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~副会長(澪)side~
嫌だ嫌だと思いながらも朝は来てしまうもので、結局殆ど眠れなかった。
本当なら今頃、学園に向かって、生徒会室で全員が揃うのを待っていた頃だろう。そして、その後バスに乗って遊園地へ向かうはずだったのだ。
……なんて考えてしまうのは未だに諦めきれていないのかもしれない。どうにもならないことなのだから気持ちを切り替えなければ、また色々と言われてしまう。
スーツに着替え、荷物を持って食堂へ向かう。そこには父さんと慧兄さんがいた。新兄さんは会議があると言っていたから家を出たあとだった。
「随分と遅いな。慧は食事を終えて待っているぞ。早くしろ」
「……申し訳ございません」
家を出るにはまだ時間はあるけれど、父さんは慧兄さんよりも遅く起きてきた事に不満があるらしい。
確かにいつもより少し遅くなってしまったが、そこまで差がある訳では無いと思う。
もしかしたら無意識に小さな抵抗を示していたのかもしれない。しかし、あからさまに態度に出してしまうとどうなるか分かったものではない。最悪、学校にすら通えなくなってしまうかもしれない。それだけは避けなければ……
いつでも慎重に、ミスをしないよう完璧に装って、波風を立てないように息を潜めて……
それがこの家で暮らしていくために私が身につけた処世術だった。
使用人が用意してくれた朝食を口にするが、どうしても喉を通ってくれない。それでも手をつけないわけにもいかず、無理やりにでも胃に詰め込んでいく。
この家での食事を美味しいと思ったことがない。学園で生徒会のメンバーで食べているご飯の方が美味しい……
半分食べたところで遂に胃が食べ物を受け付けなくなってしまった。
気づいたら父さんも慧兄さんもいなくなっていた。残すのは申し訳ないけれど無理に食べて吐くよりはマシだろう。
「澪様。慧様がお車でお待ちです」
「わかりました。すぐに向かいます……ご飯、残してしまって申し訳ございません」
「いえ、構いません。もし量が多いようでしたら次から減らしますがいかがいたしますか?」
「……ではお願いしてもいいでしょうか?」
「承りました。それではいってらっしゃいませ」
カバンを受け取り慧兄さんが待っている車へ乗り込んだ。私が乗ったのを確認すると車はゆっくりと走り出し、今日予定されている視察先へと向かった。
「おい、あまり俺をイラつかせるなよ。ったく……新なら気を利かして視察先の状況とかを教えてくれるのにお前は何もしないんだな。少しは役に立とうとか思わないのか?」
「……申し訳ございません。えっと……今日行くのは……」
「はぁ……もういい。言われてからやるような奴の話なんて聞きたくない。黙って自分で確認でもしてろ。俺は俺で確認する」
「……かしこまりました」
車の中は苦痛でしかなかった。この空間にいることが耐えられない。早く時間が過ぎればいいのに……
車はあっという間に今日の視察先である医療器具開発部の工場に着いた。車を降りて慧兄さんの後に続くと入口では責任者の一人が出迎えてくれた。
工場の中を周りながら現在の生産状況や不備な点がないか確認していく。
「そういえば、今日は新様はいらっしゃらないのですね」
「新は急な会議が入った。代わりに今日は狩野がついてる」
「なるほど……狩野(かりの)さんはこちらの工場にいらっしゃるのお久しぶりですよね。何か気になった点などありますか?」
『狩野』
それが今の私の名前だ。
「そうですね……私からは特に。皆さんはプロフェッショナルですからその腕を信用しております」
「これはこれは……お褒めに預かり光栄です!ではその期待を裏切らないようにさらに精進しなければですね!」
誰も疑いなどしない。狩野が偽名であるなんて……まさか伽々里家に三男がいるなんて思いもしないのだろう。それほどまでに隠された存在である『伽々里澪』
私は表舞台には立つことを禁じられた存在。血の繋がった人たちにさえ認められていない人間。
『狩野』と呼ばれる度に、どこにも私が……『伽々里澪』がいないのだと思わずにはいられない……
いっその事、名前なんてなければよかった。そうすればこんな無意味な考えになることもないのに……
それでも『伽々里澪』に縋り付いてしまうのは、私を『伽々里澪』として認めてくれる人がいるから。
あの学園という小さな世界では私を『伽々里澪』を必要としてくれているから……
工場を出た後にも何ヶ所か周り、今日の視察はやっと終わった。
時計を見ると午後5時を過ぎており、オリエンテーションも何事もなければとっくに終わっている時間だった。
既に車に乗っている慧兄さんから早くしろという視線を感じた。
きっと怒鳴られるだけでは済まないとは思うが意を決して私は送りを断り、方向転換をして走り出した。
「澪!どこへ行く!!勝手な行動をとるな!」
慧兄さんが後ろから叫んでいるが聞こえない振りをして近くの駅へと向かった。
幸いにも最後の視察先は最寄り駅から徒歩10分もかからない位置にあるため駅にはすぐ着けた。昨日見ていた資料に最寄り駅が書いてあったのを思い出しながら駅構内へと入っていく。
ところが駅に入ったところで問題が起きてしまった。私がいる駅は特に大きな駅で、各線の乗り換えとして多くの利用がある駅だった。そのため改札口や切符売り場が複数あり、普段電車を利用することなど無いので、どこへ行けばいいのか分からなかった。
駅の入口で立ち止まったままオロオロしている私を見て、通り過ぎる人たちは不審な目を向けてくる。誰一人として助けてくれることは無かった。学園では多くの生徒たちに声をかけられる私でも一歩あそこを出ると肩書きなんて何も役に立たなくなる……
