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星灯りだけが頼りなげに瞬く新月の夜。
王都内にあるメルシエ公爵邸では、公爵令嬢アデルが広いベッドの上で一枚の便箋を握り潰していた。
 所用で領地に帰っている父親から届いた手紙で、便箋には流麗な文字で「ルソー侯爵家との婚約を考えている」と書いてある。
 「どうして、このわたくしが格下の侯爵家に嫁がねばならないのよ! 聖女さえ現れなければ、私がアラン殿下と婚約できるはずだったのに……!」
 ずっと憧れていた見目麗しいアラン殿下と婚約できる。まだ候補の一人に過ぎないが、家格を考えれば自分こそが王子妃に選ばれるはず。
 そう思っていたのに、突如現れた聖女にその座を奪われてしまった。
 しかも、辺境で生まれ育った、無教養の田舎者にしか過ぎない娘に。
 麗しき公爵令嬢である自分がなぜこのような目に遭わねばならないのか。
 あまりの理不尽に怒りが抑えられず、握った拳をクッションに何度も叩きつけると、衝撃に耐えきれずに裂けた縫い目から、真っ白な羽毛が飛び散った。
 「わたくしを差し置いて殿下と婚約だなんて、絶対に許さない……!」
 
 ──アデル
 
 激しい怒りに震えるアデルの耳に、自分を呼ぶ声が響く。
 「……え? 誰かいるの?」
 
 ──アデル。選ばれし乙女よ。
 
 「誰なの? 姿を現しなさい」
 アデルが命じると、部屋の中央に漆黒の妖しい輝きを放つ人型のモヤが現れた。
 「……何なのこれ。なぜわたくしの名を呼ぶの?」
 
 ──嗚呼、運命の乙女アデルよ。
不遇を嘆くことはない。
そなたこそが真の聖女。我が助けてやろう。
 
 漆黒のモヤは低く静かな声でアデルに語りかけてきた。
 「わたくしが、真の聖女? どういうこと?」
 
 ──今の聖女は、聖女の器にあらず。
偽物を廃し、そなたが真の聖女として
名乗りを上げるのだ。
我が加護を与えよう。
 
 「あなたは……聖光神レイエル様なの? わたくしに加護を授けてくださるの?」
 
 ──いかにも。
しかし、偽聖女によって我の力は
封印されてしまった。
お陰で今は顕現もできず、
モヤとなって彷徨うばかり。
そなたの助けが必要だ。
封印さえ解ければ、
我の加護をそなたに授けよう。
 
 漆黒のモヤの言葉が、アデルの心にじわじわと沁み込んでくる。
 自分が聖光神から加護を授かれる?
つまり、聖女として傅かれ、アラン殿下と婚約できるということ?
 ああ、やはり神は正しい目で見てくださっていたのだ。
自分こそが真の聖女。
 偽りを暴き、理不尽を是正しなければならない。
 「……レイエル様、あなたのお言葉を信じます。わたくしはどうすればよろしいでしょう?」
 
 ──霊峰モンレインの麓の祠に行くがよい。
我の力は鏡に囚われている。
結界を破壊し、鏡を取り戻すのだ。
 
 「分かりました。あなたを縛る封印を必ずや解いてみせましょう」
 アデルが仄暗く濁った灰褐色の瞳を細め、にたりと微笑むと、漆黒のモヤは音も無く夜の闇へと溶けて消えた。