テラーノベル
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前回に引き続きシャン🌩️×与太🤝です。
mbを対象としたちょっと残酷な描写が匂わせ程度にあるので注意。
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「 お前、吸うの電子煙草かよ」
窓際で紫煙を薫らせる噺家に、飴屋は半笑いで話しかけた。噺家は立たなくなった腰を窓枠に預けており、くしゃくしゃになった襦袢の代わりに飴屋のあの羽織りを肩にかけている。
気怠げに外を眺めていた噺家はすぐには答えず、煙草をまたひと口吸い、ぷかりと煙を吐いてからようやく飴屋の方を向いた。
「……何だよ、煙管とか吸った方がよかった?」
「いや、別に好きにすりゃいいけど……ああでも、煙管も似合うな……」
噺家の冷めた視線にも一切臆することなく、飴屋は楽しそうに話を続ける。
見上げてみれば、雑居ビルの隙間から辛うじて見える空はすっかり朝焼け色に染まっていた。電子煙草の充電ランプが点滅しているのを見て眉を顰めつつ、噺家は身体の全体を覆う心地よい疲れと淡い恍惚に身を委ねる。
結局、あれから何時間抱かれていたのだろう。頭はぼうっとするし、身体はあちこち痛むか力が入らないかして言うことを聞いてくれないし、散々快楽を叩き込まれた腹の奥は未だに余韻が引ききっていない。
数えるのももはや馬鹿らしいが、それだけの間求めてもなおまだ満足しない飴屋の強欲さにも驚いた。どうやらこの男は本気らしい。本気で、噺家を手に入れたくてたまらないようだ。
「そういえば……言い忘れてたけど、今日は一門揃って遠方で出張営業があるから、兄さんたちはみんな出払ってるんだよね。このボロアパートもさ、貸し切りだと思うと贅沢な気がしない?」
「は? ……つまり、」
「まぁ……僕の上がる高座しかチェックしてなかったきみも悪いよね」
噺家はそう言って、鋭い犬歯をちらつかせながらいたずらっぽく笑う。
──つまり、一門の寮であるこのアパートには現在噺家以外誰もおらず、『壁が薄いから声を抑えたい』というのは体の良い言い訳にすぎなかったというわけだ。……ああ、いや、それだけではない。飴屋は確かその言葉に乗せられて『壁の向こうに兄弟子たちがいるなら、本当のお前の声を聞かせてやればいい』とも言った。
つまり。噺家は始めから全て分かった上で壁が薄いだなんだと誘っておいて、わざと激しく襲わせていたらしい。
その策略にまんまと嵌められた飴屋は咄嗟に悪態を吐こうとして、また別のことに気がついて、口を閉じた。
『一門揃っての出張営業』だというのに、噺家はこうしていつも通りのスケジュールをこなしているだけだ。端的に言ってしまえばそれはおそらく、一門の者として認められていない──ということなのだろう。噺家がいつまでも与太郎を名乗っているのも、亭号を許されていないのも、きっとそのためだ。
都合よく性欲の捌け口として使っておいて、あれだけの技術を持つ噺家を二ツ目止まりに閉じ込めて、一門を名乗ることすら許さずに、こうしてボロアパートの中で飼い殺しにしている。これを理不尽と呼ばずして、何と言おうか。
飴屋は自身の内にぐつぐつと煮えたぎるような怒りが沸くのを感じ、顔を顰めた。どれだけ協会を憎もうが今の自分にできることなど限られていて、このまま噺家を攫ってどこかへ逃げることもできないのだろう。どうしようもなく無力な自分自身にも苛立ち、続けて舌打ちをする。
それを聞いた噺家は、慌てて煙草から口を離した。
「ご、ごめんって……そんな怒んないでよ……」
