天海さんが案内してくれた部屋の中に置かれているソファに腰を下ろす。会議室のような場所で、高そうな家具が沢山あって少しだけ身体が強ばってしまう。
「…そんなに緊張なさらないで結構ですよ。」
優しくそう言ってくれる天海さんの顔を見たまま、何も言葉を紡げなかった。少しだけ冷静になった頭で考えてみれば、今から自分は死ぬかもしれない状況に立たされている。天海さんを責めるつもりは毛頭ないが、やはり死の恐怖にはどうしても勝てなかった。
「藤澤様は、紅茶はお好きですか?」
「…好きです。」
「ではお持ち致しますね。失礼します。」
薄く微笑んだ後に深々とお辞儀をして部屋をでていく様子を見送る。今のうちに逃げてしまおうか、なんて考えが過ぎったが、泣き疲れた身体は動こうとしてくれない。ふかふかとしたソファに暖かい部屋の空気が心地良い。少しだけ、ほんの少しだけ寝てしまおう。
何故だか腕の辺りがくすぐったい。まだ暗い視界のままで身を捩ったが、寧ろ悪化するばかりだ。重い瞼を開けて、差し込んできた光に瞳を細める。やけに身体がぽかぽかしているな、と思いながら起き上がれば、擽ったさの正体と瞳がかち合う。
「ぁ……。」
ソファに横になって質のいい毛布がかけられた僕の身体の傍に寄り添い、本を読む天海さんが居た。どうやら擽ったさの正体は、天海さんの服に飾られた羽を形どった装飾のようだった。
「よくお眠りでしたね。」
「ごめんなさい……。」
凄く身体がスッキリとしている。やはり良いソファは寝心地がいいのか。もう一眠り出来たらもっと幸せだろう、なんて馬鹿な考えを慌てて振り払う。
「あの……。」
「はい?」
いつまでも睡眠による幸せの余韻に浸っている場合じゃない。ちゃんと聞こう、僕のこれからを。
「僕は……」
死ぬんですか?、そう言った僕に向けられた天海さんの瞳が大きく揺れた。少しばかりストレートに聞きすぎたかもしれない。けど、もう答えを待つことしか出来ないのだ。
形のいい唇が、ゆっくりと僕の運命を語った 。
「……生きますよ。」
「!!」
ほんとですか、そう言おうとした僕の言葉を制止される。
「但し、私たちの中では、です。」
「私たちの…中?」
上手く理解のできない言葉を反復して呟く。
「藤澤様を……外の世界にお出しすることが出来ません。」
「は……、?」
逸らされた天海さんの瞳が、事の切なさを語っていた。真っ先に浮かんだのは元貴達の事で、外に出ないということは会えないも当然だ。寧ろ、もう誰とも会えないかもしれない。
「……天海、あれほど言うなと言っただろう。」
突然開かれた部屋の扉から現れた西山さんがそう言葉を発す。慌てて立ち上がった天海さんの手から落ちた本がソファの下へと滑り込んで行ったのを見た。本人は気が付いていないようで、僕も何も言わずに口を閉じる。
「申し訳ございません……。」
「…いい、もう済んだ事だ。天海、少し席を外してくれ。」
「かしこまりました…、失礼します。」
「少し情報がフライングしてしまったようだ。改めて私から話をしよう。」
僕の座っているソファと反対側にある椅子に西山さんが腰を下ろす。特に語気が強い訳でもないのに、何故だかとても威厳があって息が詰まる。
「…私には妻が居てね。凄く良い子で、真っ直ぐに私を愛していてくれた。だが、数年前に心臓病で他界してしまった。」
ふと、部屋の棚に飾られた写真に目を惹かれる。どうやら3人で映る集合写真のようだ。2人の真ん中で娘さんに負けない無邪気な笑顔を浮かべる女性がいた。そんな僕の視線に気付いたのか、西山さんが涙をこらえるように唇を噛み締めていた。
「まだ娘の成長はこれからだって言うのに、あいつは……。」
苦しげに顰められた眉が、事の悲痛を語っていた。
「すまない、見苦しい所を見せてしまった。…君に伝えなければ行けないことは一つだけだ。」
気持ちを入れ替えるようにソファに浅く座り直す西山さんを見つめる。
「天海からもあった通り、君を外に出すことが出来ない。こちらの勝手で申し訳ない。だが、攫った手前君を外の世界に戻すとは言うのは難しくてね……。」
分かっていた。分かっていたけれど、改めて突きつけられてしまうとやはり胸が痛い。落とした視線の先にある、机の上に置かれている手のつけられていない紅茶は冷めきっていて、まるで今の僕のようだ。わざわざ温め直すことはせず、飲まずに捨てられる。元貴達だって、僕の代わりを探す。
「…娘さんの心臓は?」
自分でも驚くくらい、声の高揚がなかった。現実味がないくせに、僕の頭はしっかりと現実を見ている。もう無理だって。
「ああ、それは心配ないよ。君の他にいたもう1人の男に決めたんだ。」
少しでも胸を撫で下ろした自分に嫌気が差す。生きてたって仕方ないのに。どうせなら、人に貢献して死んでしまった方がいいんじゃないか、なんて。
「…そんなに気を落とさないでくれ…。私が言えることではないがね。勿論衣食住は保証する。引き続き君の身の回りは、天海と氷室に頼むつもりだ。」
「……ありがとうございます。」
誰も恨む気になれない。西山さんは、娘さんの為に。天海さんや氷室さんは西山さんの為に。さっきの男は娘さんが生きる為になっている。じゃあ、僕は?
「私はそろそろ失礼するよ。暫くしたら誰か来るはずだ。それまで少し寛いでいてくれ。」
重い扉がゆっくりと閉まる。正直、話された内容も受け止めきれないし、悲しくないわけない。泣きたくて堪らないのに、枯れきった涙は流れてはくれない。
ただ絶望の波に飲まれそうになっていた時、ふとさっきの本の存在を思い出す。ソファの下を覗き込めば、手の届く距離に本が落ちていた。冥色がベースの表紙の本を手に取り、白く細い文字で示されている題名に目を落とす。
「…過去と明日…?」
あまり聞き覚えのない題名にパラパラとページを捲る。ざっ、と目を通したが、挿絵がなく文字ばかりだった。”責任”とか、”償い”とか難しい言葉が並べられている。何となく読みにくそうだな、なんて思っていた時、部屋の扉が開く。
「藤澤様、お部屋に戻りましょう。」
掛けられた声に、慌てて本を閉じる。
「…はい!あ、これ天海さん落としましたよね。」
上手く繕った笑顔で、本を手渡す。
「ああ……突然西山様がいらっしゃったので、すっかり忘れていました。ありがとうございます。」
優しい笑みと共に、差し出された手を取る。天海さんの手に僕の手が触れた時、穏やかな口調でそっと言葉を呟かれる。
「…藤澤様を必要としている方は、必ず居られますよ。」
心を見透かすような瞳から目が離せなくなる。僕の事を分かってくれたのが嬉しかったのではなく、気にかけてくれたことが嬉しかった。優しい笑顔も、暖かい瞳も、少しだけ心が揺れる。僕は、誰かの為になれるのかな。
コメント
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外の世界から断絶されるのはきついな。俺だったら発狂しそう。
うわあ、、、 なんだか複雑な感情です、、、 💛ちゃん外の世界に出してあげてよおおお😭