テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
人生最後にすることなのだろうか。そう思いながらおぼつかない足で花屋に駆け込んだ。
「いらっしゃいませ。」
「あの、献花用のお花を…。」
実に情けなく、くだらない。小さい頃から患っていた病が中学生になって悪化し今はただ死を待つばかりの日々だ。そんな僕の 人生最後に訪れる場所が事故現場なんてお似合いだ。
「これが最後の献花だな。」
白百合を手向けたその瞬間地面に吸い込まれるように意識を失った。
(「ああ。来ちゃったか。」)
身体がすっと冷えていく感覚がした。次第に手足の感覚が無くなり僕は暗闇に落ちた。
(「待って。だめ!!」)
「だめじゃないよ。妥当なタイミングだと思うよ。」
(「やだ。お願い来ないで。」)
「どうせ残り少ない人生だったんだ。覚悟はできてるよ。て、あれ?」
喉に感覚がある。胃酸が蒸発するようにお腹が熱い。目の奥が眩しい。
「痛い。痛いよ。」
(「本当にごめん。ごめんね。」)
不愉快な浮遊感で飛び起きた。目を覚ますと僕は知らない町にいた。西の方角に連なる山々から生まれた太陽は小さな街を静かに照らしていた。
「僕、生きてるの?」
「大丈夫?」
黒い髪を靡かせてこちらに向かってくる。
「あの、ここは。」
「ああ。堺だよ。死と生の。」
少し困った顔をしながら事実を叩き付けられた。
「まず、家おいで。お茶でもしながら話そうよ。」
この最悪な状況で差し伸べられた手を掴む他なかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
茶葉がサラサラと音を立てながら急須に入った。
「私はさより。細い魚って書いてさよりって読むの。」
「僕は勇魚。」勇魚
目の前に出されたお茶は夏なのに熱々だった。それでもなぜか心地よい温度だった。
「私はここの支配人みたいなものだよ。」
「村長的な?あ、。」
「うん。普通はここに生きてる人って居れないんだけどね。」
「はあ。」
「どうしたことかな。」
頭を抱えながら僕をじっと見つめてきた。
「こりゃ偉いことになったよ。君は特別だね。」
「特別?」
普通じゃないことが目の前で起こってるのにさよりさんは怖い程冷静だった。
「さよりさんはいつからここに?」
「んー。分かんない。」
「そんなに長い間。」
「いや、そうじゃなくてね。ここは時の進み方が少し違うの。」
「そんなことあるのか。」
「だって、久しぶりにそっちの世界見たらいきなり店が立ってたりするし。」
「見たってあっちに戻る方法があるんですか?」
「まあ、落ち着け少年よ。私がここでできることを教えてあげるよ。」
「あ、すみません。」
一旦落ち着こう。このままじゃ相手の思うつぼじゃないか。
「見たって言ってもその場に出向いた訳じゃないよ。睡眠を通してそっちの世界が見えるんだ。」
「そういう事か。なんだ。」
「まあ、そうがっかりしないで。他にも私には力があるんだ。」
「それってなんですか。」
ついに帰れるのか。期待が止まらない。
「自分が想像できることはなんでもできる。」
「それって。」
「帰れないと思うよ。だってイメージ湧かないでしょ?」
「そんな。」
「悪いけどここに来てしまった以上は死ぬかここで生きるかの二択だ。」
「じゃあ、殺してくださいよ。僕どうせ死ぬ予定だったんで。」
「死ぬ?なんでさ。君みたいな若い子はこれからじゃんよ。」
「何も知らないくせに勝手なこと言わないで下さいよ。」
立った衝撃で溢れたお茶が足にかかった。熱さすら感じない、やっぱり僕って。
「あ、待って。」
その声に足が止まりかけたが怒りが先走り家から飛び出た。こんなのってないよ。こんなことになるならあの時断らなきゃ良かった。
「うわ。」
家を出て道路に出ようとした瞬間、見えない壁にぶつかった。
「だから待ってって言ったのに。」
