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秋の始まりを感じさせる気持ちの良いある日の午後、診察を終えて小休止に入っていたウーヴェのクリニックを一抱えもあるような大箱を抱えた大柄な青年がやってきた。
その青年を出迎えたリア・オルガが呆然と彼を見つめるが、視線で促されて我に返ってウーヴェに取り次ぎをし、診察室のプレートが掲げられているドアが開いて出てきたウーヴェを見た青年が、抱えていた大箱を足下に置いてぶっきらぼうな声でお裾分けだと言い放つ。
「お裾分け…?」
「ああ。迷惑でなければ食ってくれ」
その言葉の真意を測りかねたウーヴェがとにかく立ち話をするのも何だと苦笑しつつ本棚の前のカウチソファを掌で示せば、少しだけ助かったと言いたげな顔で青年が頷き大きな身体をカウチに沈めて溜息をつく。
「久しぶりだな、ハーロルト」
「ああ、久しぶりだな」
今年の夏に小さな、それでも自慢気に太陽に向けて頭を擡げる向日葵の写真を送って貰ったが、初心者の割には綺麗に花を咲かせていたという返事がまだだったと首の凝りを解すように左右に揺らした青年、ハーロルトにウーヴェが誉められた嬉しさを少しだけ滲ませた笑みを浮かべて目を細め、今日は一体どうしたんだと問いかけながらリアに人数分のお茶の用意を頼むと、小さなテーブルを挟んだオットマンにもなるチェアに腰を下ろして足を組む。
「うちは花屋をやっているが、従兄が農園をやっている」
そこで収穫されたばかりのリンゴを貰ったが、食べきれないから持ってきたと何でもない事のように告げられて呆然と目を瞠ったウーヴェは、初めてハーロルトと出会った時にも向日葵を貰い、昨年のクリスマスシーズンにはポインセチアの鉢を貰った事も思い出すと同時に申し訳ない気持ちが沸き上がってくる。
「いつも貰ってばかりでは気を遣う。何かお礼をしたいから言ってくれないだろうか」
「気にするな」
「そうは言っても…」
気にするなと言ってくれる朴訥な青年の言葉に食い下がったウーヴェをあまり良くない目つきで見つめたハーロルトは、別に見返りが欲しくてやっているわけではないと呟き、カウチソファの背もたれに腕を回して待合室をぐるりと見回すと、居心地が良いなと声音を変えて囁き、ウーヴェを驚かせてしまう。
「…ここは精神科だろう?」
「そうだが…」
「初めて来たが…意外と居心地が良いんだな」
他の病院では知らないがここは何だかホッとすると呟きながら運んできた大箱を見つめたハーロルトは、初収穫のものばかりだが味は悪くなかったから好きに使ってくれと肩を竦め、更にウーヴェを困惑させてしまう。
出会った当初からファーストネームで良いと言われ、売り物だろう花を贈ってくれる彼の真意が読み取れず、いつかリオンが勘繰ったように自分に対して下心でもあるのかと疑いたくなるのをグッと堪え、本当にどうしてここまでしてくれるんだと問いかけたウーヴェは、ハーロルトの目が意味ありげに細められた事に気付いて小首を傾げて言葉を待つが、次の言葉が出てくると思われたその時、両開きのドアが勢いよく開いて金色の嵐が飛び込んでくる。
「ハロ、リア……って、やべぇ!」
いつもここに来る時は本当にタイミングが良く患者の姿がない時ばかりだったが、今日に限って言えばウーヴェが待合室でお茶をする程の相手が来ている時に飛び込んできてしまった気まずさに顔を引き攣らせた人の形をした嵐は、ウーヴェが眼鏡の下からじろりと見つめてきた事に気付いてそそくさと開け放たれたままのドアを潜って外に出ると、そっと隙間から顔だけを出して窺うような声を上げる。