「違えよ。お前にじゃなくて、ただ……」
「……ただ?」
噺家は飴屋がどうして怒っているのか本気で分かっていないようで、困惑げに首を傾げている。
こんな理不尽にすら慣れてしまっているんだろう。それをむざむざと見せつけられている気がして、飴屋は余計に顔を曇らせた。
「……お前さ、なんでこんな扱い受けてんのに逃げ出さねえの?」
「そりゃあ……多分だけど、きみと同じ理由じゃない?」
「──っ、」
きみと、同じ理由。
そのはぐらかすような曖昧な言い回しに、飴屋は冷や水を浴びせられたような気分になった。飴屋がこうして『飴』を配り──その対価として法外な金額を受け取り、支払うことのできなくなった中毒患者ですら配下の組織に斡旋して売り物にしているのは、ひとえに今所属している『組織』に命じられているからだ。
組織はスラムでその日暮らしをしていた飴屋を誘い、自分たちを『家族』だと言った。衣食住を提供する代わりに始めは小さな犯罪を繰り返し行わせられ、人を騙し暴力でねじ伏せることに慣れてからはもっと楽に稼ぐための『技術』を与えられた。
『家族』である組織のため飴屋は日夜技術を磨いて縄張りを広げ、そうして取り返しのつかない頃合いになってからようやく──裏社会に顔の知れた自分はもう、この組織から逃げ出すことはできないのだと気付かせられた。
……後で知ったことだったが、これは飴屋の所属している組織では常套手段であり、同じ方法で引き入れられた『家族』とも呼べる人間は周りにいくらでもいた。
自分も含めたそいつらは所詮捨て駒で、使えなくなればあっという間に掃き捨てられる。使い潰された『家族』が目の前で麻袋に詰められ、海に放り投げられ、手慰みに蹂躙されるのを、今まで飽きるほど見てきた。
時には好きに使えと押し付けられたので、新しいの『飴』の試作に付き合ってもらったこともあった。わざわざ人を被験体に使うということは、その結果はまぁ、お察しというものだが。
つまるところ、その『家族』たちを散々しのいで今の立場を得ているのが飴屋なのだ。
初めて人間をこの手をかけた日のことはもう覚えていない。恨みや後悔は数えきれないほど抱えた。自分でも恐れてしまうような力や技術も得た。
しかしそれを持ってしても、『上』には逆らえない立場であることは痛いほど理解している。自分はまだ組織を抜けることも、束ねることもできない中途半端な地位にいるから。
自分はまだ、噺家を囲ってやれるだけの力も地位も、何も持ってはいないのだから。
「ちょっと……顔色すごいけど大丈夫?」
「、あ……」
心配そうに覗き込む噺家を、飴屋はひどく青ざめた顔で見上げた。
噺家も、同じなのだとしたら。のっぴきならない事情があって協会へと入り、あれよあれよという間に逃げ出すことが叶わない立場になってしまったのだとしたら。
……噺家も、自分と同じ暗がりを抱える者なのだとしたら。
「──なあ、与太郎」
「うん?」
「提案なんだけどさ、競争しねえ? 俺とお前、どっちが先に組織のてっぺんまで登りつめられるか」
「いやいや……今の話聞いてた? 僕はどうやったって上に行けないの。そういう組織に捕まっちゃったんだよ、生憎ね」
「いやさ、やっぱり俺も同じなんだよ。なまじ母数がデカい分、頭を殺してハイすげ替えってわけにもいかねえの。……でもきっと、やり方はいくらでもある」
そんな絵空事のような話を聞いても希望など見出せない気がしたが、それこそ飴屋の力を借りれば──もっと言えば、これから更に躍進して権力を持つようになった彼が後ろについてくれれば。可能性はゼロではないかもしれない。