「何なんだよこれ。お前もなんなんだよ。」
どこにぶつければいいか分からない気持ちが爆発した。
「ごめんね。さっきは無神経なこと言ったよ。」
「え。」
「いや、若いのにとか、。それは私も同じだったから。」
握っていた手に力が入ったのを感じた。
「いさな君の気持ち分かるはずなのに、こんなことも忘れちゃってたんだな。」
手は冷たいのに涙は暖かいんだな。生きてるんだか死んでるんだか。本当に訳わかんない。
「さよりさんの話聞かせてくださいよ。」
「私の?」
「うん。少しは楽になるかもよ?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つい最近のように思い出せる。私が私として生きた最後の1日。
真昼間の公園に来ると負けた気になる。右を見ればあほ面で寝てるおじさんがベンチに腰をかけており、前を見れば砂場で夢溢れる子供が遊んでいる。 会社を飛んで近くのスーパーに買い出しに行った帰り、少し休憩がてらに寄った私もまあ、大概だけど。缶コーヒーを片手に太陽の熱で熱くなったベンチに腰掛けた。空っぽの頭にセミの鳴き声が余計に響く。
「ねえ、お姉さんこんな時間に何してるの?」
知らない男の子だ。
「君こそ、学校は?」
「もう夏休みだよ」
携帯を見ると日付は8/1だった。だから今日は子供が多いのか。
「じゃあ、沢山色んなところに遊びに行けるね。」
「別に、僕はどこも行けないよ。」
「あ、うん…そっか。」
「でも大丈夫。ここに来れば遊べるもの沢山あるし。」
「だね。きっと楽しい夏休みになるよ。」
筒に入ったチョコを渡し、まるで何かから逃げるように公園を後にした。
「強がっちゃって、立派なガキだ。」
男の子のいけすかない顔が昔の自分にそっくりだったんだ。 コーヒーを1口含み、道端に吐き、残りはそのままゴミ箱に捨てた。こりゃ、強がってるのは私の方かもね。
小さな石ころを蹴って、蹴って、蹴り続けて
家まで帰る。親に内緒で借りたアパート。二階建て木造おんぼろアパートは高校の先生を保証人にして借りた。立て付けの悪い扉は重くて少し力がいる。この部屋で送った日々は地獄だったな。 頭痛はいつからか日常になり、涙はフィクションになっていた。部屋の真ん中にどんと置いてある 大きな箱は実家への贈り物だ。毎月お菓子や入浴剤などちょっとした物だけど詰めて送る。
「まーどるちょこ、まーどるちょこ…あれ?」
両ポケットに手を突っ込んだまま思い出す。おばあちゃんが好きなチョコを買いに行って、帰りに寄った公園で少年にあげたんだった。仕方ないからそのまま閉じるためガムテープを取ろうと立ち上がった。歩く度軋む床にイライラしながらの生活は今日が最後だと思うとせいせいする。最初は怖くて仕方なかった壁の怪しいシミをなぞりながら思い出す。事件性を感じ大家さんにしつこく確認を取って嫌な顔をされたな。
「まあ、ひとつくらいいいか。」
ダンボールの蓋を閉じようとガムテープを勢いよく剥がすと隣からコンコンと音が鳴る。いつもより大きめの溜息をつき、音がならないようゆっくり剥がした。部屋にはこのダンボールと私だけ。チャイムが鳴り、出ると大家さんがいた。
「はい、じゃあ失礼するよ」
部屋に上がりぱっと軽く見終わると無言で手を差し出してきた。
「あ、鍵ですね。すみません。」
本鍵と合鍵があれば渡すがそんなものは無いのでひとつの本鍵を渡すと玄関で私をお見送りしてくれた。
「お世話になりました。」
そう言ったらすぐダンボールをキャリーカートに括り付け階段を降りた。なんだかお腹の中がもやもやして気分が晴れない。私はさっき降りた階段をもう一度上り2階にまで行く。ゆっくりゆっくり私の部屋の1つ手前まで足を運ぶ。一呼吸おき、 思いっきり部屋の扉を蹴りつけた。
「誰だこの野郎」
やまびこのようにすぐ声が返ってきた。おじさんの怒鳴り声を聞きつけ大家さんが私の部屋から出てきたので急いで階段を降りた。
