週初めは慌しい始まりだった。
今日から新しい部署になり、席も変わる。
最近、いろいろな変化が一気に起こり、淡々と過ぎていた毎日が嘘のようだ。
仕事中は有賀さんと接する機会が多くなった。
彼は紳士的で、プライベートについては聞いて来ないからやりやすい。
その分、親しくなり辛いけれど、仕事をして行くには丁度良い距離だと思う。
雪斗とは席も前より離れ関わる機会が減ったが、同じフロアにいると、彼の仕事ぶりが伝わってくる。
今日も人に囲まれて頼りにされているようだ。
新規事業は順調で、日々は忙しく過ぎていく。
湊とのことも、段々過去の出来事だと感じるようになっていった。
少し前まで頭の中は湊のことばかりで、何をしていても思考は全て彼に結びついていた。
今思うと自分でも不思議なくらい視野が狭く、感情的になっていた。
穏やかな今が嘘のよう。これが忘れるって事なのかな。
もう突き刺す様な胸の痛みは感じない。
夜、眠れない事もない。
もう私は湊に未練はない。
そう自信がついたのを感じたから、私は湊と話す決心をし、彼に連絡をした。
「……悪い、少し遅れた。」
待ち合わせをしたカフェ。約束の時間よりも五分遅れて到着した湊の一言目はそれだった。
「久しぶりだな。少し痩せたか?」
黙っている私に湊が尋ねる。
「うん。仕事が忙しくて」
私はさらりと嘘を言った。あなたとの別れがで痩せただなんて言いたくなかった。
「そうか」
湊は私の嘘を疑う様子もなく頷く。
「突然連絡が来たから驚いた」
「それはごめんなさい。でもそろそろマンションの解約の件を話す必要があるから」
「ああ……」
湊の反応は鈍かった。はっきりさせなくちゃいけない話でも、湊にとっては面倒なことなのだろう。
「今はもう住んでないの?」
もうとっくに彼女の部屋に移っているのかな?
「今でも住んでるよ。でも、もう出て行かなくちゃいけないんだな……」
湊の答えは意外なもので、私は内心首をかしげた。
彼はどうしてまだマンションに居るのだろう。私が居た頃から荷物を運び出していた形跡があったのに。
疑問が浮かんだけれど、それ以上考えるをの辞めた。
湊のプライベートは、もう私に関係無いんだし。
「前にも言ったけど、そろそろ解約するから湊の荷物はちゃんと運び出して欲しいの。それから私も残した荷物の処理があるから一度部屋に入るね」
「……ああ」
湊は気のない相槌を打つ。
「湊の居ない時間がいいんだろうけど、私しばらく仕事を休めないから土日になると思う」
「いつでもいいよ。あとで都合いい日を送っておいて」
なんだか投げやりな返事だ。それによく見ると湊こそ痩せたんじゃないだろうか。もしかして体の調子が悪い?
いや、私が気にすることじゃない。
「部屋の引き渡しの日なんだけど……」
湊との話し合いは予想以上にスムーズに進んだ。
感情的になることも、言い合いに発展することもない。
時間も距離も置いたせいなのか、敵対心のようなものはお互い消えていて、以前のように湊が私を睨んだり、舌打ちをすることは一切無かった。
注文していたコーヒーを飲み終えると、もう用は無くなった。
「私はそろそろ帰るね」
ホッとした気持ちで席を立つ。すると俯き加減だった湊が勢いよく顔を上げた。
「美月!」
湊がやけに必死な形相で私を見上げていた。
「……何?」
「……もう新しい彼氏は出来たのか?」
「えっ?」
まさか、そんな質問をされると思わなかったから驚いた。
何て答えればいいんだろう。正直に言った方がいいのか、余計な事は言わない方がいいのか。
しばらく悩んだ結果、正直に頷いた。
そうした方が、湊との関係がはっきり過去になる気がしたから。
「そうか……」
「……それじゃあ」
私は彼の様子に違和感を持ちながらも踵を返して出入口に向かう。今度は呼び止められなかった。
湊の様子がおかしかった。
どことなく元気が無かった様な気もする。
もしかして彼女と上手くいってないのかな?
