あれから1年が経ちそうになっていた頃。ここでの生活を期待してなかった、と言ったら嘘になる。想像以上にもてなされて驚いた。至れり尽くせり、という言葉はこの為に使われるような気がする程だ。だけどやっぱり寂しさは拭えない。移植も心配なく終わり、少しだけ元気になった娘さん、名前は百合乃ちゃんと言うらしい。たまに部屋に遊びに行って何気ない話をしたりしている。他にも天海さんや氷室さん達とも毎日話している。別に不満はないけれど、どうしても元貴達の事が頭から離れない。この花は元貴が好きそう、とか。この音楽は若井の好みとか。僕の中の1番は2人で、それは変わらない。……そう思ってるのは僕だけかもしれないけど。
「…あぁ〜!!!もうずっと考えちゃってる……!!!」
一人きりの部屋で、ずっと頭を渦巻く2人の姿に声を上げる。このままこの部屋にいると気が病んでしまいそうで、気分転換をしようと思いつく。時計の針が示す時刻は12時丁度。この時間なら百合乃ちゃんが起きているはずだ。少しだけ会いに行こう、そう思い部屋を出た。
特に決まりは無いが、一応扉をノックする。すると、直ぐに明るい声が返ってきた。それを合図に扉を開ける。
「百合乃ちゃーん!おはよ!」
百合乃ちゃんはまだ体力があまりなく、早く寝て遅く起きる。大体お昼の少し前くらいにはいつも目を覚ましている。僕の姿を視界に入れると、ベッドの上で天海さんに本を読み聞かせてもらっている百合乃ちゃんが笑顔を向けてくれた。
「まま!おはよう!」
やっぱり慣れない呼び方。
遡ること数ヶ月前くらい。手術をして帰ってきた百合乃ちゃんが心配で目が覚めるまでずっと手を握り続け、傍にいた。半日程一緒にいた僕に、西山さんから心配そうな瞳を向けられたのを覚えている。
どれほど経っただろうか。気が張りつめていた疲れからか微睡み始めていた頃、百合乃ちゃんが目を覚ました。急いで西山さんを呼ぼうとした時、僕の手を弱々しく握り返していた百合乃ちゃんから驚く一言が発せられた。
お母さん、と。
確かに僕はちょっと髪が長いけど、実の母親を間違えられるなんて。その場で訂正しようとしたが、たまたま部屋に入ってきた氷室さんの慌てようで全て揉み消されてしまった。
そしてその後から更に数ヶ月が経ち、元気になった百合乃ちゃんはまだ僕のことをお母さんと呼び続けていた。正直ほぼ訂正することを諦めていたし、折角なら呼び方を変えさせてみた。ママ、と。お母さんだと何だか堅苦しい気がして、可愛らしい方を選んだ。
これが事の経緯だ。実のお母さんの事があるし、西山さんにも1度相談した。だが、亡くなったことを忘れているならそれでいい、と。僕の気持ち的には何も良くない。本当のお母さんの心情を考えるといたたまれない。だけど、もう一度お母さんの死を宣告する勇気は誰にも無いみたいだった。
2人のいるベッドの傍に歩みを進める。近くの椅子に座り、本を読んでいた天海さんと視線がかち合った。最近はかなり打ち解けていて、あまりかしこまらないで欲しいと伝えている。例えば、ことある事に丁寧に頭を下げたり、僕のことを凄く丁重に扱うこと。
「おはようございます、藤澤様。」
「おはよ!何の本読んでるの?」
もう1つ近くにあった椅子を引いて、天海さんの隣に座る。見やすいように本をこちらに向けてくれた天海さんに、感謝の意味を込めた笑みを返すとそれを見ていた百合乃ちゃんが楽しそうに笑った。
「あまみとママは、お姫さまと王子さまみたい!」
子供はやっぱり突拍子のないことを言う。こんな僕とセットにされるなんて天海さんが不憫だ。そう思いながら表情を伺うと、不自然に視線を逸らされた。困惑する間もなく、また読み聞かせを再開されてしまい、大人しく耳を傾ける。
「昔々、深い海の底に誰も知らないある世界な広がっていました。陽気に唄うイルカ。踊りを楽しむクラゲ。色鮮やかな魚たち。」
「…!ゆりのも、あしたイルカさんたち見れるの?」
「んー…どうでしょうね…。イルカを捕まえるとなるとかなり難しい気が…。あ、ですが、魚くらいなら氷室と共に捕まえてきますよ。」
天海さんと百合乃ちゃんの穏やかな会話。だけど、一つだけ引っかかるところがあった。
「明日?」
そう言った僕に、天海さんから驚いたような瞳を向けられる。
「もしかして藤澤様、明日のこと伺っておられないんですか!?」
明日、と言われても何も心当たりがない。記憶を辿って悩み込む僕の様子に、隣に座っていた天海さんが勢いよく立ち上がった。
「範囲は限られていますが、少しの間外に出られるんですよ!」
「……外に?」
まるで自分の事のように喜ぶ姿に困惑する。詳しく話を聞いてみれば、海の近くに別荘を買ったからそこにみんなで行くらしい。みんな、と言っても限られた人だけだか。恐らく、天海さんと氷室さん。西山さんと百合乃ちゃん。そして僕だろう。そう言われれば、海のお話を読み聞かせていたのにも納得がいく。
「申し訳ございません、上手く情報が行き届いていなかったようです。今から急いで準備を致しましょう。氷室も呼んで参りますので、ご自身のお部屋でお待ちください。」
そう早口で告げ、なんだか軽い足取りで部屋を後にする天海さんの背中を見送る。
2人きりの部屋。手にしている本をじっ、と見つめる百合乃ちゃんに声を掛ける。
「なんの本なの?」
「んーとね…アリエルがね、出てくるやつ!」
聞き覚えのある名前に、記憶の中を漁る。確かリトルマーメイドと言ったか。あまり内容は覚えてないが、かなり有名な作品だ。
「あまみに読んでもらったの。」
読んでもらった、と言う割には少しだけ表情が暗い。
「おもしろかった?」
僕の問いかけに、悲しげな目線だけで返される。
「…ちょっと本貸して〜?」
「ん、いーよ!」
あまり内容が思い出せず、そんなにも悲しい顔をする理由が分からない。1度本を貸してもらい、ページを開いてみる。挿絵が多めで文字が大きく平仮名だ。何となく知っているような内容を読み進めていると、控えめに袖を引かれた。
「…声、ってだいじ?」
「んー…その人によるんじゃないかな。」
「アリエルは、声とられちゃったの。」
確かにそんな物語だった気がする。
「だいじな物取られちゃう、って。すっごくかなしい。」
大事なもの。僕の大事なものは……。
「…元貴と、若井……。」
「まま?」
自然と口から零れ落ちていた言葉にはっ、とする。
「悲しいね、!でも、きっと幸せになれるよ。」
「…うん!!ママがそういうならしあわせ!」
「……少しあっち行っちゃうけど、いい子にしててね。」
柔らかい笑みを浮かべる百合乃ちゃんの頭を優しく撫で、部屋を後にする。物語への言葉じゃなく、僕の願い。まだ幼い君は分からなくていいんだよ。僕の悲しみも、大切なものも。
コメント
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確かに「君のせいで大切な人に会えない」だなんて、残酷すぎて言えないよな。
毎回だけど文章よんでると時間忘れるほど書き方が綺麗すぎて尊敬しかないです!!😖🫶🏻💓あと涼ちゃんがママ呼びされてた理由がわかってめちゃすきっりしましたー!😚💗