「じゃあね、大家さん!!」
硬直したままの大家さんがお隣さんと鉢合わせイチャモンをつけられ始めた。
その様子をニヤニヤ見ながら急いで逃げる。
「あはは。はー、ほんとばかだな。みんな」
後ろから追いかけてこないか少しビクビクしながらも笑いが止まらなかった。そのまま近くのコンビニへ行き荷物を出しにいく。
「じゃあ、こちらお預かりします」
「あ、後すみません。アイスカフェラテのm下さい」
やっぱり、 コーヒーはまだ早かった。歳を取れば自然と飲めるようになると思ったのにな。砂糖で甘々にしてマドラーでかき混ぜる。 腐って落ちるまで私にはなにが出来ただろう。結構星見るの好きだったし、おばあちゃんに頭良いって褒められたこともあった。NASEとか頑張れば行けたのかな。宇宙人とか新しい惑星とかそんな馬鹿みたいなことしてお金入るなんていいな。私は未だに未確認生物とか信じてるし、本気で日本を良くしようとしてる政治家がいるっても思ってる。自分はどんな大人になるはずだったんだろう。……くだらない。
日が長いとはいえ、だいぶ暗くなってようやく夜が来たような感じがした。ぬるい風があちらこちらから流れ込んで心地いい。やる事はやったし、心残りはないなんて言いながら上司からの留守電を見ると胃がキリキリする。気づけば昼と同じ公園まで来ており、同じベンチに腰掛ける。見上げると昼とはまた違った景色が広がっていた。
黙ってベンチに座っていると目の前を通った人が何か落とした。
「あ、すみません。なにか落とし…ま」
「……はあ。だと思ったよ。 」
この時、私は昔のことをよく思い出した。
「あ、殴られるんだ。今から。」
世界の無にパシンっと乾いた音だけが残った。
「だからさ、
そういうとこなんだって前から言ってるだろ。」
「すみません。すみません。でも…。」
胸ぐらを強く掴み、暴言を吐き続ける課長を見て私はどれだけ小さくて、弱いのか思い知った 。拳が飛んできて、その場に倒れ込む。
「泣いてりゃ済むと思ってんのか?」
そう言うと、課長は私の手を掴んできた。いつから切ってないのか知らない伸びた爪が腕にくい込む。頭ひとつ分くらい背丈の違う男に襲われ情ながらも涙がどんどん溢れ出る。
手を引っ張られ公園を出ると横の小道を抜けて大きい通りに出る。掴む手は決して緩むことなく、むしろ強まっていった。街はまだ明るく、人も沢山いた。このオフィス街には楽しそうな人なんて一人もいない。鼻を啜りながら小さく泣くその声にすれ違う人みんな振り返る。それでもこの街ではそこまで不思議なことでもなかった。前に泣きながら帰る人とか道端で怒鳴られてる人見たことがある。もうすぐそこに会社が見える。建物に入ってすぐ右にある受付警備室の出っ張ったカウンターを、コンコンと叩いた。
「はい、どうされ…ああお疲れ様です。」
「あ、すみませんね。
ちょっと“この子”落ち着かなくて。」
課長はそう言って、笑いながら私を指さした。2人の嫌味な笑いが容赦なく耳を刺す。リードに繋がれた犬のようにぐいぐい引っ張られエレベーターに乗り込む。ようやく手を離してくれたが痛すぎて動かすことができない。止まることなく上がっていくエレベーターは何故か最上階を目指していた。7階は普段は会議室として使われているため私もほとんど利用したことがない。課長が携帯を取り出し、小さなキー音を連打する音だけが響く。 会話のない箱の中でチンっと音が鳴り扉が開く。エレベーター横の小会議室の扉を開けると籠った蒸し暑い空気が一気に飛び出してきた。
「そこに立ってろ」
そう言いながら部屋に乱雑に放り込まれる。窓を開けながらも口では私を攻撃し続けた。「すみません」
「だから、なんでそうなるんだって聞いてんだよ。」
もう既に手をつけりないほどの騒ぎになっていた。
「課長…」
部屋の扉が勢いよく開き、そこに居たのは係長だった。声をかけられ冷静を取り戻したのか一瞬落ち着いた。
「ああ、ちょうどいい。」
