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午後の仕事は、有賀さんについて外回りだった。
顧客に試作品を届けるのと、その後の生産に関する細かな打ち合わせ。
予定よりも長引いてしまい、オフィスビルを出たのは日が落ちかけた頃だった。
「疲れたね」
有賀さんが首をポキポキと鳴らしながら言う。
「思ったより長い打ち合わせになりましたね」
「ちょっと早いけど今日は直帰してもいいよ」
「あっ、私は戻ります。書類の整理もしたいし……」
「そうか、秋野さんは仕事熱心だね」
「いえ、ただ作業が遅れているだけですよ」
何だか気まずくなってしまう。
会社に戻る一番の理由は、雪斗と話したいからだから。
早く昼間の事を聞きたかった。
そう言えば……有賀さんは水原さんの件について何か知らないかな?
「有賀さん、あの……」
「どうしたの?」
「……いえ、すみません、何でもないです」
やっぱりプライベートの質問をすのはよくないよね。それも恋愛関係の事を話せる程有賀さんと親しい訳じゃないし、あまりしつこく聞いたら不審に思われてしまうかもしれないし。
それに雪斗から話してくれるのを待つと決めたのだもの。
エレベータの扉が左右に開くと、目の前に雪斗が居た。
「……!」
予想していなかった遭遇に驚き声が出ない私を見て、雪斗がふっと微笑んだ。
「お疲れさま」
「お、お疲れ様です」
「お疲れさま。藤原たちはこれから会議なのか?」
私に続き、有賀さんが口を開くと、雪斗の隣にいた真壁さんが最近見たことの無いような機嫌良さそうな笑顔で答える。
「そうなんです、この時間しかメンバーが集まらなくて」
「そうか。大変だね」
「一番大変なのは藤原君ですけどね」
真壁さんが雪斗にちらりと視線を送る。けれど彼はそれには反応せずに、私に向かってとても自然な口調で言う。
「さっきメール送っておいたから見ておいて」
「あ、はい……」
真壁さんの不服そうな冷ややかな視線を感じて、何も質問できないまま頷く。
雪斗は満足した様子で真壁さんを引きつれ、会議室に向かった。
席に着き直ぐにメールを開いた。
受信メールが二十件溜まっていたけれど、一番に雪斗のメールを開く。
《 九時にいつもの店で》
……これって待ち合わせって事だよね?
昼間の件を話してくれるのかな。
九時迄にはまだ大分時間が有るから、雪斗を待つ間に自分の仕事を片付ける事に集中した。
残りのメールを確認して、机の上に積まれていた書類を処理して、気が付けば八時を少し過ぎたところだった。
少し早いけど店は会社から少し離れた所だし、身支度も有るからパソコンの電源を落としてフロアを出た。
予想通り雪斗は九時ぴったりに店に来た。
黒いコートを翻す様に歩く姿は周りの目を引き、もう見慣れたはずなのに、時々見とれてしまう。
ぼんやりとした視線を送る私に、雪斗は不思議そうな顔をした。
「どうかしたのか?」
「ううん。何でもない」
見とれてましたなんて、正直に言うのはちょっと悔しくて話題を変える。
「仕事大丈夫だったの?」
「まあ……やることは山積みだけど、早く話さないと美月の怒りが爆発するだろ?」
怒りって……。
「怒ってなんかないけど」
ただただショックだっただけだし。
「昼、恐い顔して見てただろ?」
「あれは……」
さり気なく見た気でいたはずが、完全に気付かれていたなんて!
「凄いプレッシャーで、俺ビクビクしてたからな」
絶対に嘘だと思う。
ビクビクしてる雪斗なんて見た事ないもの。
「……それで水原さんと何してたの?」
聞きづらい、なんてうじうじしていた割には、勢いであっさり核心に触れてしまった。
「彼女に呼び出されたんだよ。今夜って言われたけど時間無いから昼にしてって言って待ち合わせた」
「呼び出されたって、どうして? 何の話で?」
雪斗もどうしてあっさり応じてしまうの?
「落ち着けよ」
「無理でしょ?」
「ちゃんと話すから最後まで聞けよ」
「……」
「電話来た時、用件は曖昧だったんだよ。何か企んでるだろうなって思ったから、直接会って様子見た方がいいと思った」
「それで……結局何の用だったの?」
当然、探りを入れて水原さんの目的は掴んだんだよね?
「いや、結局はっきりしなかったな。あの女何考えてるか分からないよな」
嘘でしょ? いつもの洞察力はどうしたの?
