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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
「え、夏帆ちゃん転勤?」
「うん、二年だけどね」
引っ越し準備や仕事の引き継ぎに追われ、息をつく暇もなかった数週間。ようやく落ち着いた隙を見つけて、久しぶりにバーへ顔を出した。
雅から何も聞かされていなかったらしい玲くんが、グラスを拭く手を止めて目を丸くしている。
当の雅はといえば、カウンターの端で紫煙を燻らせながら、私達の会話を他人事のように聞き流していた。
転勤に伴い、私の部屋は一度解約することに決めた。雅は雅で、店により近い場所へと引っ越すと言っていた。私が二年後に帰ってくることを見据え、二人で内見を梯子した日々は目が回るほど忙しかったけれど、今はようやく穏やかな時間が流れていた。
「この男を野放しにするのはすごく不安なんだけどね。玲くんよろしくね」
「任せて、浮気したらすぐ連れてく」
「本当俺を何だと思ってんの、お前ら」
「下半身に脳みそがある男」
「はったおすぞてめぇ」
そんな冗談を言って笑うと、雅は短くなった煙草を灰皿に押し付け、軽く溜息を吐いていた。
「浮気するならバレないようにしてよね」
「しねぇつってんだろが」
時には最低な手段を選び、私を試すような男だけれど、雅が裏切る様な真似をしないことはわかっている。私を傷つけたり、手放すようなことはしない。
「でも、今も忙しいのにさ、夏帆ちゃんが戻ってきて昇進したら更に忙しくなっちゃうんじゃない?」
「そうなのよね。忙しいのは今はセーブしたいけど、それでも期待される事はすごく光栄だし、仕事も好きだから頑張りたいなって気持ちの方が強いの」
「夏帆ちゃんらしいね」
期待に応えれば、比例して大きな仕事を任せてもらえるし、同期よりも少し多めの給与を支給されている。
最初から出世にこだわっていたわけではないけれど、性別を理由に可能性を摘むのではなく、対等にチャンスを与えてくれるこの会社に、精一杯貢献したいという矜持があった。
「婚期遅れてくな」
「何で彼氏から言われなきゃいけないのよ。はっ倒すわよ」
鼻で笑う雅を睨みつけると、私のグラスが空になったのを察したように、絶妙なタイミングでいつものオレンジカクテルが差し出された。
この味もしばらくはお預けになるのだと思うと、急に少し寂しくなった。こうして気軽に店を訪れ、三人で他愛もない話をする事も、しばらくはお預け。
「お酒を作る腕は良いし、顔も良いし、愛想も良いし、悪いのは性格だけね……」
「殴られたい?」
とても素晴らしい笑顔でDV宣言。警察の方、この女泣かせ犯罪者予備軍の男を今すぐ捕まえてください。
女を簡単に殴りそうな顔をしている辺り、顔で証拠にならないかなんて馬鹿な事を考えながら軽く溜息を吐く。
「まあ、あんたも顔しか取り柄が無くて、貰い手ないだろうから私が捕まえといてあげてもいいわよ」
頬杖をついて上目遣いで見上げると、雅は「生意気」と軽く笑った。
私が雅しか無理なように、雅にも私だけでいてもらわないと割に合わない。物理的な距離は離れても、余所見なんてする暇もないほど、彼の心を私の存在で埋め尽くしておきたい。
そんな私たちのやり取りを見ていた玲くんが、軽く笑いを零した。
「なんだかんだ、お似合いだよね。二人って」
玲くんの言葉に、私と雅は図らずも顔を見合わせる。私はわざとらしく首を傾げてみせた。この男しか無理だと自覚していても、お似合いと言われる事だけは納得がいかない。
「付き合い長いからそう見えるのかしらね。こんなクズとお似合いって言われるのはちょっと……」
「お前本当に俺と付き合ってんだよね?」
呆れ果てた様子の雅を横目に、私は笑ってお酒を喉に流し込む。
こんな風に、可愛くない発言で強がっていないと、胸の奥に潜んでいる寂しさに簡単に飲み込まれてしまいそうだった。
本当は、不安で、堪らなく寂しい。だけど今そんな本音を、認めてしまうと、向こうへ行く決意が簡単に揺らぐ。
だから、思い切り寂しがるのは、向こうに着いて、一人きりになった時でいい。
今、私の弱さを雅なんかに見せてしまえば、この男は間違いなく、私をまともな判断すらできないほどに甘やかしてダメにしてくるだろうから。
コメント
1件
読み終えたよ〜〜😭💕 夏帆ちゃんの強がりと本音のギャップにめっちゃグッときた…「弱さを見せれば甘やかされてダメにされる」って台詞、雅のことよくわかってて切ないし愛おしいよ…! 二人のクズだのDVだの言い合いながらも、玲くんに「お似合い」って言われるシーン、なんかもう尊すぎて叫んだわッッ😇✨ オレンジカクテルをお預けになる寂しさの描写も、日常の温もりが滲んでてじんわりきた…次話も絶対読むね!!🌸