私を睨みつけ係長の元へ歩み寄る。滝のように流れる汗に混じった涙が余計しょっぱく感じた。息苦しくなり空いた窓から顔を出して外の空気を吸い込んだ。下を見てみるとかなり高さがあった。生ぬるいビル風に煽られ頭が狂い始める。
「上呼んできてくれ。後はあいつの処理は俺がしとく」
課長のその一言が、私の存在をも”物”にした。その一言で、ここには私の居場所がないと分かった。 気づくと私は窓の縁に腰をかけていた。足はもう床を探していない。体が傾くとぬるい速度で落ちた。
「(こんなはずじゃなかったのに。最後まで私はこうなんだ。)」
どこにも行けないのに、それでも何かを探していた。神様がいるならばお願いします。
「(戻りたいな。あの頃に。)」
チリーン(風鈴)
いつか帰れたらと、連休が来る度にそう思っていた。どれだけ夢見たことか。 あの、夏を。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さよりさんの話を聞いて確信した。僕はその日、公園でさよりさんに声をかけ、夜にさよりさんが死ぬ瞬間を目撃した。
「まるで昨日の事のように覚えてるわ。」
「もう10年経ちましたよ。」
「やっぱり、ここでの1ヶ月はそっちで1年くらいなのね。」
「なんだか疲れましたよ。」
「そりゃそうだ。」
蝉が網戸にくっついて鳴き始めた。頭に響いて痛い。
「いさな君にいいこと教えてあげる。」
「なんですか?」
デコピンで蝉を弾きながら話しかけてきた。
「私はもう時期ここから離れるよ。そうしたら、。」
「待って下さい。離れるってえっと。」
「正式に死ぬってこと。」
「僕はどうなるんですか。」
「私が何とかするから安心せい。」
「何とかって。具体的にどうなるか聞いてるんです。」
こんな歳になって拗ねるなんてやっぱり僕は情けない。やっと会えたのにもう終わりなんだ。
「そういえば、今日花火あるからさ一緒に見ようよ。」
「花火。見たいです。」
「うん。浴衣着てね。」
「はい。」
火照った頬を隠すように髪に触れた。
「まあ、夜まで休んでるといいよ。」
「はい。」
どこに行っても空はやっぱり綺麗だ。
「空綺麗だよね。」
「僕も同じこと思ってました。」
「 きっと私たちみたいに小さい奴らは大きいものに心惹かれて励まされるんだよ。」
「そうかもしれませんね。」
「ありがとうね。」
「何がですか。僕何も、」
さよりさんの顔を見るとなんだか小っ恥ずかしくて、僕は言葉を飲み込んだ。
「さあ、お家に入りな。」
「そうですね。花火まで起きてられるかな。」
「大丈夫だよ。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小さい頃から体が弱かった僕は人として生きたことがなかった。みんなが当たり前のように学校に通ったり遊びに行ったりすることなくこの歳まで来てしまった。毎日機会に繋げられて自分の意思で動くこともできない。
「このまま進行すれば脳が枯れる」
そんな僕に残されたのは安楽死のみだった。僕は脳枯消失病だ。中学になってからは周りもどんどん離れていった。一日の大半は記憶がなく脳死状態だった。僕のための安楽死というより母と父そして弟の3人で早く再スタートしたいからだった。でもいいんだ。僕もそろそろ終わりにしたいと思っていた。あったことのない弟の顔ばかり想像しては寿命を縮めての繰り返しだった。
「きっと楽しい夏休みになるよ。」
その言葉が嬉しかった。そんな訳ないのに、何も知らないくせに。なぜか心のどこかでこの人が女神ならば僕の生活はもっと良いものになったんじゃないかなと思った。ずっと会いたかったんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「すき。」
花火の音でかき消された。
「ごめん。なんて?」
「いや、綺麗だなって。」
「そうだね。浴衣似合うよ。」
