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第十三話 王たちの雷霆
冬木の空が、白く裂けた。
夜明け前の薄い空を、雷が走る。
それは自然現象ではない。
雲の摩擦でも、大気の乱れでもない。
命令だった。
空よ、鳴れ。
地よ、震えろ。
人よ、見上げろ。
雷とは、古き時代において神の声だった。
人間がまだ理屈より恐怖を先に覚えていた時代、空から落ちる光は、神の怒りであり、王の証だった。
その雷が、冬木の上に玉座を作っていた。
黒い神杯のさらに上。
雷雲の奥。
白銀の階段が空に現れ、その最上段に巨大な玉座が浮かんでいる。
玉座に座るのは、一柱の神。
雷帝。
ゼウス。
神々の王。
その瞳は雷光を宿し、白い髪は嵐のように揺れ、手には世界を裁く雷霆が握られていた。
彼がそこにいるだけで、空は従う。
雲が道を開ける。
風が傅く。
雷が臣下のように膝を折る。
冬木市全域の魔術師たちは、同時に悟った。
次の層が開いたのだ。
王権の層。
願いを誰が支配するのか。
誰が人を導くのか。
誰が世界に命令する資格を持つのか。
その問いが、神杯戦争の空に掲げられた。
◆
衛宮邸の居間では、凛の宝石板が警告音を鳴らし続けていた。
「雷帝反応、上空で拡大中! 神杯の外殻に王権層が重なってる!」
凛は画面を睨みながら、声を張った。
「しかもこれ、ただの神域じゃない。冬木全域の霊脈に“支配権”を宣言してる!」
士郎は眉をひそめる。
「支配権?」
「王権の層は、願いや霊脈や契約を“臣下”として扱おうとしてる。つまり、ゼウスが神杯を王座として奪おうとしている」
メディアが不快そうに言った。
「神杯の核を支配できれば、全参加者の願いを統制できる。願いを叶えるのではなく、王が許可した願いだけを通す仕組みに変えられるわね」
ジャンヌが顔を曇らせる。
「それは祈りではありません。統治です」
ギルガメッシュは、居間の中央で腕を組んでいた。
その表情は、これまでにないほど不機嫌だった。
「統治だと?」
彼の背後に、黄金の門が一つ開く。
凛が慌てて叫んだ。
「ここで宝具出さないで! 家が壊れる!」
ギルガメッシュは無視した。
「神々の王を名乗る雑神が、我の前で願いの支配を語るか」
エルキドゥが苦笑する。
「ギル、すごく怒ってるね」
「当然だ。王とは所有する者だ。だが所有とは、奪うことではない。価値を認め、記録し、世界に位置づけることだ」
士郎はギルガメッシュを見る。
普段なら聞き流していたかもしれない。
だが今の言葉には、彼なりの王としての筋があった。
アルトリアは静かに立ち上がる。
「王権の層ならば、私も行かねばなりません」
ランスロットがすぐに膝をついた。
「王よ。私もお供します」
アルトリアは一瞬だけ彼を見つめ、それから頷いた。
「頼みます、ランスロット卿」
イスカンダルは、すでに庭で戦車の修復状態を確認していた。
ロード・エルメロイⅡ世は頭を抱えている。
「昨日半壊した戦車を、今日また空へ出すつもりか?」
「無論!」
イスカンダルは豪快に笑った。
「王権を問う戦場に征服王が出ぬ道理はない!」
「道理より安全を優先しろ!」
「安全な征服などつまらん!」
「征服しに行くな!」
リチャード一世も剣を掲げた。
「王の話ならば、私も行く。獅子心王の名を持つ以上、雷の玉座に怯えるわけにはいかない」
凛は深く息を吐く。
「王が多すぎる……」
士郎はイリヤの方を見た。
イリヤは縁側に座っていた。
切嗣と別れたばかりで、まだ顔色は良くない。
それでも彼女は、士郎を見ると小さく頷いた。
「行ってきて、お兄ちゃん」
「イリヤ」
「私は大丈夫。まだちょっとぐちゃぐちゃだけど……でも、切嗣に言ったもん。生きるって」
イリヤは少しだけ笑った。