「あのー……お邪魔しても良いでしょうかー」
人型の嵐-つまりはリオンが初めてここに顔を出した時以来のその遠慮ぶりに、出会った当初のことを思い出したウーヴェが小さく噴き出し、ウーヴェが何を思いだしたのかに気付いたリアも同じように口元に手を宛がってくすくす笑うと、笑われている本人と全く事情が分からないハーロルトの二人が呆気に取られたように笑う二人を見つめる。
「何を笑ってるんだよ、オーヴェ!?」
「……お前が妙な遠慮をするからだろう?」
まだ笑っているウーヴェを睨み付けたリオンがリアも同じ目つきで睨むと、中に入っても良い事を察して開いたドアの間から滑り込み、後ろ手でドアを閉めてカウチソファで振り返って見つめてくるハーロルトに首を傾げる。
「オーヴェ、お客さんか?」
「…向日葵とポインセチアを覚えているか?」
「ああ、うん、覚えてるけど……あ、もしかしてあの向日葵をくれたヤツか!?」
「初対面の人をヤツなどと言うな、バカたれ!」
「ぁう!」
何故か怪しい動きでさささっとウーヴェの背後に回り込んでじっとハーロルトを見つめたリオンだが、苦笑混じりに告げられた言葉にロイヤルブルーの双眸を限界まで見開き、不躾な態度全開で叫んでウーヴェの平手を頭に受けてしまう。
短いがそれでも事実を知らない者にとっては重要な手がかりとなる会話を聞き、今度はハーロルトが驚きに目を瞠って腿の上で拳を握りながらあんたの恋人かと呆然と二人を見る。
「…ああ」
これが、あの日我が儘で子どものような性格をしていると伝えた恋人だとリオンを横目で見ながら伝えたウーヴェは、背後から漂ってくる怨嗟の気配を感じ取りながらも何とか表立っては狼狽する様を見せずにハーロルトに目を細め、もう一度言うがあの時の向日葵をありがとうと軽く頭を下げる。
「…そう、か、そうだったのか…」
「…驚いただろうな」
「ああ、いや…俺の親などは理解出来ないと良く言っているが、別に同性だろうが異性だろうがあんたにあっているのなら構わないんじゃないのか?」
「ハーロルト?」
過去の情景と目の前の光景を照らし合わせながらの言葉のように聞こえ、何を思いだしたんだとウーヴェが苦笑混じりに問いかけると、あんたに相応しいとあの時と同じ言葉を低く告げられて絶句してしまう。
「オーヴェ?」
「…何でもないっ」
ウーヴェが絶句したのを覗き込んだ顔から確認したリオンが、自分たちの関係を彼が知っているという気安さからウーヴェの肩に腕を回して背中にべったりと張り付けば、リアが咳払いをして注意を与えようとする。
「ちゃんと自分に必要なものは理解しているんだな」
「……お願いだからもう止めてくれないか、ハーロルト」
面白そうに呟く彼にウーヴェがげっそりとした顔で懇願し、どうかそれ以上何も言わないでくれと、目尻にぽつんと存在するほくろの周辺をうっすらと赤く染めながら掌を立てて彼に向けると、分かったと鷹揚に頷かれて安堵の溜息を零す。
だが、背中から肩に掛けてべったりと、まるで何かの憑き物のように張り付いているリオンから漂ってくる気配が見事に浮かれていることに内心焦り、眼鏡のフレームを押し上げながら必要なものではないがと極力冷たい声で言い放つと、伝わる気配に何故かは分からないが浮かれ気分だけではなく歓喜が混ざり合い、今にも踊り出してしまいそうな色に変化してしまう。
「…あんた達はリンゴは好きか?」
こんな大箱を運んできた今更だが気になったと頭に手を宛がうハーロルトにリアが目を輝かせて大きく頷いてウーヴェを見つめ、至近距離からも見つめられている気配にウーヴェが咳払いをする。