それはあの家での私みたいで、この世界でたった一人取り残されてしまったようだった。
(帰ろう……)
諦めて迎えの車を呼ぼうと駅を出ようとした時……
「おい、ずっとそんなところにいると邪魔になるぞ。少しは端に避けるとかしろよ」
聴こえた声は少し低めの音で、それと同時にふわっと香ったのはタバコの匂いだった。
突然のことに驚いて私は声をかけてきた人を見つめたままになってしまった。
その人は私よりも10cm近くは身長が離れており、グレーの上着に白のシャツを合わせ、髪はワックスでセットしてある。
私が今まで出会ってきたことのない人種だった。どこか怠そうな……でも頼りない感じではなく、これがこの人のスタンスなのだと言われれば『なるほど』と納得できてしまうような人……
「おい!聞いてるのか?端に寄れ!」
急に腕を捕まれ端に連れていかれた。そこで自分がどれだけボーッとしていたのかがわかった。
「全く……そんな小綺麗な格好してあんなとこに突っ立ってたらスられても文句言えないぞ」
「申し訳ございません……ちょっと考え事をしていたもので……」
「はぁ……で?なに考えてたんだよ?」
男に言われさっきまで考えていたことを思い出したが、改めて考えるとこの時間に遊園地に行っても誰もいないし、なにより行って私はどうするつもりだったのか……冷静になると自分の行動が幼稚すぎて呆れてしまった。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございません。もう解決しましたので大丈夫です。それでは失礼します……」
「待て」
歩き出した私を止めたのはまた男の手だった。
「何か困ってたんだろう?ずっとキョロキョロしてたじゃないか。どこに行こうとしたんだ?」
「えーっと……Y駅に行く方法を考えてたんですが行く予定がなくなったので帰ろうかな、と……」
そうだ。今更だ。今行っても何も無い。もう意味が無いんだ……
「平気なフリが悪いわけじゃない。けどそういうフリをしたいならもっと上手くやれ。初対面の俺にすらフリだってわかるってことは、お前と近しい奴なら直ぐに気付くぞ」
「ふ、フリなんて……」
「してないって言えるのか?」
何も言い返せない……
きっと言い返してもこの人を納得させることはできないだろうし、墓穴を掘るだけな気がする。
結局、私は何も言えずに足元を見つめたまま黙り込むしかないのだ。
「……ったく。悪かったな。別にお前を否定してるつもりはないんだ」
「い、いえ……そんな風には思ってないです。私の方こそ申し訳ございません……お気遣い頂いてありがとうございました。そ、それではこれで失礼します」
早く立ち去ろう……これ以上ボロを出すわけにはいかない。私は早口で言うとそっとその場を離れようとした。
しかし、離れようとした私の足は思っていた方向とは全く違う方向へと動き出していた。
何が起きているのかがまだ理解できていないが、わかっているのは私の手を握り、先を歩くのは今まで一緒に居た男だった。
「あ、あの!どこに連れていくんですか!?」
私の質問には一切応えず、男はどんどん進んでいく。思っている以上にしっかりと握られてしまっているため、手を振り解こうにもそれができず、ほぼ引き摺られている状態になりながら男の後をついていく羽目になってしまった。
お互いに会話もないまま到着したのはある路線の改札口前だった。男は近くにあった券売機で切符を一つ買い私に押し付けると、先程の改札口前まで戻った。
「あの……何を?」
「Y駅は二番線から出てるS駅行きに乗って、ここから七つ目の駅だ。大きい駅だから急行でも各駅停車でも何でも止まる。お前が乗り越しさえしなければな」
「なんで……」
「俺はやる前に諦めることだけはしたくない。諦めるなら行動に移してそれでもダメだった時に諦める。お前もまだ可能性があるならまずやってみろ。うだうだ言うのはいつだってできる……まぁ俺の場合はダメでも諦めは悪い方だがな」
『諦めるな』……か。そんなこと思ったことなかったな。
そうかもしれない。いつだって諦めていたのは自分自身なんだ。今までだってきっと、あったはずチャンスを無いものとして扱ってきたのは自分……
そんなことにも気づけないなんて、なんてダメな人間なんだろう……
「……ふっ。気付けたなら何も遅くないぞ。これから始めたっていいんだよ。とにかくまずお前がやるのはY駅に行くことだな。」
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「なんで初対面の私にここまでしてくれるんですか?」
「意味なんてないけど、強いて言うならお前が弟に似てたから……かな。強がってるところなんてそっくりだ。だから礼なんて言うなよ?俺の勝手でここまでしただけだから。それじゃあな」
それだけ言い残すと男はそっと去っていった。本当にお礼を言わせてくれなかった……
けれど何もしないのも落ち着かず遠ざかる背中にそっとお辞儀をすると、私も男が買ってくれた切符をしっかりと握り、改札口を通って教えてもらった2番線へと降りていった。
(そういえばお金……払い忘れてしまったな)
ホームで電車を待つ間、ふとそんなことを思ってしまった。あの場でお金を渡しても受け取ってもらえなかっただろうけど借りっぱなしになるのは嫌だった……
もしまたどこかで会うことができたらその時には切符代を渡して、後はお礼も言いたいなぁ。
きっと今日みたいに「いらない」って言われそうだけど
……
お金とお礼のことで頭がいっぱいだった私は、男の名前を聞くという思考にまでいくことはできなかった。