「だから、お兄ちゃんもちゃんと帰ってきて」
士郎は頷いた。
「ああ。帰ってくる」
その約束を聞いて、アルターエゴが首を傾げた。
彼女にはまだ名前がない。
だが、イリヤは勝手にいくつか候補を考えているらしい。
「帰る、という行為は重要なのですか」
アルターエゴが問う。
イリヤは即答した。
「重要。すごく」
「理由は?」
「おはようとおやすみを言うため」
アルターエゴは数秒考えた。
「理解途中」
「それでいいよ」
士郎はその会話を聞いて、少しだけ胸が軽くなった。
そして、空を見上げる。
雷の玉座が待っている。
◆
王権の層への入口は、冬木市中心部の上空に開いた。
凛の転移宝石とメディアの空間補助、さらにイスカンダルの戦車、ギルガメッシュのヴィマーナを組み合わせることで、一行は雷雲の下層へ到達する。
そこは空であり、同時に玉座の間だった。
雲が床となり、雷が柱となり、星のない空が天井となる。
中央には巨大な円卓があった。
ただし、それはアルトリアの円卓ではない。
王権そのものを問うための、白い石の卓。
その周囲には、無数の空席がある。
英雄王の席。
騎士王の席。
征服王の席。
獅子心王の席。
神々の王の席。
そして、どの席にも座らない者のための、立つ場所。
士郎はそこに立たされていた。
雷雲の上から、ゼウスが降りてくる。
彼の隣には、一人の女性がいた。
銀髪を結い上げ、青い礼装をまとった魔術師。
気品と冷徹さを併せ持つ顔立ち。
右手には雷のような神紋が刻まれている。
エルネスタ・バルトメロイ。
雷帝ゼウスのマスター。
彼女は士郎たちを見下ろし、静かに言った。
「ようこそ、王権の層へ。ここは支配の正当性を問う場所。願いを束ねる者の資格を量る場です」
凛が顔をしかめる。
「バルトメロイ……時計塔の名門が、神を王にして神杯を支配するつもり?」
エルネスタは凛を見た。
「遠坂凛。あなたの家系も管理者なら理解できるはずです。願いは放置すれば衝突する。誰かが秩序を与えなければ、願いは戦争になる」
「だから神に支配させるって?」
「神ではありません」
エルネスタは微笑む。
「王です」
その瞬間、ギルガメッシュが笑った。
冷たい笑いだった。
「聞いたか、エルキドゥ。神を王と呼んだぞ、この女」
エルキドゥは静かに言う。
「怒るのは分かるけど、まず話を聞こう」
「聞く価値があるならな」
ゼウスが雷霆を軽く掲げた。
それだけで空気が震えた。
「英雄王ギルガメッシュ。騎士王アルトリア。征服王イスカンダル。獅子心王リチャード。そして王ではない少年、衛宮士郎」
雷帝の声が層全体へ響く。
「神杯は願いを集める。願いは乱れる。乱れは争いを生む。ならば、王が必要だ」
イスカンダルは腕を組み、笑った。
「なるほど! 願いを束ねる王か!」
ゼウスは彼を見る。
「征服王よ。お前は地を駆け、人々を軍勢として束ねた。ならば理解できよう。王とは、個の願いを大いなる道へ変える者だ」
「ふむ。半分は分かる」
イスカンダルは頷いた。
「だが半分は違うな」
「何が違う」
「余は臣下の願いを奪って道にしたのではない。余の夢を見せ、その夢に乗りたい者がついてきたのだ」
彼は堂々と言った。
「王の夢に惚れた者が軍勢となる。そこに強制は要らぬ」
エルメロイⅡ世は少しだけ驚いた顔をする。
かつて自分も、その夢に乗せられた一人だからだ。
アルトリアが静かに口を開く。
「王は民を守るために在るべきです。願いを支配するのではなく、民が願える明日を守るために」
ゼウスは彼女を見る。
「騎士王よ。その結果、国は滅びた」
空気が凍る。
ランスロットが剣に手をかけた。
アルトリアはそれを視線で制する。
ゼウスは続ける。
「お前は民のために王であろうとした。だが、民も臣下も、お前という王を理解しきれなかった。理想は美しい。だが美しいだけでは王国は保たぬ」