「…嫌いではないな」
「またまたー!本当は大好きな癖に素直じゃ無いんだからー」
「!!」
取り置きしていたリンゴのタルトを食べただけで口をきいてくれなかったのは何処のどいつだと笑いながら頬を突かれたウーヴェは、ごほんと咳払いをしながら背後に手を回し、触れた場所を思い切り抓って耳元で上がった悲鳴にああうるさいと吐き捨てる。
「ぃでー!」
「…好きならそれで良い。従兄の妻がレシピを同封してくれてある。良かったら作って食ってくれ」
「ありがとう、ハーロルト」
「ああ。…そろそろ失礼しよう」
カウチから立ち上がって一つ伸びをした後で大箱をぽんと叩いたハーロルトは、従兄の妻のレシピで何かを作ったら写真を送ってくれと告げ、立ち上がって見送ろうとするウーヴェに首を振って制止し、二人に対するものとは違う表情でリアに頷くと大股に待合室を出て行ってしまう。
突然花を贈ってくれる事もこうしてリンゴを持ってきてくれる理由も分からずに若干苛立ちを感じるウーヴェだったが、今は理解出来ない事象に対する苛立ちよりも、己の背中にぴたりとくっついている人間に対する苛立ちの方が勝っていて、思わず背後に手を回して再度触れた肌を抓れば、先程と同じように悲鳴が耳元で上がる。
「痛い痛い!オーヴェ、いてぇって…!」
「う・る・さ・い!」
一字一句区切りながらじろりと背後を振り返ったウーヴェは、リアが危機を察してカップ類を手早くトレイに載せて立ち上がったことを視界の端で捉えると、くるりと振り返って涙目になっているリオンを睨み付けるが、その涙目の恋人の表情が一瞬にしてただ不気味としか言いようのないものに変化を果たしたことに気付いて身体を仰け反らせてしまう。
「ほんとーに、俺の陛下は素直じゃ無いんだからなー」
「!!」
素直じゃないお前も好きだが素直になってくれればもっと好きと仰け反るウーヴェに顔を突き出して目を細めたリオンは、瞬時に真っ赤になるウーヴェの唇に小さな音を立ててキスをすると、見事としか言いようのない素早さでその場から飛び退る。
「────っ!!」
「アブナイアブナイ…リア、今日のおやつは何だー?」
キッチンスペースに避難しているリアに陽気な声を放ったリオンは、背後から聞こえてくる地の底を這うような怨嗟の声におそるおそる振り返り、お前に食べさせるおやつなど無いと断言されて眉尻を下げてしまう。
「オーヴェぇ」
「うるさい!リア、リオンには今後ケーキを出す必要は無いからな!」
ウーヴェの怒りの一線を越えてしまった事にリオンが気付き、情けない顔でごめんと謝ってみるが、じろりと睨まれてうるさいと言い放たれてがっくりと項垂れる後ろで、顔だけを出したリアがウーヴェに何かを問いかけようとするが、とばっちりを食らう事に気付いて慌てて無言で何度も頷き、そんな理由で今日からはあなたに食べさせるケーキはないわとリオンの額をぺちりと叩く。
「…そんな事を言うなら俺にも考えがあるからな」
「何だ、どうせロクなものではないだろうが聞いてやる」
お前の頭の中身は食べ物かサッカーしか無いだろうがその頭で何を考えたんだと腕を組んで冷酷な笑みを浮かべたウーヴェは、リオンの顔に再び不気味な色合いが滲み出したことに気付いて眉を寄せ、無意識のうちに両肘をぎゅっと握ってしまう。
「家に帰ったら覚えてろよ、オーヴェ」
「……な、にを…」
「それは家に帰ってからのお楽しみー。せっかくケーキが食えるかなって思ったけど、そろそろ戻らないとやばいから帰るか」