電子煙草の電源を消して、噺家は飴屋の方へ身を乗り出す。しかし、やはり上手く力が入らず姿勢を崩した噺家に手を伸ばし、飴屋はそのたくましい腕でしかと痩躯を抱き止めた。
朝焼けに照らされた噺家の身体には、飴屋の残した跡はひとつもない。理由はいたって単純で、『噺家の特別になりたいから』だ。兄弟子らのように無遠慮に跡をつけるなんてことはしたくなかったし、たとえつけたとしても、それは噺家という花に群がる蟲のうちのひとつに成り下がるも同然だったから。
何を言おうとしていたのかさっぱり忘れてしまった噺家の代わりに、飴屋はそっと、独り言でもいうように呟く。
「──リト、っていうんだ。俺の本名」
鳥のさえずりにすら掻き消されてしまいそうなほど儚いそれを、噺家の耳はしっかりと拾い上げた。
「……は、」
「ああ、籍なんかはどうせ無いし字も分かんねえけど、寺にいた頃はそう呼ばれてたんだよ。……今はもう、俺以外誰も知らないけどな」
「ま、待ってよ。なんで急に、そんなこと──」
顔を上げてみれば、飴屋は何故かひどく穏やかな表情で噺家を見下ろしていた。朝の柔らかい光を浴びて、あのぎらついた金色の瞳は瑞々しいオレンジ色に染まっている。
──それを見ていると、胸が苦しくてしょうがない。噺家は目を逸らそうとして、しかし飴屋に先回りをされてしまった。
「な、噺家」
「……なに」
「呼んで。俺の名前」
「別にいいけど……なんで?」
「んー……お前に呼んでみて欲しいから?」
「……なんで僕なの?」
「はは。そりゃお前……初めて惚れた相手は特別なもんだろ」
──だから、どうしてそう児童書みたいに無垢な台詞が言えるんだ。擦れているんだか無邪気なんだかよく分からない飴屋に、いっそ目眩がしてくる。この胸が高鳴るのは、全身の血が沸いてしょうがないのは、きっと目眩のせいだけじゃないけれど。
「……なあ」駄目推しとばかりに見つめられ、とうとう噺家は観念した。
「……り、と」
「……もういっかい」
「…………リトくん、」
「ふは、……うん、なあに?」
飴屋があまりに嬉しそうに返事をするものだから、「呼べって言われたから呼んだだけだよ」と答える声が上擦ってしまった。
ただ名前を呼んだだけなのに、まるで乾ききっていない傷口を無理矢理指で割り開いてしまっているような、そんな感覚。しかし飴屋は大事そうに笑って、痛みなんか少しも感じていないような顔をしている。
……だから、少しは自分も、それに答えてやるべきだと思った。
「……イッテツ」
「は?」
「僕の名前だよ。そっちが名乗ったのにこっちは名乗らないなんて、まるで僕の礼儀がなってないみたいじゃないか」
「……字は?」
「ふふ、よく聞いてくれたね。数字のイチにトオル──つまり『一つに徹する』と書いて一徹と読むんだ。……どうだい、あたしにぴったりだろう?」
扇の代わりに電子煙草をぴしゃりと立てて、噺家は堂々たる笑みを浮かべる。
『一つに徹する』──なるほど、確かに多彩な芸を持ち合わせていながらも落語一筋の噺家にはこの上なく似合いの名前だ、と飴屋は納得した。
「でもさ、僕の名前なんか調べりゃいくらでも出てくるし、何ならお師匠方だって知ってるし、きみのに比べてそんなに貴重なものじゃないよ?」
「いいんだよ、俺が言いたくて……お前に知って欲しくて教えただけなんだから」
さも当然と言ってのける飴屋に、噺家はまたもや心拍数が上がるのを感じた。優しく鼓膜を揺らす囁き声に危うく心臓ごと持っていかれそうになり、この男はどうせ今までもこうして人の懐に入ってきたのだろう、と自分自身に言い聞かせる。
「……で?」
「ん?」
「そっちは僕の名前呼んでくれないの?」
「なに、呼んで欲しいの?」
「っ、それは……」
「んふふ、ごめんって。……でも、そうだな……」