アルトリアの表情は揺れなかった。
「その通りです」
ランスロットが息を呑む。
アルトリアは続ける。
「私の王道は完全ではありませんでした。守れなかったものも多くあります。ですが、それでも私は、願いを奪う王にはなりません」
ゼウスの雷霆がわずかに光る。
リチャードが笑う。
「では私はこう言おう。王とは物語になる者だ!」
凛が小声で呟いた。
「急に雑になった……」
リチャードは気にせず続ける。
「民は王の失敗も成功も語る。王の勇気も愚行も、すべてが後世に残る。だから王は、少なくとも自分の名が誰かの胸を熱くするように生きねばならん!」
ゼウスは目を細める。
「伝説のために王であると?」
「違う。王が本気で生きれば、勝手に伝説になるのだ」
リチャードは剣を掲げた。
「ゆえに、他者の願いを神杯に押し込めて整理するような王は、物語として退屈だ」
ギルガメッシュが鼻を鳴らす。
「退屈どころか三流だ」
ゼウスの視線が英雄王へ向く。
「では英雄王。お前にとって王とは何だ」
ギルガメッシュは、一歩前へ出た。
黄金の鎧が雷光を受けて輝く。
「王とは、世界を見定める者だ」
その声には絶対の自負があった。
「人の願いも、宝も、愚行も、栄光も、すべてを見て、価値を定める。だがな、神の王よ」
王の財宝が背後に開く。
「価値を定めることと、願いを奪うことは違う。我の蔵に宝が入るのは、それが宝であるからだ。雑に溶かして一つの器に流し込むためではない」
ゼウスはゆっくりと頷く。
「なるほど。お前たちは皆、支配を拒む王か」
エルネスタが口を開いた。
「だからこそ、世界は乱れるのです」
彼女の声は冷静だった。
「英雄王は価値を定める。騎士王は守る。征服王は夢を見せる。獅子心王は物語になる。どれも美しい。ですが、美しさは統治の答えではない」
凛が鋭く返す。
「だから神に全部決めさせるって? それこそ魔術師の悪癖よ」
エルネスタは微笑む。
「遠坂。あなたは優秀ですが、地方管理者の視野です。人類全体の願いを制御するには、より大きな王権が必要です」
士郎は、黙って聞いていた。
王たちの言葉。
神の王の理屈。
魔術師の統治論。
どれも大きい。
けれど、士郎にはどうしても引っかかることがあった。
「なあ」
士郎が口を開く。
ゼウスとエルネスタが彼を見る。
「何です、衛宮士郎」
エルネスタが言う。
士郎は問う。
「願いを持ってる本人は、どこにいるんだ」
エルネスタの眉がわずかに動く。
「本人?」
「王が支配するとか、導くとか、守るとか、価値を決めるとか。そういう話は分かる。でも、願ってる本人がいないところで決めるのは違うんじゃないか」
ゼウスの瞳が雷を帯びる。
「人は、自らの願いの重さを知らぬ」
「そうかもしれない」
士郎は頷いた。
「願いは間違う。傷つける。誰かを巻き込む。俺も、たぶん何度も間違えてる」
彼はイリヤを思い出す。
助けたいという願いを押しつけそうになった自分を。
「でも、だからって誰かが上から正しい願いだけ選ぶのは違う。イリヤが生きたいって言った時、それを俺が決めたわけじゃない。ジャンヌが裁きを拒んだのも、セイバーがランスロットを赦したいって言ったのも、アルターエゴが未完成のままでいたいって選んだのも」
士郎は雷帝を見上げる。
「全部、本人の願いだ」
ゼウスは静かに言った。
「ならば、その願い同士がぶつかり、誰かを傷つける時はどうする」
士郎は答えに詰まりかけた。
だが、逃げなかった。
「その時は、話す。止める。戦うこともある。でも、最初から奪わない」
「甘いな」
「ああ」
士郎は認めた。
「でも、願いを奪う王よりはましだ」
雷が鳴った。
王権の層全体が震える。
ゼウスが立ち上がった。
「ならば証明せよ」