大きく伸びをし、呆気に取られた顔で見つめてくるリアの頬にキスをし、素直じゃない陛下、また後でと同じようにウーヴェの頬にキスをしたリオンは、ウーヴェにこれ以上抓られないようにと素早く身を翻すと、やってきた時同様に嵐のように去っていってしまう。
そんなリオンの姿を見送った二人は、どちらからともなく顔をあわせると同時に溜息を零し、床に鎮座するリンゴが入った大箱を見つめてどうするべきか頭を悩ませるのだった。
窓を開けていれば涼しさよりも寒さを感じる夜風が通り抜けるようになり、つい窓を閉めたリビングで本を読んでいたウーヴェは、サイドテーブルに置いた携帯から映画音楽が流れ出したことに気付き、本を片手に携帯を耳に宛がう。
「はい」
『はい、じゃねぇって、オーヴェ!また本を読んでたのか!?』
「……どうしても読みたい本が…」
小さな声で返事をした直後、顔中を口にして叫んでいる事を如実に想像させる声が携帯から流れ出して顔を顰めつつ耳から遠ざけたウーヴェは、壁の時計を見上げて瞬きを繰り返し、今日中に読んでしまいたい本があったんだともう一度言い訳じみた事をぼそぼそと呟くと、そんな腹の足しにもならない本などどうでも良いから早く開けてくれと怒鳴られて読み切ってしまいたいと思っていた本をソファに投げ出して廊下を足早に進んでドアを開けると、変形した矩形の光の中に不機嫌極まりない顔の恋人が携帯を耳に立っていた。
「ハロ、オーヴェ」
「…あ、ああ、お疲れさ…!?」
お疲れ様と言い切る前にリオンが短く舌打ちをして携帯をジーンズのポケットに突っ込むが早いかウーヴェの顎を片手で掴み、もう一方の手で後ろ髪を掴んでぐいと腕を引いた為、ごく自然とウーヴェの顔が上を向いてしまう。
「リオン…?」
「あー、もー、腹減った!」
今すぐお前を食うと獰猛な獣の顔で宣言されて背中に冷や汗を伝わせたウーヴェだが、リオンの手から逃れる術が見つからずに視線を彷徨わせてリオンの肘を握りしめると、ダンケという言葉が聞こえてきたかと思うと、噛み付くようなキスをされて眼鏡の下で目を丸くする。
「────っ!!」
そのキスはただいまやお帰りのキスに比べればねっとりと深く、下半身に直接響くような熱を持っていて、見開いた目をきつく閉じて眉を寄せ何とか膝が崩れ落ちそうになるのを堪えると唇が離れ、その直後にくすりと小さな笑い声が聞こえて羞恥に顔を染めて抗議の為にそっぽを向こうとするが、顎と後頭部を固定されている以上どうすることも出来なかった。
態度で示せないのならば言葉で示すしかないと腹を括り、いい加減にしろと口を開いた瞬間を狙っていたかのように再度口を塞がれて目を白黒させてしまう。
「~~~~っ!!!」
さっきのキスが子供だましだと言いたげな、夜にだけ見せる貌が至近距離にあり、その貌に二つの至宝のような青い双眸が強い煌めきを発している事に気付いた瞬間、必死になって踏ん張っていた膝が崩れてしまう。
「!!」
「おっと」
膝が砕けるほど気持ちよかったのかと、恐らく男の貌で笑っているだろうリオンの腕に支えられながら肩を上下させたウーヴェは、その笑いに羞恥心を刺激されて顔を赤くしてしまう。
「オーヴェ」
「……うるさいっ!」
「あ、まーたそんな事を言う。────自分の立場が分かってないようだな」
「な、何だ…?」
不気味な笑い声混じりのその声にウーヴェが何かを思い出したらしくリオンの腕の中で身体を仰け反らせ、疲れているのならば早く寝てしまえばどうだと口早に提案をするが、イヤの一言で却下されてしまい、逆にウーヴェがリオンを恨みがましい目つきで睨み付ける。