たったひと言名前を呼んで終わらせる、というのは飴屋にとってつまらないらしく、そのままどこか遠くを見つめて考え込んでしまった。
噺家が『美丈夫は考え事をしているだけでも絵になるなぁ』なんて思いつつ待っていると、飴屋は突然あっと声を上げ、何かいいことを思いついたようだった。
「なあ噺家、お前のこと本名で呼ぶ奴っていんの?」
「えぇ……? 兄さん方には基本的に『与太』とか『与太郎』って呼ばれるし、お師匠方も……あぁ、公的な機関ではさすがに本名で呼ばれるよ。病院とか」
「んじゃあ、お前のこと本名が絡んだあだ名で呼ぶ奴は?」
「……いない、けど」
脳裏を過ぎった予感に尻込みしつつ、噺家は答える。飴屋は相変わらず日の光を背に浴びたまま、ゆっくりと唇を開いた。
「じゃあさ、二人っきりのときだけ──テツ、って呼んでいい?」
「……っ、」
心臓が歪に跳ね、その熱が、全身に回る。
「……駄目だった?」
「あ、いや……何でもないよ。……ちょっと、昔のことを思い出してね」
「ふうん……?」
始めは訝しげな顔をしていた飴屋だったが、ここで深追いするのはなんだか不粋な気がしてやめておくことにした。
人には誰しも、触れられたくない秘密のひとつやふたつがあるものだ。その秘密のうちのひとつ──お互いの本当の名前を開示したばかりなのだから、これ以上求めてしまえば、もう何も教えてくれなくなるかもしれない。
臆病な2人はそうしてしばらく黙ったまま見つめ合い、色々なことを考えた。それはこれから変わっていくであろう2人の関係性についてや、薄暗い未来のこと、やるべきこと、目を逸らすことのできない過去のこと……など。
視界が白むほどの長い沈黙を破ったのは、飴屋だった。
「なあ、テツ。お前は今日予定あんの?」
「無いね。強いて言うなら夕方から稽古があるけど、どうせ聞く人もいないし……」
「へえ……それ、俺が聞いちゃまずい?」
「なに、聞きたいの? 別に構わないよ」
「あ、ほんと? へへ……じゃあ、それまでひと眠りしようぜ。昼飯は奢るからさ」
「この部屋布団一枚しかないんだけど……あ、ちょっとぉ!」
掛け布団の上へ寝転がる巨体に叱責の声が降りかかり、飴屋はけらけら笑いながら噺家を抱き寄せた。薄っぺらい掛け布団なんか目じゃないほどの包容力に包まれ、途端に大人しくなる噺家に飴屋はまた笑う。
鬼の居ぬ間になんとやらだ。このボロアパートが例の下卑た兄弟子どもに占拠される前に、噺家の苦痛の日々が再び始まる前に、今はできる限りの温もりをくれてやろう。
飴屋は噺家に覚えたばかりのやり方で頭を撫でてやり、穏やかな眠気を誘う。この腕の中にすっぽりと収まってしまうほど華奢な噺家が愛おしくて仕方なくて、一層逃がしたくない、と思う。
髪を梳いて撫でつけて、ちらりと見えた耳元へ、飴屋はそっと囁いた。
「……いつか絶対、迎えに来るから。お前のこと、こんな場所から連れ出してやるから……待ってて、テツ」
「……」
噺家は返事をせず、ただ身体を強張らせる。それを肯定と受け取ったのか否定と受け取ったのか、飴屋はふっと笑みを漏らし、やがて眠気に意識を委ねた。
「……おやすみ」
そう呟いたのが果たして眠りに落ちる寸前の自分なのか、それを見送る噺家だったのか、飴屋には判断がつかなかった。
コメント
1件
よかった……与太と飴屋がお互いの本名を教え合うシーン、すごく好きだな。飴屋が「リト」って名乗ったときの空気感とか、与太が「テツ」って呼ばれて心臓跳ねるのも全部刺さったよ。ラストの「迎えに来る」約束が、この荒んだ世界の中でただ一つだけの希望みたいで、切なくてあったかい……続きがすごく気になる🌙