雷霆が掲げられる。
「王たちよ。少年よ。願いを支配せぬというならば、支配の雷を越えてみせよ」
◆
神域が戦闘形態へ移行した。
白い石の円卓が砕け、巨大な雷の闘技場へ変わる。
周囲には無数の玉座。
その玉座から、雷の鎖が伸びる。
鎖は参加者たちへ向かって飛ぶ。
凛が叫ぶ。
「気をつけて! あの鎖、霊基や契約を“臣下”として登録しようとしてる!」
鎖がセイバーへ迫る。
ランスロットが斬り払う。
「王に鎖をかけるなど!」
アルトリアは聖剣を構える。
「ランスロット卿、前へ」
「御意!」
二人の剣が雷鎖を斬る。
だが鎖は切られても再び生成される。
イスカンダルの戦車が雷雲を駆ける。
「はっはっは! 王を縛る鎖とは愉快!」
エルメロイⅡ世が叫ぶ。
「愉快じゃない! あれに捕まったら神杯の王権層に登録される!」
「なら捕まらねばよい!」
「それが簡単にできれば苦労しない!」
リチャードは剣で雷鎖を弾きながら笑う。
「空中戦で雷の鎖か! 吟遊詩人が喜びそうだ!」
ジャンヌの旗が白い結界を張る。
凛とメディアは鎖の術式を解析する。
「支配登録、契約上書き、願望優先権の奪取……最悪の三点セットね!」
メディアが吐き捨てる。
「王権というより所有権よ。神杯の願いをゼウスの臣下として再定義している」
ギルガメッシュの王の財宝が一斉に開く。
「所有を語るか。ならば格の違いを見せてやる」
黄金の宝具が雷鎖を撃ち落とす。
だがゼウスが雷霆を振るうと、宝具の一部が雷に弾かれ、地上へ落ちる前に光へ変えられる。
「英雄王よ。お前の宝は強い。だが雷は天の王権そのもの。地上の宝は天命に従う」
ギルガメッシュの額に青筋が浮かんだ。
「天命だと?」
彼の背後に、さらに巨大な黄金門が開く。
「我の宝に命じる者は我のみだ!」
宝具の嵐がゼウスへ向かう。
ゼウスは雷霆を振るう。
雷と黄金が空で衝突し、王権の層が激しく揺れた。
エルキドゥの鎖がゼウスへ伸びる。
神性を縛る天の鎖。
ゼウスほどの神性ならば、本来は強く作用するはずだった。
だが、王権の層の中では違う。
ゼウスの周囲に雷の玉座が現れ、鎖を受け止める。
「神造の楔よ。お前は神を縛る。だが、王座にある神は神である前に王である」
エルキドゥは目を細める。
「神性の上に王権を重ねて、鎖の対象をずらしているのか」
「その通り」
ゼウスが雷を放つ。
エルキドゥは鎖を盾のように広げる。
ギルガメッシュが横から宝具を撃ち、雷を逸らす。
「エルキドゥ、無様に受けるな」
「助かったよ、ギル」
「助けてなどおらん。邪魔だっただけだ」
「うん、そういうことにしておく」
そのやり取りを見ながら、士郎は走っていた。
狙うべきはゼウス本体ではない。
王権の層を維持している玉座。
凛の解析によれば、ゼウスの神域は雷霆、玉座、そして冬木全域の願望反応を臣下として登録する術式で成立している。
つまり、玉座の支配登録を乱せば、神域が揺らぐ。
「士郎!」
凛が叫ぶ。
「右上の玉座! あそこが支配術式の中継点!」
「分かった!」
士郎は投影する。
剣ではない。
鍵でもない。
鎖を外すための楔。
エルキドゥの鎖を完全に真似ることはできない。
神造兵器の概念など、士郎の投影では到底届かない。
だが、形の一部なら。
意味の端なら。
「投影、開始!」
士郎の手に、不完全な楔が生まれる。
それを玉座へ投げる。
雷の鎖が阻む。
アーチャーの矢が横から飛び、鎖を撃ち落とす。
「進め!」
士郎の楔が玉座へ突き刺さった。
瞬間、玉座の雷が乱れる。
凛が叫ぶ。
「一つ止まった!」
ゼウスの視線が士郎へ向いた。
「王ではない少年よ。お前はなぜそこまで願いへ拘る」
士郎は二本目の楔を投影しながら答える。
「願いが、その人のものだからだ!」
「願いは人を滅ぼす」
