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小春
低音 リリナ
131
りと。
5,532
この世界には、異能力者と呼ばれる人々がいる。
炎を操る者。
風を起こす者。
触れた物の記憶を読み取る者。
自分の身体能力を何倍にも高める者。
その力は人によって様々で、同じ能力を持つ者はほとんどいない。
異能力者の多くは、普通の人間に紛れて暮らしている。
学校に通う者もいる。
会社で働く者もいる。
家族を持ち、普通の生活を送る者もいる。
けれど、その裏側には。
異能力者だけで構成された組織も存在していた。
表社会には知られていない。
国の機関でもない。
ただ、それぞれのやり方で人々の暮らしを守るために動いている組織。
そして――
私の父は、その一つを束ねる「長」だった。
母も、異能力者だった。
父も母も、強かった。
だから、幼い頃の私は思っていた。
――私もいつか、能力を持つんだ。
そう信じていた。
でも。
十歳になっても。
十二歳になっても。
十五歳になっても。
私に能力が現れることはなかった。
そして今。
私は十六歳。
結局、一度も能力に目覚めることなく、高校生になった。
それでも私は、普通に生きている。
……そう、思っていた。
*
「遥ー! 起きてー!」
「……あと五分」
「駄目! あと五分寝たら絶対遅刻する!」
「……うるさい」
「ひどい!」
朝から騒がしい。
布団を頭までかぶっていると、勢いよくカーテンが開いた。
「ほら!」
「まぶしい……」
「朝なんだから当たり前でしょ!」
成瀬千秋。
私と同い年の女の子。
そして、成瀬秋斗の双子の姉。
明るくて、元気で、朝から騒がしい。
「遥、起きた?」
その後ろから顔を出したのは秋斗。
「起きた」
「なら早くして」
「秋斗まで……」
「朝ご飯、伊織が作ってる」
「……すぐ行く」
「現金」
秋斗が小さく笑った。
私はベッドから起き上がった。
制服に着替え、リビングへ向かう。
「おはよう、遥」
キッチンから伊織が振り返る。
「おはよう」
「今日はパンとスープ。あと卵焼き」
「ありがとう」
「どういたしまして」
望月伊織。
優しくて、穏やかで、料理が上手い。
そして、私が落ち込んでいるときに何も聞かず隣にいてくれる人。
「遥、髪」
「え?」
皐月が私の後ろに立っていた。
「寝癖」
「……本当?」
「本当」
「直して」
「はいはい」
一ノ瀬皐月。
四人の中では一番しっかりしていて、まるで本当のお姉さんみたいな存在だ。
私は四人に囲まれながら朝食を食べる。
これが、私の日常だった。
私たちは五人で暮らしている。
理由は少し特殊だ。
四人の親も異能力者で、私の父と同じ組織に関わっている。
そして八年前。
母が亡くなったあの日から、父は四人に私の護衛を頼んだ。
最初は「護衛」だった。
でも、十六歳になった今では。
そんな言葉では表せないくらい、私たちは家族に近い関係になっている。
「遥」
「なに?」
皐月が私を見る。
「今日、学校が終わったら寄り道しないで帰ってきて」
「どうして?」
「最近、妙な気配があるから」
千秋の手が止まった。
「……また?」
「昨日も?」
秋斗が聞く。
「うん」
皐月が頷いた。
「父さんから連絡があった。最近、組織の周辺を探っている人間がいるらしい」
「敵組織?」
「まだ分からない」
私は黙った。
異能力者の組織は一つではない。
私の父が率いる組織と、対立している組織もある。
ただし、単純に「敵」と呼べるほど簡単な関係ではない。
どちらも、この地域を守ろうとしている。
ただ、その方法が違う。
だから、衝突する。
私は幼い頃から、それを知っていた。
そして。
母が亡くなった事件も、その組織との衝突がきっかけだった。
「……分かった」
私は頷いた。
「今日はまっすぐ帰る」
「約束ね」
「うん」
*
学校では、いつも通りだった。
