長年の経験から、道に迷った場合は、無駄に動かないほうがいい。
それは経験から学んだことだけど、日が暮れようとしている中、独りぼっちで空地でぼんやりしているのは、賢明な判断とは言い難い。
だが、この状況を打開できる名案が浮かんでこないので、野宿はほぼ決定のようだ。
今腰かけているボロボロのベンチが今日の自分の寝床になると思ったら、泣けてくる。
「……こんなことなら、荷物一式持って来れば良かった」
アネモネは先ほどより深く溜息を吐きながら、膝を抱えた。
ポケットには、銅板プレート一枚こっきり。自力で商会に辿り着ける自信はないから、無用の長物でしかない。
西の空にいた太陽は、既にその姿を消している。真っ暗になるのは、時間の問題だ。
膝を抱えていたアネモネは、更に身を丸める。
「もう帰宅してるよね……あーもぉー……最悪だ」
自宅に戻ったソレールは、自分が居ないことに気づいているはずだ。
言うことを聞かなかった自分に対して、怒るか呆れるかはわからないが、縁もゆかりもない人間を探すことはしないはず。
もしかしたら成り行きで仕方なく引き取った小娘が勝手に消えてくれて、せいせいしているのかもしれない。開けっ放しにした窓に気付いて、激怒していなければいいけれど。
そんなふうにアネモネが鬱々としたことを考えていたら、ものすごい早さで足音が近付いてきた。
(どーせ、私には関係ないもん……!)
勝手なことばかりしたのだから、ソレールが探してくれてるかもと期待するほど愚かではない。
だからアネモネは無視することを選んで、ぎゅっと目を瞑った。けれども、
「アネモネ!」
名を呼ばれたのと、肩を掴まれたのは、ほぼ同時だった。
驚いて俯いていた顔を上げれば、そこには安堵と焦燥を綯い交ぜにしたソレールがいた。
「良かった。探したよ」
ソレールはアネモネの顔を覗き込みながら、ほっとした様子で大きく息を吐いた。
彼の髪は乱れて、額には汗が浮かんでいる。良く見れば騎士服の襟元のボタンは外され、そこから汗が滲んでいるのが見えた。
尋ねなくてもわかる。ソレールは、必死に自分を探してくれていたのだ。
「あの……」
「なんだい?」
「怒ってないんですか?」
「まさか」
「っ……!」
思いもよらないことを聞かれたといった表情を浮かべるソレールに、アネモネも同じ表情を浮かべた。こっちこそ、まさかのまさかだ。
そんなアネモネを見て、ソレールは軽く眉を上げる。
「ちょっと、惜しかったね」
「へ?……と、言いますと?」
「一本道がずれていた」
「そ、そう……ですか」
まるで失敗続きの子供を励ますような口調で、頭を軽く叩くソレールに、アネモネは唇を噛んだ。
(怒鳴られると思ってたのに……)
迷惑をこうむったと怒るどころか、ただただ自分の身を案じてくれた。
その事実に、心が震えて苦しい。
胸がいっぱいになって、とうに捨て去ってしまった気持ちが、また心の中に芽吹いてしまいそうになる。
誰かを、頼ること。誰かに、案じてもらえること。
そんな宝石のように尊いことを、まさか<紡織師>になった自分に与えられるとは思わなかった。
これが泡沫のようなものだとしても、アネモネは涙ぐむほど切なく嬉しい出来事だった。
そんなアネモネを、ソレールがどう思ったのかはわからない。ただ、アネモネに向かって手を差し伸べただけだった。
「さあ、帰ろう。すぐにご飯だよ。くるみパンと、チーズパンも沢山あるんだ」
わざと明るい声を出してくれるソレールに、アネモネはおずおずと問いかける。
「あの……それ、私も食べていいの?」
「当たり前じゃないか」
呆れたソレールの顔が最高の返事となり、アネモネは差し出された大きな手を取った。
そして、立ち上がったアネモネは、ソレーユと手を繋いで歩き出した。
長い長い影を伸ばしながら──
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