「だったら一緒に止める!」
「願いは人を狂わせる」
「だったら声を聞く!」
「願いは、世界を壊すこともある」
ゼウスの雷霆が士郎へ向く。
「ならば王が制するべきだ!」
雷が落ちる。
セイバーが間に入った。
聖剣の光が雷を受け止める。
「シロウ!」
「セイバー!」
アルトリアは歯を食いしばりながら雷を押し返す。
「王とは、願いを制圧するために在るのではありません!」
ゼウスが雷霆をさらに強める。
「民の願いに押し潰された王が言うか!」
アルトリアの表情が険しくなる。
だが、退かない。
「だからこそ言います! 民の願いを恐れて奪う王に、未来はない!」
その横を、イスカンダルの戦車が駆け抜ける。
「よく言った、騎士王!」
イスカンダルは剣を掲げる。
「王とは願いを束ねる者。だが束ねるとは、上から縛ることではない! 共に同じ地平を目指すことだ!」
彼の背後に、王の軍勢の幻影が広がる。
雷の闘技場に砂漠の風が吹く。
兵たちは雷鎖に縛られながらも、笑って前へ進もうとする。
ゼウスが眉をひそめる。
「臣下が自ら鎖を拒むか」
イスカンダルは笑う。
「臣下ではない! 余の友であり、余の兵だ!」
リチャードが別の玉座へ飛び込む。
「ならば私も!」
獅子心王の剣が雷鎖を受け止める。
「王の物語は、民が語ってこそ続く! 語る口を支配した瞬間、王は伝説ではなく暴君になる!」
リチャードの剣が玉座の一角を砕いた。
凛が叫ぶ。
「二つ目!」
ギルガメッシュはゼウスと正面から撃ち合っていた。
黄金と雷。
地上の宝と天の王権。
どちらも一歩も退かない。
ゼウスが言う。
「英雄王。お前もまた支配者だろう」
ギルガメッシュは笑う。
「支配者? 違うな」
彼は王の財宝をさらに広げる。
「我は王だ。支配などという小さな言葉で測るな。世界は我の庭であり、人の営みは我が見定める宝。だが、庭の花をすべて同じ色に塗る趣味はない」
ゼウスの雷霆と、ギルガメッシュの宝具群が激突する。
その衝撃で、三つ目の玉座が揺らぐ。
エルキドゥの鎖がそこへ滑り込み、玉座を縛る。
「ギル、今」
「分かっている!」
乖離剣ではない。
ギルガメッシュは一本の黄金剣を放つ。
玉座が砕けた。
凛の声が響く。
「三つ目破壊! 神域支配率、低下してる!」
ゼウスの表情が初めて険しくなる。
エルネスタが神紋を掲げた。
「雷帝、神紋起動を許可します」
凛が叫ぶ。
「来る! 神紋ブースト!」
エルネスタの魂が雷へ変換される。
彼女は苦痛に顔を歪めながらも、膝をつかない。
「王権を完成させなさい、ゼウス。願いを管理できる唯一の玉座を」
ゼウスは雷霆を高く掲げた。
「神紋、承認」
空が開いた。
雷がすべての方向からゼウスへ集まる。
玉座は一つに統合され、巨大な雷の王冠となった。
ゼウスの背後に、神々の王座が顕現する。
「神器完全開帳に至らぬ範囲で、王権神域を第二層へ移行」
雷帝の声が響く。
「雷霆王座――ディオス・バシレイア」
雷の王冠から、無数の光が降る。
それは攻撃ではない。
命令だった。
全員の頭上に、小さな雷の冠が現れる。
凛が悲鳴のように叫ぶ。
「まずい! あれ、霊基と契約を王権下に登録する冠! 被ったら一時的にゼウスの臣下扱いになる!」
セイバーが冠を剣で弾く。
ランスロットが自分と王の冠を斬り払う。
イスカンダルは笑いながら冠を拳で砕く。
ギルガメッシュは言うまでもなく、冠が近づいた瞬間に宝具で粉砕した。
「我に冠を授けるだと? 笑わせるな」
だが、すべては防ぎ切れない。
王権の冠は数が多すぎる。
ジャンヌの旗が仲間を守る。
メディアと凛が術式で冠を逸らす。
エルキドゥの鎖が複数の冠をまとめて縛る。
それでも一つ、士郎の頭上に落ちてきた。
セイバーが間に合わない。
アーチャーの矢も届かない。