「卯月さん、今日の数学のプリント見せて!」
「自分でやって」
「冷たい!」
「ちゃんと授業聞いてた?」
「聞いてたけど分からなかった!」
私はため息をついた。
周りから見れば、私はただの普通の高校生。
成績が少し良い。
真面目。
少し近寄りがたい。
でも話してみると意外と普通。
それだけ。
誰も知らない。
私の父が異能力組織の長であることも。
私の家に異能力者が四人住んでいることも。
そして。
私自身には、異能力がないことも。
「卯月さん」
「なに?」
「これ、落としたよ」
男子生徒が一枚の紙を差し出した。
「あ……ありがとう」
受け取る。
紙には、何も書いていない。
でも。
裏返した瞬間。
小さく文字が書かれていた。
――『卯月遥』
私の名前。
心臓が、一度だけ大きく鳴った。
「……」
誰が。
どうして。
私は周囲を見渡した。
男子生徒はもう別の友達と話している。
私は紙を折り、ポケットにしまった。
その日の昼休み。
皐月にメッセージを送った。
『変な紙を渡された』
数秒後。
『どんな紙?』
写真を送る。
既読がつく。
すぐに返事が来た。
『帰り、絶対一人にならないで』
嫌な予感がした。
*
放課後。
私は四人と合流した。
「その紙、本当に誰から?」
千秋が聞く。
「分からない」
「顔は?」
「覚えてる」
秋斗が周囲を確認する。
「……来る」
「え?」
秋斗が言った瞬間。
校舎の窓が一斉に震えた。
バンッ!
廊下の照明が消える。
「遥!」
皐月が私の腕を掴んだ。
暗闇。
何かが走る音。
次の瞬間、廊下の奥から人影が現れた。
「来たね」
知らない男だった。
制服ではない。
異能力者。
「卯月遥」
私の名前を呼ぶ。
「……誰?」
「君の父親に伝えてほしい」
男が笑う。
「娘を返してほしければ――」
空気が歪んだ。
「待って!」
千秋が能力を発動する。
けれど。
男の姿が一瞬で消えた。
「……!」
「幻影?」
秋斗が周囲を見る。
「違う」
伊織が言った。
「空間そのものをずらしてる」
皐月が私を引き寄せた。
「遥、逃げるよ!」
私たちは走った。
でも。
階段を降りた先に、別の人影がいた。
「……囲まれた」
秋斗が呟く。
人数は四人。
私たちより多い。
「遥は俺たちが守る」
千秋が前に出る。
「絶対に連れていかせない!」
能力が弾ける。
風が廊下を駆け抜ける。
皐月も続く。
伊織が後方を守る。
秋斗が敵の動きを読む。
四人が一斉に動いた。
私は何もできない。
いつもなら。
ただ守られているだけ。
だけど。
「右!」
私は叫んだ。
「秋斗、後ろ!」
秋斗が振り返る。
敵の攻撃をかわす。
「助かった」
「千秋、左!」
「分かってる!」
私は周囲を見続けた。
能力はない。
だからこそ。
誰よりも冷静に、四人の動きを見る。
誰がどこにいる。
敵がどこから来る。
次に何をする。
それだけは、私にもできる。
でも。
敵の一人が私の背後に回った。
「――っ」
腕を掴まれる。
「遥!」
皐月が叫ぶ。
私は振りほどこうとした。
けれど力が足りない。
「離して!」
「悪いね」
男が耳元で囁く。
「君に恨みはない」
次の瞬間。
視界が暗くなった。
*
目を開けると。
知らない部屋だった。
「……ここ、どこ」
手足は拘束されていない。
ただ、扉には鍵がかかっている。
私は立ち上がった。
窓がない。
時計もない。
外の音も聞こえない。
完全に隔離された場所。
「……誘拐、されたんだ」
口にすると、怖くなった。
でも。
泣いている場合じゃない。
私は部屋を調べた。
机。
椅子。
ベッド。
小さな照明。
水。
そして。
壁に、一枚の写真があった。
「……お母さん?」
そこに写っていたのは、幼い頃の私と母。
その隣には、知らない人物がいる。
私は写真を手に取った。
裏側に文字があった。
――『あの日のことを、もう一度考えてほしい』
「……どういう意味?」
扉が開いた。
「目が覚めたか」