「クリニックで覚えてろって言ったよな、俺?」
「そ、そうだったか?覚えてないな」
「もうボケたのかよ?ボスより早くボケてどうするんだよ」
「!!」
ただ我が身に訪れるであろう狂乱の時をやり過ごしたいが為に聞いていないフリをしたウーヴェにさばさばした口調で言い放ったリオンは、絶句するウーヴェの腕を掴んでベッドルームに入るとそのままベッドに突進していき、漸く思い出したように抵抗をするウーヴェの身体をベッドに向けて荷物よろしく投げ捨てる。
「こらっ!リオン!」
何があろうとも逃れることの出来ない強い光に見つめられて心身ともに逃げ場を失ったウーヴェが降参だと伝える代わりに目を閉じて両手を肩の高さに掲げて掌を開いてみせれば、眼鏡が奪われる感触が暗い世界で伝わってくる。
その後、まるで羽根が触れるような柔らかなキスをされて目を開き、男の色香を残しつつもいつもの惚れて止まない笑みを浮かべたリオンの顔を間近に認め、掌に重ねられる手をしっかりと握りしめれば、やはり逃げないお前が好きだと告白されてコツンと額がぶつけられる。
「で・も。俺ばっか良い思いするのは気が引けるから、こんなものを用意してみた」
「!?」
リオンがごそごそと箱から取り出したものを自慢気に見せるが、それを見た瞬間にウーヴェが前言を撤回すると宣言してベッドの上で寝返りを打って逃げ出そうとする。
「はいはい、逃げないの」
「まさかそれを…」
「もちろん、使う為に買って来たんだし?」
リオンが嬉しそうにウーヴェに見せびらかしているのは、いつだったかリオンの勘違いからある日突然買い求めてきたものとはまた種類が違うものの間違いなく大人のオモチャで、冷や汗を流すウーヴェの腹に跨がりながら不気味な形に目を細める。
俺だけではなくオーヴェにも楽しんで貰おうと考えた俺は何て優しくて慈悲深い王なんだろうとうっとりと囁やかれて目眩を覚えたウーヴェだが、何が優しく慈悲深い王だ本当に優しいのならばそんなものは使わないだろうと口早に捲し立ててみるものの、にたりと更に不気味に笑われて顔を引き攣らせてしまう。
「お楽しみはこれからだぜ、オーヴェ」
「────っ!!」
リオンの不気味な宣言に反論も抵抗も出来なくなっていたウーヴェは、そっぽを向きながらもとにかく今お前が手にしているものだけは使うなと懇願するが、全く聞く耳を持ってくれない様子のリオンに最早何も言えず、溜息一つで腹を括って瞼を閉ざすのだった。
どちらにとっても信じられないような濃密な時間が過ぎ、肩で息を整えていたウーヴェに覆い被さるように身を寄せたリオンだったが、きつく眉を寄せて目を閉じる恋人の顔を見下ろした瞬間、やり過ぎたかと内心で反省をする。
だがその反面、ついさっきまで己の耳目を楽しませてくれた女でもそうそう拝めないような艶めかしい表情で快感を堪え、早く楽にして欲しいと熱に潤んだターコイズで懇願してくる顔をまた今度も堪能したいと思う気持ちもあり、汗ばむ肩を覆い隠すように被さり、シーツを握りしめる形になっている手に手を重ねれば、じろりと睨まれて無言で肩を竦める。
「気持ちよくなかったか?」
「……うるさい、バカたれっ!」
「もー、素直じゃないんだからなぁ」
さっき使ったグッズのお陰で悲鳴のような嬌声を挙げていたのは誰だと囁くリオンをもう一度睨み付けたウーヴェは、そんなに良かったかどうかを知りたいのならばお前に使ってやる、だから今すぐ尻を出せと告げつつ寝返りを打つが、オーヴェ相手でもそれだけはイヤだとあっけらかんと言い放たれてて珍しく口を尖らせ、青い眼を丸くするリオンの鼻をぎゅっと摘んで悲鳴を上げさせて溜飲を下げる。