士郎は見上げる。
雷の冠。
それは彼を王にするためではない。
臣下にするための冠。
願いを王権に登録し、衛宮士郎の「助けたい」という願いをゼウスの管理下へ置くためのもの。
冠が触れる寸前。
士郎は自分の胸に手を当てた。
投影する。
王冠を壊す剣ではない。
王冠を拒むための、名もない布。
冠を被らない者の頭に巻く、ただの鉢巻のようなもの。
不完全で、武器ですらない。
だが、それは士郎らしい投影だった。
「俺は王じゃない」
士郎は言った。
「誰かの願いを支配する資格なんてない」
雷の冠が、彼の投影した布に触れる。
冠は一瞬、意味を失った。
王でも臣下でもない者。
支配もしないし、支配されるためにも立たない者。
ただ、願いを返すために走る者。
王権の層が、その存在を分類できずに揺らいだ。
士郎は叫ぶ。
「でも、誰かが自分の願いを奪われそうなら、止めることはできる!」
彼は最後の楔を投影した。
これまでの層で得た感情の残滓が、その楔に流れ込む。
生きたい。
終わりを飲み干す。
裁かない。
赦したい。
未完成のままでいたい。
死を忘れない。
それらは支配される願いではない。
本人が選んだ願いだ。
士郎は楔を雷の王冠へ投げた。
「願いは、王のものじゃない!」
楔が雷冠へ突き刺さる。
同時に、王たちが動いた。
アルトリアの聖剣が光を放つ。
「民の願いを守るために!」
イスカンダルの剣が砂漠の風を纏う。
「夢を共に見るために!」
リチャードの剣が伝説の輝きを帯びる。
「物語を誰かに渡すために!」
ギルガメッシュの宝具群が黄金の奔流となる。
「宝は宝として在るために!」
四人の王の力が、士郎の楔へ重なる。
さらにエルキドゥの鎖が雷冠を縛る。
ジャンヌの旗が支配登録を拒む祈りを広げる。
凛とメディアの術式が王権の契約文を反転させる。
アーチャーの矢が楔の後方から撃ち込まれ、さらに深く押し込む。
雷の王冠に亀裂が入った。
ゼウスが目を見開く。
「王ならぬ者が、王権を割るか」
士郎は叫んだ。
「王じゃないからだ!」
雷冠が砕けた。
白い雷が空へ散る。
王権の層全体が大きく揺らいだ。
◆
ゼウスは膝をつかなかった。
神々の王として、彼は最後まで玉座に立っていた。
だが、神域は明らかに崩れ始めている。
エルネスタは片膝をついていた。
神紋の反動で息が荒い。
凛が彼女へ近づく。
「まだ続ける?」
エルネスタは悔しげに笑った。
「……認めたくはありませんね。願いを管理しない秩序など、幻想です」
「そうかもね」
凛は宝石を構えたまま言う。
「でも、管理できると思った瞬間に願いじゃなくなる。たぶん、そこが神杯の間違いなのよ」
エルネスタは何も言わなかった。
ゼウスは士郎を見る。
「衛宮士郎」
「何だ」
「お前は王ではない。支配者でもない。導き手ですらない」
「ああ」
「それでなお、神杯へ至るつもりか」
「行く」
ゼウスはしばらく士郎を見ていた。
そして、雷霆を下ろした。
「ならば進むがいい。王権の層は開かれた」
アルトリアが問いかける。
「あなたは神杯の支配を諦めるのですか」
ゼウスは静かに答えた。
「神杯は王座に値しない。願いを理解せず、ただ燃料とする杯に、王権を与える価値はない」
ギルガメッシュが鼻を鳴らす。
「ようやく理解したか」
ゼウスはギルガメッシュを見る。
「英雄王。お前とはいずれ、別の場で王を問うことになるかもしれぬ」
「その時は玉座ごと叩き落としてやる」
「楽しみにしておこう」
ゼウスの姿が雷へ変わっていく。
完全に味方になったわけではない。
だが、少なくとも神杯に王権を渡すことは拒んだ。
消える直前、ゼウスは士郎へ言った。
「王ならぬ少年よ。王権を割った責任を忘れるな。願いを支配しない道は、支配する道より難しい」
士郎は頷いた。
「分かってる」