私には関係ないことだけれど、数日たっても湊のことが気が気にかかる。
「美月?」
雪斗に訝しげな顔をされてしまった。
仕事後に、彼と夕食を食べに来たところなのにぼんやりしていたから、不審に思われたのだろう。
「どうしたんだよ?」
「ごめん、ちょっと考え事をしていて」
「もしかしてあいつの事か?」
相変わらず鋭い。
「この前会ったからちょっと気になって」
黙っていても雪斗にはバレてしまうから、正直に言う。
「会った?」
雪斗は険しい顔で私を見る。
「うん、そろそろマンションを引き払うからその件で」
「ふーん、俺には何の報告もなかったな」
「あ、ごめん。雪斗は忙しそうだったし言いそびれちゃって」
もしかして怒らせちゃったかな?
雪斗の険しい顔を見ていると心配になった。
でも雪斗は私を責めたりはせず、少しの沈黙の後に普通に聞いて来た。
「それで、何を悩んでるんだ?」
「え?」
「今更やり直したいってわけでもないだろう?」
「うん。もちろんそんな気は無いけど、湊の雰囲気がかなり変わってたから戸惑ったの」
「変わった?」
「やつれていて、口調もかなり穏やかになっていた」
「……」
「あ、だからってどうしたいって訳じゃないけどね」
なんとなく雪斗に失礼な気がして来て、慌ててフォローする様に付け足した。
私と湊の事で雪斗が不快になるまでかは分からないけど、一応付き合ってる訳だし。
「当たり前だろ? 美月は今は俺と付き合ってるんだからな」
雪斗は余裕の笑みを浮かべる。やっぱり、全然気にしてはいないみたいだった。
そんな態度を見てると……勝手だけど、ちょっと寂しい気もした。
大恋愛で付き合い始めた訳じゃないけど、今の私は雪斗のことで嫉妬したり不安になる。
独占欲みたいなものが確かに有って、雪斗が他の女性と必要以上に親しくしているのを見ると、胸がチクリとする。
そんな嫉妬心を、ぶつけたりはしないけれど。
ただ雪斗は私の事、どう思っているのか気になる。
セックスの時は本当に情熱的に、それでいて大切に抱いてくれる。
でも雪斗は好きだとか愛してるとか、言葉は一切くれない。
雪斗の本心は何も見えない。
そして私も……自分でも自分の気持ちが分からなくなる。
「今日は泊まっていけよ」
雪斗は白ワインを口に運びながらサラリと言う。
「うん……」
私は当たり前の様に頷いてしまう。
明日も仕事だけど、雪斗の部屋には着替えも置いてあるから困ることは何もない。
それ以上に、今日はこのまま別れたくなかった。
料理も殆ど食べ終え、そろそろ出ようかという頃、思いがけなく、声をかけられた。
「藤原?」
声の方を振り返ると、そこには有賀さんの姿があった。
「……秋野さん?」
彼は私に気づき、呆然と呟いた。
「どうして藤原と?」
当然の疑問なんだろうけど、気まず過ぎる。
この店は会社から五駅も離れているし、まさか偶然社内の人に会うとは思わなかったから、もっともらしい言い訳を考えて無かったし、咄嗟に思いつかない。
黙った私に代わり、雪斗が普段と少しも変わらない落ち着いた声で答える。
「有賀さんこそどうしてここに? 自宅は逆方向でしたよね」
「あ、ああ……ちょっと人と待ち合わせていて。それより二人は……」
戸惑う有賀さんに、雪斗は本当に自然にサラッと言った。
「デートですよ。今日は珍しく早く仕事が終わったから」
デ、デートって。あまりにストレートな雪斗の言葉に、唖然としてしまう。
有賀さんは更に驚いた様で、信じられないといった顔で私を見つめて来た。
確かに、雪斗は積極的に隠す気は無いって言ってたけど。
よりによって、毎日長い時間を一緒に過ごす有賀さんに言っちゃうなんて。
「二人は付き合ってるのか?」
「最近付き合い始めたんですよ」
雪斗は必要以上に爽やかな笑みを浮かべた。
これは……ばれたから仕方なく言ってるのではなく、積極的に私たちの関係をアピールしている?
だって口が回る雪斗だったら、隠そうとしたら上手く誤魔化せるだろうし。
「本当なの?」
有賀さんはそう言いながら私を見下ろして来る。
「……はい」
明日から気まずいと思いながらも、否定せずに頷いた。
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