「あのー、なんだかんだで来てしまいましたが。
よく考えたら、私、前から霊は見えなかったので。
あの方がいなくなっても、寂しくないのでは?」
猫に遠くから窺われながら、悠里は言う。
……ここに住んで、奴らをなつかせたくはあるのだが。
もうちょっと近くまで来て欲しい、と猫たちを見ながら、悠里が思っているころ。
七海も同じことを考えていた。
ただし、七海が、
なつかせたい。
もうちょっと近くまで来て欲しい、と思っているのは、悠里に対してだったのだが。
「一ヶ月更新でどうだ?」
「え?」
「アパートは二年契約が多いが。
一ヶ月更新で、ここに住みつづけるかどうか、決めるのはどうだ?」
悠里が身構えないようにか、七海はそんなことを言ってきた。
まあ、今更帰っても。
大家さん、素敵な笑顔で、
「あれからすぐ、次の人、決まったんだよ~」
とか言ってきそうだから、もうあそこには帰れないかな、と悠里は思う。
「では、一ヶ月更新で」
ということになり、悠里は七海に部屋まで荷物を運んでもらった。
屋敷の突き当たりにある、シンプルな家具しかない部屋だ。
もうちょっと狭い部屋にすればよかったな。
その方が落ち着くのに。
適当に選んじゃったからな。
まさか、ほんとうにここに住むことになるとは思ってなかったし、と悠里が思ったとき、
「どんな部屋にしたい?」
と七海が訊いてきた。
「え?」
「お前の住みたい感じの部屋に改装しよう。
俺も手伝うから。
今度の休みまでに、よく考えておけ」
そんなことを七海は言ってくれた。
……何処かで私の声がする。
すぐ近くから聞こえてくる、自分の、
『おはようございますっ』
という声で悠里は目を覚ました。
『ユウユウですっ。
今日も一日、元気に頑張りましょうっ』
あはははははは、という笑い声。
……何パータンかあるけど。
これ、私じゃない、霊の方の声では。
っていうか、あの霊じゃないよね。
北原さんに、霊のものらしき笑い声聞かせたとき、
『笑うかなあ』
とか言ってたけど。
確かにあの人、笑わなさそうだ、と悠里は思った。
あそこ、いろんな霊が住んでるんじゃないだろうな。
一体につき、二千円引きにしたらどうだろう?
とか思いながら、ドアを開けると、左手にある部屋から七海が出てきた。
「おはよう」
とちょっと寝ぼけた感じに言うので、
「そこ、社長の部屋でしたっけ?」
と訊くと、
「いや。
でも、昨日から、俺の部屋にした」
と言う。
「まだ使ってくださってるんですね。
私のおはようの声」
「まあな。
だが、お前が直接言ってくれるのなら、使わない」
「い、言うだけなら別にいいですよ」
よし、言ってみろ、と言われ、職場で朝、出会ったときみたいに、
「おはようございますっ」
と頭を下げてみた。
……これでいいのかな?
と、そっと顔を上げると、七海は笑っていて、
「……おはよう」
と頭を撫でてくれる。
なんなんですか、この感じ……。
朝から、落ち着かない気持ちになるではないですか、やめてください、
と思いながら、七海について、いつも呑んでるダイニングルームまで下りた。
ダイニングの血塗られた椅子で、二人は簡単な朝食をとった。
シリアルと果物の、ほんとうに簡易なものだった。
「お前は朝食手抜きそうだな」
といきなり七海に言われる。
「そりゃそうですよ」
と認めたあとで、悠里は言い訳のように言った。
「みんなも朝は忙しいから、手抜きになるって言ってましたよ」
「それはあれだろ。
普通の女子は身だしなみを整えるのに時間がかかるからだろ?」
お前はかかってないよな?