入ってきたのは、学校で私を襲った男だった。
「あなたは……」
「この組織の人間だ」
男は答えた。
「君の母親が亡くなった事件について、知っていることがある」
私は息を呑んだ。
「……何を知ってるの?」
「八年前の事件は、単純な襲撃じゃなかった」
「……」
「君の母親を殺すことが、最初から目的だったわけでもない」
頭が混乱する。
「じゃあ、どうして……」
「俺たちの組織は、あの事件をきっかけに君の父親と決定的に対立した」
男は苦しそうに目を伏せた。
「俺たちは、あの事件の真相を知っている」
「だったら教えて」
「そのために君を連れてきた」
「私を?」
「君の父親は聞く耳を持たない」
男は言った。
「だから、君自身に知ってもらうしかないと思った」
「……誘拐して?」
「他に方法がなかった」
「そんなの……」
私は拳を握った。
「理由にならない」
男は何も言わなかった。
*
その頃。
「遥がいない」
皐月の声が震えていた。
「……俺たちの目の前で」
秋斗が拳を握る。
千秋は俯いていた。
「私が……もっと早く……」
「千秋」
伊織が肩に手を置く。
「今は自分を責めるときじゃない」
「でも!」
「遥を取り戻す」
皐月が言った。
「絶対に」
その言葉と同時に、父が現れた。
「……遥は?」
「まだ見つかっていません」
父の顔から表情が消えた。
「相手は?」
「おそらく、あの組織です」
「……そうか」
父は目を閉じた。
八年前。
妻を失った事件。
そして今。
娘まで奪われた。
「場所は?」
「分かりません」
「なら、探せ」
父の声は静かだった。
「必ず見つけろ」
「はい」
四人が動き出す。
伊織が地図を広げる。
「連れ去られたのは、学校からここまでの範囲」
「能力の痕跡は?」
秋斗が聞く。
「少しだけ残ってる」
皐月が目を閉じる。
「空間を歪める能力……なら、遠くへ移動したというより、どこかに隠した可能性が高い」
「じゃあ、地下?」
千秋が言った。
「……ある」
秋斗が地図を見る。
「昔使われていた施設が一つ」
「行こう」
四人は走り出した。
*
「あなたのお母さんは、最後まで君を守ろうとした」
男は言った。
「それは私も知ってる」
「いや」
男は首を振った。
「君が思っているより、ずっと違う意味でだ」
私は黙った。
「八年前、俺たちの組織には命令があった」
「命令?」
「君の父親の組織が、この地域で行っていた活動を止めろ、と」
男は続ける。
「両方とも、地域を守るために動いていた。だが、方法が違った」
私は知っている。
父たちは、人々の生活をできるだけ乱さないことを重視していた。
一方、相手の組織は。
異能力者の存在をある程度利用し、危険の芽を早く摘むことを重視していた。
どちらが正しいのか。
私には分からない。
「そして、あの日」
男が写真を見つめる。
「一人の構成員が、命令を勘違いした」
「……」
「君を狙った」
私は息を止めた。
「本来の命令には、君を傷つけるなんて書かれていなかった」
「でも……」
「そうだ。実際に君は襲われた」
男は目を伏せた。
「そして、君の母親が君を庇った」
私は写真を握りしめた。
知っている。
それは、何度も夢に出てくる。
母が私を庇ったこと。
私が何もできなかったこと。
「……だったら」
声が震える。
「だったら、私が悪かったんじゃない」
「違う」
「私に能力がなかったから」
「違う!」
男が初めて声を荒らげた。
「それは君のせいじゃない!」
私は黙った。
「君のお母さんは、君を守るために動いた。それだけだ」
その言葉が。
父と同じだった。
「……どうして」
「何が?」
「どうして、あなたたちは私にそんなことを教えるの」
男は少しだけ笑った。
「俺にも娘がいる」
「……」
「君くらいの年齢だ」
男は写真を見た。
「だから、君を見ていると……あの事件のことを忘れられない」
敵だと思っていた人の口から。
そんな言葉が出てくるとは思わなかった。
*
ドンッ!
