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第一話 暖かいお家
玄関の向こうで、金属のこすれる音がした。
いつもの、あの音。
僕の胸は、少しだけ軽くなる。
(帰ってきた。道満さんだ)
ガチャ、ガチャ、と三回。
鍵は慎重に、確かめるみたいに回される。
扉が静かに開き、冷たい外気と一緒に、
懐かしい匂いが流れ込んできた。
「晴明、ただいま」
その声を聞くだけで、安心する。
「おかえりなさい、道満さん」
僕は立ち上がって玄関まで行く。
リビングのドアの手前で、自然に足が止まる。
——ここより向こうには、勝手に出ていかないのが“家のルール”だから。
道満はコートを脱いで、僕の方を向いて笑った。
「いい子で待ってたな」
その一言が、くすぐったくて嬉しい。
「はい。今日も、テレビ観ながら過ごしてました。
道満さん、寒くなかったですか?」
「大丈夫だ。学園のほうは暖房が効いてるから」
そう言って、彼は靴を揃え、
玄関の鍵をまた一度、丁寧に確認した。
——カチリ。
ちょっと強すぎる気もするけれど、
それはいつものことなので、もう気にならない。
リビングに戻ると、窓には厚いカーテンが引かれている。
外は見えないけれど、暖かいライトが部屋を満たしていた。
「今日の夕飯、何が食いたい?」
キッチンに向かいながら、道満が尋ねる。
僕は少し考えてから、嬉しそうに言った。
「道満さん、生姜焼きが食べたいです!
あの、前に作ってくれたやつ、すごくおいしかったから」
道満は振り返り、口元をゆるめた。
「いいな、作ってやるよ。
晴明、愛してるぞ」
胸の奥が温かくなる。
「僕も、道満さんのこと大好きです」
それは当たり前の言葉みたいに、
何度言っても飽きない。
料理をしている間、僕はテーブルを整える。
箸を揃え、皿を置き、湯気の立つお茶を注ぐ。
ふと、視線の端に金属の光が映る。
——玄関の二重ロック。
(……前から、あんなに多かったっけ?)
すぐに首を振る。
危ないから、つけたんだ。
道満さんは学園で、忙しくて、
僕のことを守らなきゃいけない。
それだけの話。
「晴明、皿運ぶの手伝ってくれ」
「はーい!」
二人で並んで食卓に座る。
お肉の甘い匂いが、胸いっぱいに広がる。
「おいしい……」
思わず目を細めると、道満は満足そうに笑った。
「よかった、たくさん食えお前、最近少し痩せたしな」
「大丈夫ですよ。ここは、居心地いいですから」
言葉は本心だ。
暖かいご飯、柔らかい布団、優しい声。
道満さんがいてくれる、それだけで。
ただ——
食卓の端に置かれた、
小さな鍵束だけが、なぜか妙に目に残った。
食後、二人でソファに並ぶ。
テレビのニュースが、遠い街の出来事を映していた。
僕が少し身を寄せると、
道満は自然に肩を抱いてくれる。
「眠くなったか?」
「ちょっとだけ。でも、まだ起きてます」
ソファの向こう、廊下の奥。
そこにある寝室へのドアは、
重そうなチェーンで留められていた。
最初からそうだった気もするし、
最近増えた気もする。
どちらか、思い出せない。
(まあ、いいか)
道満さんの手が、僕の髪を撫でる。
その仕草は優しくて、
世界でいちばん安心できる。
「晴明」
「はい?」
「これからも、ずっと一緒だ」
言葉は温かい。
胸に沁みて、柔らかく広がる。
でも——
その奥に、少しだけひっかかりを感じた。
(ずっと、って……どこで?)
問いかけは喉まで出かかったけれど、
僕は笑って飲み込む。
「もちろんです。
僕、道満さんと一緒なら、大丈夫ですから」
道満は満足そうにうなずいた。
テレビの画面の中で、
人々が笑いながら歩道を歩いている。
外の空気は冷たそうで、澄んでいて、
どこか懐かしい。
でも、僕の視界は——
そっと閉じられたカーテンで、
そこから先を見せてはくれない。
夜。
「今日は早めに寝るぞ」
そう言われ、僕はうなずいた。
寝室へ向かう途中、
道満がさりげなく廊下の窓の鍵を確かめる。
カチリ。
何度も、念入りに。
(……そんなに気にするほど、危ないのかな)
ベッドに横になると、
道満が布団をかけてくれる。
近くで聞こえる心臓の音。
大きくて、確かな音。
「おやすみ、晴明」
「おやすみなさい、道満さん」
目を閉じると、
遠くで、金属の小さな音がした。
——カチャ。
それは、
何かが固定される音に似ていた。
けれど、温かい腕に包まれていると、
不思議と怖くはない。
(大丈夫。ここは、僕たちの家だ)
そう自分に言い聞かせながら、
僕は静かに眠りへ落ちていった。
ただ、夢の入り口で、
かすかな違和感だけが、胸の奥に残っていた——。