「ならば進め」
雷帝は消えた。
エルネスタもまた、転移術式で撤退する。
凛は追わなかった。
追えなかった、という方が正しい。
王権の層が崩れ、空の闘技場が消えていく。
士郎たちは、雷光に包まれながら地上へ戻された。
◆
衛宮邸へ戻ると、空は昼に近かった。
イリヤが縁側で待っていた。
眠っていなかったらしい。
士郎を見ると、彼女はほっとしたように笑った。
「おかえり」
「ただいま」
イリヤは士郎の頭をじっと見る。
「何か、変なの被ってる?」
「え?」
士郎は自分の頭に触れる。
そこには、投影したはずの布の感触が一瞬だけ残っていた。
王冠を拒んだ、名もない布。
凛が横で笑った。
「王様じゃなくて鉢巻ってところが士郎らしいわね」
「うるさいな」
アルトリアが微笑む。
「ですが、シロウらしい選択でした」
イスカンダルが豪快に笑う。
「王ではない者が王権を砕く! 実に面白い!」
リチャードも頷く。
「物語としてはかなり良い」
ギルガメッシュは不愉快そうに腕を組む。
「雑種にしては悪くない振る舞いだった」
エルキドゥが笑う。
「ギル、それかなり褒めてるね」
「黙れ」
イリヤはくすっと笑った。
その笑い声を聞いて、士郎は少しだけ安心した。
王権の層は越えた。
願いは王のものではないと示した。
だが、ゼウスの言葉も残っている。
願いを支配しない道は、支配する道より難しい。
その通りだ。
誰かが願いで誰かを傷つける時。
願い同士が衝突する時。
支配しないまま、どう止めるのか。
答えはまだない。
それでも、進むしかない。
◆
夜。
凛の宝石板に、新たな層の反応が浮かんだ。
王権の層が開いたことで、神杯核の外殻にはさらに深い亀裂が入った。
その奥から現れた次の反応。
太陽。
月。
そして、影。
凛は眉をひそめる。
「三つ同時……?」
メディアが画面を見て、低く言う。
「太陽神、月神、そして月下の魔眼。次は光と夜の層かしら」
アルトリアが問う。
「中心となる人物は?」
凛は少しだけ躊躇した。
そして言う。
「間桐桜。メドゥーサ。そして月神セレーネ」
士郎の表情が変わる。
「桜……?」
凛の顔も険しい。
桜。
冬木の夜の奥で、まだ神杯戦争の中心には立っていなかった少女。
だが、神杯が彼女を見逃すはずがなかった。
月。
影。
内側に沈めた願い。
誰にも言えなかった痛み。
神杯は次に、桜の夜を開こうとしている。
イリヤが不安そうに士郎を見る。
「お兄ちゃん」
士郎は拳を握る。
「行く」
凛も立ち上がる。
「当然。桜を神杯なんかに使わせない」
アーチャーは静かに弓を作る。
「次も重くなりそうだな」
メディアが言う。
「今まで軽い夜があったかしら」
誰も答えられなかった。
黒い神杯の亀裂から、月光のような白い光と、底の見えない影が同時に漏れている。
神杯戦争、第十三夜。
王たちは雷霆の玉座を砕き、王ならぬ少年は願いを王の手から取り戻した。
だが次に開くのは、誰にも見せなかった夜。
太陽と月。
光と影。
そして、間桐桜の沈黙。
第十四話へ続く。
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えっ、ちょっと待って第13話やばすぎない!?!?!?😭✨ 雷帝ゼウスが神杯に王権層を重ねてくる展開からもう痺れた…王たちそれぞれの“王とは何か”って問いに対する答えがめっちゃキャラ立ってて、特にギルガメッシュの「世界を見定める者」発言、エルキとのやり取りも含めて尊すぎる…💖 で、士郎の「王じゃないからだ!」で王冠を砕くシーン、もう胸熱すぎて声出た!!王じゃないからこそ願いを奪わないスタイル、まさに彼らしいよ…😭💕 最後の桜の影と月の伏線、次の話が待ちきれないよ…!! 聖杯さんの手腕が光りまくってる回でした!!✨