建物の扉が吹き飛んだ。
「遥!」
千秋の声。
「……!」
私は顔を上げた。
皐月。
千秋。
秋斗。
伊織。
四人が立っていた。
「迎えに来たよ」
伊織が笑う。
「……遅い」
私は思わず笑った。
「ごめん」
皐月が私のところへ駆け寄る。
「怪我は?」
「ない」
「本当に?」
「本当」
皐月は私を抱きしめた。
「……よかった」
千秋も駆け寄ってくる。
「怖かった?」
「少し」
「ごめんね……」
「千秋のせいじゃないよ」
秋斗が周囲を警戒する。
「まだ敵がいる」
「分かってる」
伊織が言った。
「でも、まず遥を――」
その瞬間。
別の人物が現れた。
「待て」
低い声。
四人が構える。
私はその人物を見た。
この組織の、上の立場にいる人間。
母の事件を知っている人物。
「もう戦う必要はない」
「遥を返してもらう」
皐月が言う。
「分かっている」
男は私を見る。
「ただ、一つだけ伝えたい」
「……何?」
「君の母親は、最後まで笑っていた」
私は目を見開いた。
「……笑って?」
「怖かったはずなのに」
男は静かに言った。
「それでも君を安心させようとしていた」
母の顔が浮かんだ。
優しい笑顔。
穏やかな声。
そして。
最後の言葉。
『あなたが見ているのは、世界のほんの一部なの』
私はずっと。
その続きを忘れていた。
『大きくなったら、この広い世界で美しいもの、尊いものをたくさん見つけなさい』
それは。
私に生きろと言っていたのかもしれない。
母を失った場所だけを見ていないで。
そこから先へ進めと。
「……ありがとう」
私は男に言った。
「え?」
「教えてくれて」
男は何も言わなかった。
私は四人を見る。
「帰ろう」
皐月が頷く。
「うん」
*
家に帰ると、父が待っていた。
「遥」
「ただいま」
「……無事でよかった」
父はそれだけ言った。
私は父のところへ歩いていく。
「お父さん」
「なんだ?」
「お母さんのこと、もっと教えて」
父は少し驚いた顔をした。
「今まで、聞くのが怖かった」
「……そうか」
「でも、これからは聞きたい」
父は静かに笑った。
「そうだな」
そして。
昔、母がしてくれたように。
私の頭を撫でた。
「いくらでも話してやる」
*
数日後。
私はいつものように学校へ行った。
「遥ー!」
千秋が走ってくる。
「今日帰りにケーキ食べよう!」
「また?」
「いいじゃん!」
「太るよ」
「秋斗!」
「俺に振るな」
皐月が呆れたように笑う。
伊織はそんな私たちを見て笑っている。
何も変わらない。
学校も。
家も。
毎日も。
でも。
私の中では、何かが変わった。
私はまだ、異能力を持っていない。
これからも、持たないかもしれない。
それでも。
もう、それを「何もない」とは思わない。
私には、見えるものがある。
四人が気づかない小さな変化。
誰かの表情。
言葉の裏にある気持ち。
能力を持つ人たちが力で解決しようとする中で、私は別の方法を探すことができる。
それが私にできること。
それが、私だからできること。
「遥?」
「なに?」
「なんか笑ってる」
千秋が不思議そうに言う。
「そう?」
「うん」
私は空を見る。
青い空。
遠くまで続いている。
世界は、私が思っていたよりずっと広い。
まだ知らない場所がある。
まだ知らない人がいる。
まだ見たことのない景色がある。
いつか。
そこへ行ってみたい。
母が言ったように。
この広い世界で、美しいものを。
尊いものを。
たくさん見つけたい。
そしていつか。
母に伝えたい。
――お母さん。
私、ちゃんと見つけたよ。
あの日から続いていた悲しみの中にも。
私を守ってくれる人たちの中にも。
私自身の中にも。
大切なものは、ちゃんとあった。
だから。
もう少しだけ、歩いてみる。
私には能力がない。
でも。
それでも私は、私の人生を生きていける。
「遥、早く!」
「今行く」
私は四人のもとへ走った。
朝の光の中へ。
まだ知らない世界へ。
いつか見つける、たくさんの宝物へ。
――母がくれた、あの日の言葉を胸に。
コメント
1件
「能力がないこと」を「何もない」って思わないって決めた遥ちゃん、本当に強い……。四人に守られてるだけじゃなく、自分の目で敵の動きを見て声を出せたのがかっこよかった。お母さんの最後の言葉も刺さりました。続きはすごく気になるけど、それ以上に遥ちゃんのこれからを応援したくなる第1話でした🤍🥀