「さよりさんだって綺麗で、すよ。」
「ありがとう。」
屋台も行ってみたかったな。焼きそばにわたあめ。金魚すくいもしたかった。
「なんか飲む?」
「なんかソフトドリンク飲みたいな。」
「私お茶でよろしく。」
「あ、僕が取ってくるんですね。はいよ。」
浴衣姿のさよりさんはいつもの何倍も美しかった。冷蔵庫を開けるとオレンジジュースとお茶があった。
「オレンジか。口の中に残るからやなんだけどな。お茶にしよ。」
飲み物の横には筒状のチョコが置いてあった。
「ああ。気づいてたんだな。」
言わないといけない。僕はあの時のことを伝えないといけないと思った。飲み物をその場に残して外に出た。
「お姉さん。え。」
「遅いよ。少年。」
さよりさんが地面にうずくまっていた。
「さよりさん。どうしたの。体が。」
「ごめんね。でも大丈夫。」
「大丈夫じゃないよ。」
首に通した僕の腕が透けて見えた。
「もう時期って…早すぎるよ。」
「ごめんて。」
「僕昔お姉さんと会った時から好きで。」
「うん。」
「ずっと病院で一人ぼっちだったけどお姉さんが言ってくれた言葉と、」
「と?」
「くれたチョコ。」
言葉に詰まっても優しく頷きながら話を聞いてくれた。
「あれね。ずっと持ってたんだね。」
「ずっとこの時間が続けばいいのに。」
「いさな君。お互い幸せになろうね。」
「待って。」
「
お姉さんは消えて浴衣だけが残った。端からパズルのピースが零れるように世界が崩れていった。僕は泣き叫んだ。
「お姉さん。置いていかないでよ。」
世界は虚無に向けて破壊を止めない。
「もっとお姉さんと一緒にいたかっ、。え。」
「なに?」
「やだ?怖っ。」
「失恋かしら?」
気づいたら元の世界に戻っていた。人が沢山いて、注目を浴びていた。
「ちょっと、いさな。何してるの。」
「母さん。」
「病院から朝連絡があって、もう。」
「母さんごめん。」
「いいの。生きててくれてよかった。」
こんなにぼろぼろ泣く母さんを初めて見た。いつも明るくて。
(「そばに居てくれて。」)
「え。」
(「みんないさな君の帰りを待ってるよ。」)
まるで走馬灯のように見えた。僕が寝てる間も毎日病室に通ってくれて、世話をしてくれている家族の姿が。
(「ずっと見てるよ。」)
「お姉さん。」
後ろから抱きしめられた感触がした。咄嗟に振り返っても誰もいなかった。
「いさな?大丈夫?」
「ごめん。幻聴かな。」
「今お父さん車で来てくれるから。待ってて。」
僕が見ていた世界ってなんだったのかな。少しいい夢を見ていたと思うしかなかった。
正式に退院が決まったのは2週間後だった。
「長い間お世話になりました。」
「いいえ。本当に良かったです。奇跡的な復帰だって委員長も驚いてましたよ。」
「あ、これ中谷さんから花束です。」
「え、つばさくんから?」
「つばさくんずっと心配してたんですよ。」
「そうだったんだ。」
これが本当の世界なんだ。僕は今まで何見てたんだろう。
「今度お見舞いに来ます。」
「ぜひ。伝えておきますね。」
退院して最初に向かうところはお姉さんのところだった。病院にいた頃からきっとそばに居てくれたんだろうな。なんとなくだけどそんな気がした。
「お姉さん。また会いましょうね。」
花束のうちの1輪をビルの前に手向けた。
苦しかった17年間に終止符を打った。僕はこの世界で人として生きる。これからの夏はきっと楽しいものになるでしょう。
コメント
1件
いやあ、もう本当に切なくて温かいお話でした……。最後に勇魚くんが「お姉さん」に一輪の花を手向けるところ、胸がいっぱいになりました。病床でずっとお姉さんのこと想い続けてきたんだろうなあ。さよりさんの過去も、課長に連れていかれるところが辛くて、でも最後に「戻りたい、あの頃に」って願ったところが印象に残っています。雨さんの繊細な心理描写、すごく好きです。
34
2,361
薊
3
#ご本人様に一切関係なし
7._.nalx
93