と暗に言われ、悠里は、ちょっとはねている前髪をそっと手で押さえてみた。
だが、それを見逃さずに七海は言う。
「他の奴が、前髪そんなふうにしてたら。
今日は前髪の感じ変えたのかなと思うところだが。
お前だから、寝癖だろうな。
っていうか、寝癖だよな。
部屋から出てきた瞬間から、それだったもんな」
と言ったあとで、七海は何故か、ちょっと嬉しそうな顔をした。
「なんかいいな。
寝起きのお前を知ってるって」
……いや、それはいいことなんですかね? と悠里は思う。
寝起きから可愛かったり、色っぽかったりする人もいるでしょうが。
私はそのどっちでもないから、どうなんでしょうね……。
「無防備な感じが可愛いとかいうが。
お前の場合は、無防備というより……
雑?」
案の定、およそ、褒め言葉ではないことを言われたが。
それでも、やっぱりちょっと、七海は嬉しそうだった。
なんなんですかね、と思いながら食べていると、
「大きくおなり~」
と植物に水をかける人みたいに、七海は、
「ほら、どんどん食え~」
とシリアルを皿にザラザラッと足してくる。
「そんなに食べられませんよ……」
と言ったあとで、
「あ、でも、そういえば、私、手抜きな朝食でも、一応、栄養バランスには気を配ってたんですよ」
とシリアルの箱を見ながら言うと、それに気づいた七海が言う。
「どうせ、こういう奴とか、健康飲料とかで、よし、栄養とれたっ、とか言ってたんだろ?」
「いえいえー」
スナック菓子でしたよ~という言葉を悠里は飲み込んだ。
ほら、食物繊維やカルシウムが入っているではないですか、最近のお菓子。
急いでいるときは、それらを口に放り込み。
カルシウム、よしっ、とかやっていた。
すべて見透かすように七海はこちらを見ていたが、
「そういえば、ゆうべはよく眠れたか」
と訊いてきた。
「はい。
でも、なんかずっと追いかけられてましたね。
複数のルン○に」
夢の中。
この屋敷の中で、複数の猫ではなく、複数のル○バに追いかけられていた。
「寝場所が変わった不安の現れですかね?
黒い○ンバに追いかけられているとき。
まるで、大量のゴ……に追いかけられてるみたいでしたよ」
朝食の席なので、微妙に言葉を濁しながら悠里は言う。
「まあ、寝場所はこれから整えろ。
どんな感じの部屋にするか、少しは考えたか?」
「……そうですねえ」
ちょっとそこだけは、ワクワクするな、と思いながら、悠里はいろいろ思い巡らせた。
雑誌に出ていた素敵な旅館の部屋を思い浮かべながら、
「和風モダンな感じとかいいですね」
と言って、
「何故、完全洋室を選んだ……」
と言われる。
まだ時間があったので。
二人でああだこうだ言いながら、大きめのタブレットや雑誌を見て、理想のインテリアを探す。
「こんな感じ、いいですよね」
と悠里が指差したのは、旅館の一室だった。
「こっちもいいぞ」
と七海が指差したのは、リゾートホテルの一室だった。
「……もう、どこかへ泊まりに行ったらいいんじゃないか?」
理想の部屋を作るより、安上がりでは?
と言い出す。
「二人で旅に出た方がいい雰囲気になるかもしれないしな」
……この間、二人で遠出して、博覧会に行きましたが、いい雰囲気になりましたか?
なんか走ったことと、美味しいもの食べたことしか記憶がないんですが。
まあ、あれは日帰りでしたけどね。
「いや、旅に出るより、旅先のような非日常の空間を家に持ち込んだ方が、毎日、いい雰囲気になるかもしれないな」
仕事のときは、即決即断の七海が、かなり悩んだあとで言ってきた。
「二人で旅に出る。
いつも旅に出ているかのような家に二人で住む。
どっちがいい雰囲気になると思う?」
いやそれ、私に訊きますか……?
と苦笑いしながら、悠里は七海の話を聞いていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!