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ソレールの自宅に戻って10分も経たぬうちに、テーブルには豪華な食事が並べられた。
鶏肉とトマトの煮物。ほうれん草とベーコンのキッシュ。さやえんどうのポタージュに、白身魚の包み焼きまである。
どれもこれもが美味しそうで、アネモネは、はしたなくも口の端に涎がじゅるりと溢れてくるのを止められない。
「あ、あの……これ、私も食べれるんですか?」
「当たり前じゃないか」
食器棚からグラスを選んでいたソレールは、馬鹿なことを訊くなと言いたげに苦笑する。
「いいんですか?私、食べちゃいますよ!いいんですね!?」
「もちろんさ。たくさん食べてくれ」
「は、はい!」
お腹がペコペコだったアネモネは、ソレールが席に着いた途端、食前の祈りもそこそこに、遠慮なくがっつき始める。
「ははっ。口に合ったようで、良かったよ」
パンをちぎりながらそう言ったソレールは、心から喜んでいるようだった。
それからアネモネとソレールは、食事を進めながら改めて自己紹介をする。
と言ってもアネモネが語れることは限られているし、ソレールも多くを語ることは無かった。
彼に対して得た知識といえば、西の領地の出身で25歳の三男坊。下には歳の離れた妹がいるということだけ。
会話の中では、アニスの護衛騎士になった経緯はわからなかった。
騙されたのか脅されたのか……よもや、自分から志願したとは到底思えないから、そのどちらなのかだろう。
ひょんなことから同居することになったけれど、プライバシーはお互い守るべきだ。根掘り葉掘り聞くつもりはない。
それに、彼がとても善人であることがわかったから、それで良い。
──ただ、この善人騎士……並大抵の善人ではなかった。
なんと驚くべきことに、アネモネのためにデザートまで用意してくれていたのだ。
「こ、こ、こ……これ……は、なんという食べものなんでしょうか?」
アネモネは、皿の上に切り分けられた美しい食べ物を、うっとりと見つめながらソレールに問うた。
「プティングだよ。甘くておいしいから、食べてごらん」
「……プティングですか。愛らしく、それでいて気品あふれる素敵なお名前です」
アネモネは皿を目の高さまで持ち上げて、うわ言のように呟く。
”さぁ私を食べて”と誘うように皿の上でプルンと揺れるプティングを前に、アネモネは、気を引き締めていないと、喜びのステップを踏んでしまいそうになる。
しかし、大人しく留守番するという約束を無視して迷子になった挙げ句、迎えに来てもらうという醜態を晒し、ソレールには多大な迷惑をかけてしまったのだ。
加えて、食事の後片付けだって、彼一人でやった。手伝いを申し出たけれど「疲れているだろうから、休んでて」の一点張りでお皿一枚触らせてもらえなかったのだ。
護衛の仕事は、ある意味肉体労働だ。それに帰宅早々、街中を走り回ったのだから、よっぽどソレールのほうが疲れているはず。
ここは、遠慮しなきゃいけないし、申し訳なさそうな顔をするべきだ。
それなのにソレールはにこやかに笑っている。そして、アネモネの頬を、更に緩ませるようなことを言った。
「気に入ってもらえたみたいで嬉しいよ。良かったら私のもどうぞ」
「な、なんですって!?」
アネモネは、お皿を持ったまま驚愕した。彼の口から紡がれた言葉がすぐには理解できなかった。
長々と時間をかけて理解した途端、この人は神の化身なのかもしれないと、本気で思ってしまった。
「ほら、見ているだけじゃ味はわからないよ。食べてごらん」
ソレールは自分のプティングの乗った皿をアネモネの前に置くと、匙を差し出した。
もうアネモネには、彼が神の化身にしか見えない。
神様からの施しは、有り難く受け取らなければ逆にばちが当たると、何とも自分勝手な言い訳をしたアネモネは、プティングを一口食べる。
「……っ!!!」
あまりの美味しさに身もだえした。
滑らかな舌触りと、卵とミルクの濃厚かつ優しい甘さが口一杯に広がる。少し遅れてカラメルソースの苦さがやってくる。
甘くて、苦くて──美味しい。
相反するそれなのに、口の中で完璧なハーモニーを奏でてくれる。あまりに美味しいものは「美味しい」という表現しかできないことをアネモネは初めて知った。