「痛い痛い、オーヴェ、ごめーん!」
お願い許して下さい陛下と捲し立てられて溜息を一つ零すと同時に鼻を摘んでいた手を離すとリオンが口を開くが、言葉よりも先に感心してしまう程盛大な腹の虫が悲鳴を上げる。
「……オーヴェぇ、腹減った」
「知るか!」
息も絶え絶えになるまで人を快感の海に沈め、更にその上で食事の用意をしろと言うのかと睨み、腹が減ったのならば適当に食べ物を見つけてこいと吐き捨てて再度寝返りを打とうとしたウーヴェの肩を掴んで顔だけを振り向かせたリオンは、許しを請う顔で腹が減ったと呟き、更に情けなさを煽るように腹の虫も断末魔の声を挙げる。
先程まで見せつけていた狂暴な絶対君主にも共通する男の貌の片鱗すら感じさせない情けない顔に呆れたウーヴェだが、そのギャップに堪えきれずに小さく噴き出して睨まれてしまう。
「……チーズオムレツにハムをいれたもので良いか?」
「あ、それステキかも…!」
ウーヴェの提案にリオンが顔を輝かせるのとほぼ同じに三度胃袋が盛大な悲鳴を上げた為、なるべく早く用意をするが少しだけ時間をくれと告げてリオンの額にキスをし、裸のままでバスルームに向かって程なくしてバスローブを羽織って出てきたウーヴェは、腕に引っ掛けていたリオン専用のバスローブをくすんだ金髪目掛けて投げつけてベッドルームを出て行く。
キッチンでオムレツの用意を始めようとした矢先にリオンがローブの紐を結びつつやってきて、テーブルの上に袋に入れられて山となっているリンゴを発見し、午後の出来事を思い出すと同時に瞼を平らにしてウーヴェの背中を恨みがましい目で睨み付ける。
「どうした?」
「これさぁ…なぁんであいつはオーヴェに花とかリンゴを送り付けてくるんだよ?」
いつかも話したが絶対に下心があるに決まっている、刑事の勘がそう囁いているんだと拳を握って力説するリオンに呆れ返ったウーヴェだったが、微苦笑を零しつつ俺もそれが不思議で仕方がないと肩を竦め、オムレツを作る為の材料を作業台に並べてもう一度肩を竦める。
「本当に不思議なんだ。本人に聞いても気にせずに受け取ってくれとか迷惑なら返してくれればいいとしか言わないからな」
だからあの朴訥な性格の農家の青年が何を思って花だの今回のリンゴだのを持ってきてくれたのかが分からないと小さく溜息を零し、ハムを刻んだ包丁の背で卵の殻にひびを入れてボウルに割り入れていく。
「あ、オーヴェ、卵は3つ!」
「チーズもハムも入るんだぞ、二つにすればどうだ?」
「…ベーグル食っても良いか?」
「じゃあ焼いてくれ。オリーブと塩にするか?」
「うん」
ウーヴェが手際よくオムレツを作る寸前に注文を付ければ別の意見を提案されてしまうが、その言葉の響きが優しかった為にすんなりと聞き入れて半分に切ったベーグルをトースターに鼻歌交じりに放り込んだ手をリンゴの袋の中に突っ込んで無造作に一つを取り出すと、バスローブの袖で表面を軽く拭いてそのままかぶりつく。
途端口の中に広がるまだまだ青い味がするリンゴの酸味とその奥に隠れているような甘みに誘われてもう一口囓り、オムレツを作っているウーヴェの肩に腕を載せて顎を掴んでこちらに向かせると、驚くターコイズを視界の端に捉えながらキスをする。
「……焦げても知らないぞ」
リンゴの甘酸っぱさとそれを遙かに上回るような甘さが感じられるキスをしてくるリオンをじろりと睨み、お前の為の料理なんだからどうして邪魔をしないで待っていられないんだと冷たく言い放つウーヴェに無言で肩を竦めたリオンは、リンゴの味はどうだったと問いかけて唇を舐めてやれば、もう何も言う気力も残っていない顔でウーヴェが溜息をつく。
