に突きつけられる。
「お前らには関係ないだろう!家族の問題だ!!!」
男は視線を蹴散らすように言い捨てた。周囲の怒気が上がった気がするが、俺は男の言い分は尤もだろうと思った。
「えぇ、あなたの家族の問題に口出す気はないです。でも躾だっていうなら…物で殴るのは違うでしょう!!!ちゃんと自分の手も痛めて教えるもんでしょう!!!!」
彼女は立ち上がって男の前に立って、そう言い切った。
彼女の言葉が俺の心にも突き刺さり、思わず俯いた。…視線の先には今朝全く痛みを伴わなかった俺の手があった。
「きゃっ!!」
彼女の声に視線を戻すと、携帯を取り出した彼女の手に男が掴みかかっていた。
「早く救急車呼ばないと!!誰か救急車呼んで!!!!」「辞めろ!!!呼ばなくていい!!呼ぶんじゃない!!!」
気付けば椅子から飛び出して、男の手を掴んでいた。
次の瞬間、ボコッと鈍い音がして後ろから掴んでいた男の体が揺れた。
彼女が携帯を持った手と反対の手で男を殴ったのだ……しかも拳で。
「外で騒いだら躾が必要なんですよね」
殴った手を振りながら、彼女は冷たい視線を向けて言い捨てた。
一瞬呆気に取られていた男が正気を取り戻して、彼女に掴み掛かろうと暴れているが、俺が後ろから押さえているので全く届いていない。掴んだ手に少しばかり力を入れると、男は静かになった。
「子供はね…何もわかんないから、大人が教えてあげなきゃいけないの。泣くのだって…思いを全部言葉にできないから。ちゃんと聞いたら、その子は妹守るためにやったことなんじゃないの?間違ったら叱ることも大事だけど……アンタのやってるのは躾じゃない!!ただの弱いもの虐めだから!!!
それでもアンタが正しいっていうなら…
後ろの人の行動も間違ってるんでしょ?正しいアンタの行動を止めてるんだから……この子らにしたのと同じように、そのお兄さんにも躾してみなさいよ!!」
周囲の視線が俺の方に向いた。男も視線だけチラッとこちらに向けたが、反撃の意思は全く無いようだ。
誰かが呼んだ救急車のサイレンが近付いてきた。
彼女は少年を抱き上げると、少女と一緒に扉に向かう。扉の前でこちらを振り返る。
「ほら!!!お父さん、早く!!!」
扉を体で押し開けているから、外の光が差し込んでいる。逆光で彼女の表情は見えないが、こちらを見たまま立ち止まっている。
光に吸い寄せられるように男を引きずって扉に向かう。
…外に出ると太陽がやけに眩しかった気がする。
彼女は救急隊員に少年を引き渡して状態を説明していた。少年が救急車の中に運び込まれると、彼女はこちらに戻ってきて、まだ呆然としている父親の顔を両手で挟んだ。
「お父さん!子供達が待ってるから!!今からちゃんと父親になってね」
彼女は少女を抱え上げて、父親の腕に渡すとそっと背中を押した。
父親の腕に抱かれた少女に手を振り返して、救急車が見えなくなるまで見送っていた。
ふぅーっと息を吐いて伸びをした後、彼女はこちらに向かって深く頭を下げた。
「ありがとうございます。巻き込んでしまってすいません…おかげで助かりました!」
「あっ…いや……俺は………」
「ボス」と部下達が扉から出てきた。入れ替わるように彼女は中に戻ってしまった。
追いかけようと思ったが足が動かなかった。
何度もさっきの父親と自分を重ね合わせていた…。彼女の冷たい視線は、俺の方を向いていたんじゃないか…。俺が柚葉や八戒にしていたことはあの父親と同じだ…。
懺悔すべきは………俺か。
俺も変われば……最後に父親に見せたような…優しい笑みでまっすぐに俺のことを見てくれるんだろうか。
すぐにでも中に戻りたい気持ちを抑え込んで、教会に背を向けたまま歩き続けた。
それからは、俺は行動を改めた。柚葉にも八戒にも手を上げていない。叱るときは口で注意する。どうしても手が出そうになったときは自らを殴って、衝動を抑え込んだ。
日曜が来るたびに教会へ足を運んで彼女を探した。しかし彼女の姿はそれ以降見ることは無かった。
無料診察の日にも以前と同じジジイがいるだけだった。もしかしたら…とジジイの医者に声をかけた。
「前にここに聖母のような女性の医者が来てたんだが、彼女のことを知らないか?」「聖母?そんな奴は知らん」
愛想も全くない言い方に以前の俺なら拳が出ていただろうが、耐えた。彼女に会うために、微笑みかけてもらうために…俺は変わった。
「柚葉ちゃん!あれ?今日は怪我無いね…」「うん、最近アイツ暴力振るわなくなったんだ」
夏頃に偶然知り合った柚葉ちゃん。ちょうど往診の帰りに怪我だらけの顔で道に蹲っていたので、声をかけてちょうど持っていた軟膏をあげたのがきっかけだった。
あまり話してくれないが、多分彼氏のDVにあっているんだろう。柚葉ちゃんは可愛いからもっといい男がいくらでもいるのに…・それでも好きなんだろうな…。
そういう大恋愛なら陰ながら応援しようと、それから何度か会って軟膏とか傷薬を渡している。
「そっか、それは良かったね」「でも、アイツ…たまに……自分のこと殴ってるんだ」「えっ………それは」
そういう性癖に目覚めてしまったんだろうか…。まぁ色んな嗜好の人がいる…けど……柚葉ちゃんも大変だなぁ。
「これ、使ってあげて…」
柚葉ちゃんに使ってもらうはずだった軟膏をそっと渡して別れた。
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