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20になっても何も変わらないかもしれない。
あと少しで20になる。お酒も飲めるし、たばこも吸えるし、少し大人なファッションをして遊べる年頃になった。
でもこころの中の不安、思考は変わらない。高校生の時は不安なんてもっとちっぽけなもんだと思っていた。彼氏ができたって「いつまで大好き!」って言ってくれるんだろう?とか実習は大丈夫なのかな?とか就職してから何回怒られるんだろう?とか
不安の種の数はあちこちに落ちている。
それを一つ一つ広げて立ち止まって考えられるのって20代だけかもしれない。
「立ち止まっても意味がない」と言う人もいる。
だけどそこで立ち止まらないと行き止まりに到着してしまうかもしれない。
そこで立ち止まるよりも、悩んだときは誰かに相談して誰かに頼って、泣いて気持ちを吐き出すことで大人になりたいと思った。
ふとした時にあれって?という感じで不安は芽を出す。
明日になって友達に話せば落ち着くけど、その友達もできにくい年頃になりつつある。
友達だって一緒に居たくない時だってある。そんなときは自分に言い聞かせてるの。
「あの子は悪いひとじゃない。少し自分と違うだけ。嫌なことがあれば口に出せばいい。」
そうやって言い聞かせて隣にいる。
言い聞かせても一人になりたいときがある。
耳に入ってくる音をかき消して、視界に入る人を消して、外果のシャッターを下ろして自分だけの世界に入りたいとき。
そんな時はトイレにこもっている。
一人になってもそんなに変わらない。「次の授業はなんだっけ?」「あの課題はいつまでだっけ?」って思いながらスマホをいじって何かに追われている。
友達だと思っていたスマホだってずっと持っていたら飽きるし、疲れるし、恋愛したら情緒不安定になるし。みんな若いっていいこと。と言うけれど
若いのにこころに背負うものは大きいんだよって言いたい。叫びたい。
気がついたら、こころのなかのゴミ箱はいっぱいで洪水を起こして涙腺から排出されている。
自分でもなんで泣いているのか、暴言吐いてるのか分からない。
分からないくらい自分を押し殺して生きているから疲れるんだよね。
小さい頃の自分はこんな大人に憧れてなかった。
小さい頃は大人の表面的な部分しか見ていなかった。
誰も私のこころの中の私のことなんて知らない。その優越感に浸っているみたい。
不安とかストレスって人間にとって日和見菌みたいなものかもしれない。