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子供の頃、父親と交わした最後の会話が忘れられない。大人になった今でもよくその夢を見る。
「結人(ゆいと)、いつになったら学校行くんだ」
僕が不登校になって一ヶ月経った頃、ようやく声をかけてきた父親。散々母親に「あなたも結人をどうにかして」と責められて疲弊しているようで、溜息混じりだった。少しは気を遣ってやりたかったが、誤魔化しても状況は変わらないので渋々正直に答えることにした。
「学校でいじめられなくなったら、かな」
「いじめってどんなだ。そんなに酷いのか」
「先生にいじめってギリ分からないレベルの揶揄いかな」
「じゃあ何ともないだろ」
「それでもいじめであることに変わりはないんだよ」
「男のくせにみっともない。そんなんじゃこの先生きていけないぞ」
溜息が好きなのかとツッコみたくなるほど、また深い溜息。母親からも「男なんだからしっかりしなさい」などと何度呆れられたことか。
僕もすっかり呆れていた。理由を隠すのが馬鹿らしくなって、どうせ理解を得られないなら曝け出した方がすっきりできそうな気がして、ナイフで一突きするつもりで告げた。
「僕、男が好きなんだよね」
思ったより長い沈黙があった。
「……それがいじめの原因か」
「うん。気になる男子にラブレター渡したらそいつがクラス中にバラして、一気にいじめの標的にされた。幼稚園の時もそうだった」
今に始まったことじゃないこともアピールしておいた。
「昔から男見る目ないんだ。笑えるよね」
当然父親は笑わなかった。
「それは確かにどうしようもないな」
表情一つ変えず、他人事のような返し方をするのが気味が悪かった。どう見ても親子の距離感ではなかった。
あと、どうしようもないって誰のこと言ってるんだ。僕は少しムキになった。
「だからさぁ、どうしようもない奴らは視界から消すことにしたんだ。学校に行けば嫌でもあっちから邪魔してくるから、こっちから完全に消してやるんだ。これは逃げじゃない、戦略だ。邪魔がない方が勉強に集中できて、良い高校に入る確率も上がるしね。何ならあいつらよりよっぽど頭良いし」
早口で意気揚々とまくし立て、そしてはっきりと告げた。
「僕は間違ってない。そのことを示す為にも、必ず合格して、良い会社に就職して、立派な大人になってみせるから」
我ながら綺麗に演説したつもりだったのだが。どうやら父親は僕の将来より、世間体とやらが気になるようだった。
「お前はこれからも男が好きなのか」
「多分そうだろうね」
「多分ってどういう意味だ」
「万が一女もいけるようになるかもしれないから、そういう意味での多分。でもまぁ多分、確実にないだろうね」
「ないな。……有り得ない」
父親は眉間に手をやった。その有り得ないは『女もいけるようになること』についてだと信じたかったが、どんなポジティブ思考の持ち主でも流石に諦めるくらいの、はっきりとした拒絶だった。
「そう言うと思ったよ」
僕はもはや苦笑するしかなかった。そこで一緒に笑ってくれればマシだったものを、父親はますます冷たい視線を向けてくる一方だった。
「母さんは何て言ってるんだ」
「お母さんには言ってない」
どうせヒステリックに泣き出すから。そう続けようとしたが、遮られた。
「うん、言わない方がいい」
当然の判断だ。だが親がそれを言ったらお終いだろうとも思った。怒りが湧いた。いや、もうずっと前から怒り続けているような気がした。
「言ったらどうなんの」
わざと理由を答えさせた。それが良くなかったのかもしれない。
「多分、離婚だろうな」
思ったより残酷な答えが返ってきた。にもかかわらず、父親はそこで初めて笑った。完全に諦めた様子だった。
僕はとうとう何も言えなくなってしまった。自分がどんな顔をしていたかはわからない。
──それから数ヶ月後、両親は本当に離婚した。
父親は昔から子育てに無関心だったし、母親は何年も前から浮気していた。僕だけに原因があるわけじゃない、そう思いたかったが、回り回って全て自分のせいである気もした。
それでも僕は、自分が間違っているなんて絶対に思いたくなかった。