「じゃあ、ただ仲良くお昼食べただけなの?」
「仲良くなんてしてないだろ?」
雪斗は苦笑いを浮かべて言う。
「そう? 楽しそうに笑ってるの見たけど」
こうして正面から話していると、不安より苛立ちのが勝ってしまう。
つい嫌味を言ってしまう。
でも雪斗は気分を悪くした様子は無く、それどころかニヤリと笑って私を見つめる。
「美月って、結構嫉妬深いな」
「は? いきなり何言ってるの?」
「俺が他の女と居たからヤキモチやいてんだろ?」
確かにそうだけど。
二人の姿が頭から離れない。間違いなく私は嫉妬している。
でもこれはただの嫉妬じゃない。
相手があの水原さんなんだから。
雪斗だってそれは分かってるはずなのに。
悔しさと悲しさとよく分からない感情が湧き上がる。
雪斗はそれにすぐに気付いた様で、急に真面目な顔になった。
「悪い、ふざけすぎた」
「……」
「美月と会いたいって言って来たんだよ」
「え……水原さんが私に?」
「ああ」
「どうして?」
「その目的がはっきりしない。けど立花湊と有賀に頼んだけど断られたって言ってたな」
「湊と有賀さんに?」
有賀さんはそんな事、何も言って無かった。
「有賀は個人的には呼び出せないって断ったらしい、立花湊はどうか知らないけどな」
「……湊は、私と彼女に会って欲しい訳ないよね」
元彼女と今彼女が対面なんて気まずいに決まってる。
しかも、酷い別れ方の私達だし。
私は彼女の事を強烈に意識してるけど、直接の関わりは無い。
連絡先も知らないし、どんな人かもイメージでしか知らない。
それは彼女からしても同じで、私と連絡を取りたいなら誰かに頼るしか無いんだけど。
それにしてもその連絡手段が、湊なのは有り得ないと思う。
湊に断られたから有賀さんってのも……どんな理由をつけて頼んだんだろう。
有賀さんには湊のことは話して無いだろうし。
考えてみれば、湊と水原さんと有賀さんで妙な三角関係になっている。
この先どうするつもりなんだろう。
つい脱線してそんな事を考えてると、雪斗が顔を覗き込んで来た。
「また変なことを考えてるんだろ?」
「え、違うよ。ちょっと三角関係について考えてて」
「……美月と俺と、立花湊か?」
「え、全然違う」
「じゃあ誰だよ?」
雪斗は少し不機嫌そうに言う。
「湊と水原さんと有賀さん」
「はあ……」
雪斗は今度は呆れた様な顔をしてため息を吐いた。
「他人の事あれこれ考えてても仕方無いだろ。自分の事考えろよ」
「うん……そうだね」
雪斗の言う通りだった。
いつまでも拘ってちゃいけない。
でも、そう決心しても何かと心を惑わせる出来事があって、少し進んでも引き戻されてしまう。
やっぱり、水原さんとは一切関わりたくない。
もしかしたら用件は湊の事なのかもしれないけど、でももう私が気にして心配する立場じゃない。
「ねえ、私彼女には会いたくないから。雪斗のところに何か言って来ても応じないでね」
「……分かった」
雪斗は珍しく一瞬迷いながら頷いた。
「どうかしたの?」
「いや、ただ……何だったんだろうな。彼女の用件は」
「……あれこれ考えても仕方無いって言ったのは雪斗でしょ?」
「そうだな」
雪斗は何か考える様に、視線を落とした。
どうしたんだろう。
いつもより何となく力無く感じる。
心配していると雪斗は何か決心した様な表情の顔を上げた。
「美月」
「どうしたの?」
「一緒に住まないか?」
「え……」
雪斗の口から出た言葉の意味が一瞬理解出来なかった。
全くの予想外で、絶対に無い事だと思ってたから。
「……嫌か?」
嫌じゃない。だって私はもう自覚している。
雪斗を好きだって……側に居たいと思う。でも雪斗は……。
「悪い。急すぎるよな、美月は同棲で嫌な思いしたのに」
私が黙っているから、雪斗は気まずそうに言った。そうじゃなくて……。
「気がかりが多くて焦ったのかもしれない。今のは無しな」
いつもの笑顔に戻り言う雪斗に、私の方が焦って上擦った声を出す。
「待って、そうじゃなくて」
「どうしたんだよ?」
「……雪斗は嫌じゃないの? 私と一緒に住んで平気なの?」
「は? 何で嫌って発想になるんだよ?」
「……」
だって一緒に住んだら、お互い今よりもっといろいろな姿が見えて来る。
楽しい関係ばかりじゃいられないだろうし、何よりプライバシーに深く踏み込むことになる。
雪斗はそれに耐えられるのかな?
「俺は困る事なんて無い」
雪斗は私の様子を窺うように言う。
「美月には有るのか?」
「無いけど……でも雪斗は私を今より身近に置いていいの?」
眉をひそめる雪斗。
私は緊張して苦しくなる。
ずっと言いたくて、聞きたくて、でも口に出せなかった事を言おうとしてるから。
答えが恐い、でもはっきりさせないと一緒になんて住めないし、この先に進めない。
「雪斗と私は、お互い寂しさを忘れる為に付き合ったんだよ。それなのに一緒に住めるの? 生活になったらきっと嫌な事も有る、楽しい事ばかりじゃないよ?」
心臓が音を立てて、波打った。
雪斗は何て答えるの?
私の話はちゃんと聞いてくれてたみたいだけど、何を考えてるのかは読み取れない。
一秒が長く感じる。
私……何て言われるの?