「さっきの話だけどさ、あいつ絶対にオーヴェに気があるって!そうじゃなかったら昔アリーセに告白して砕け散ったとかさぁ」
「まだ言ってるのか。彼とはたまたま通りかかった畑で知り合ったんだぞ?エリーの知人や友人とは思えないし、そんな偶然はないだろう?」
「んー、でも分かんねぇぜ?」
「スモールワールド現象か?」
「へ?何だそりゃ?」
リオンの言葉に思い当たった仮説を告げると素っ頓狂な声が返ってきた為、最短で6人の人間を介せば知り合いに辿り着くという説を乱暴なほど手短に語ると、リオンが感心したような顔で頷きつつトースターからベーグルを取り出し、オリーブオイルと塩で味付けをしていく。
「出来たぞ」
「美味そうっ!」
壁際のテーブルに二人並んで腰掛け、リオンの為と自分の為にビールを取り出したウーヴェは、食べても良いかと子どものように眼をきらきらと輝かせるその顔と、ベッドの中での絶対君主の顔とのギャップに目眩を感じそうになるが、とにかく自分の一言を待ち構えていることに気付いて無言で掌を見せて促せば、心底嬉しそうにオムレツを食べ始めた為、ビールをグラスに注いで一息に飲み干し、半分近くまで囓られているリンゴを見て先程のキスの感触と甘酸っぱさを思い出してしまう。
自分の思い通りにならなければ一気に機嫌を損ね、その機嫌を直す為に手を変え品を変え己の思うままに好き勝手に翻弄し、満足すれば腹が減ったと宣うまるで本能のみで生きているような恋人の横顔をちらりと見つめ、文句の一つや二つ-だけでは済まない-を言ってやろうかと溜息をつくが、出来たてのオムレツを無心に頬張るその顔を見れば喉元まで出かかっていた文句も解け落ちて消えてしまう。
そしてその代わりにキスをしてきた時に感じたリンゴの甘酸っぱさがより鮮明に思い出され、その味を確かめるようにリンゴを手に取るとリオンが囓った部分の隣から食べ始める。
「…美味いよな、オーヴェ」
「…ああ」
リオンがウーヴェの機嫌を伺うようにそっと問いを発するとリンゴを咀嚼しながらウーヴェが素っ気なく言葉を返すが、確かにリオンが言うとおりに美味しくて、コンポートを沢山作らせようと小さく笑う。
「へ?」
「ベルトランに作らせる。少しホームに持っていってくれないか?」
「……うん。ダン、オーヴェ」
「ああ」
ウーヴェの気遣いに素直に感謝の言葉を告げてその頬にキスをしたリオンは、あっという間にウーヴェがリンゴを食べ終えたことに目を丸くするが、己の恋人の好物だったことを思い出し、リンゴのタルトも食べたいなぁと暢気に呟く。
「…頼んでおこうか」
「へへ、楽しみだな」
オムレツとベーグルを綺麗に平らげたリオンが美味しかったと胃の辺りを撫でた為、ウーヴェがリオンの残っているビールを素早く奪い取って飲み干し、コンポートかタルトになる運命を背負ったリンゴを見つめて期待に目を細める。
「…ホント、楽しみだな」
「そうだな……シャワーを浴びてくるから、食器を洗っておいてくれ」
「…ぅ」
「リーオ」
後片付けはちゃんとするんだと一つ睨み、不満を顔中に浮かべながらもその言葉に従うリオンに苦笑とキスを残してシャワーを浴びる為にベッドルームに戻ったウーヴェは、手早くシャワーを浴びてベッドに一足先に潜り込んで恋人が戻ってくるのを待つが、その口の中には歯を磨いたにもかかわらずに舌が覚えているリンゴの甘酸っぱい味がふわりと広がっているのだった。