「あ……」
何も言えなくなって、かわいい笑顔を見つめていると、玲がほっとしたように言った。
「でも、よかった。仁太くんに嫌われたわけじゃなかったんだ」
「そんな、玲くんを嫌いになるわけないよ」
好きで好きでたまらないから、ずっと辛くて苦しかったのだ。
「でも」
「うん?」
仁太は、思い切って聞いてみる。
「あの日、兄ちゃんに薬を持って行ったとき、どうして何を話したか教えてくれなかったの?」
「それは……」
うつむいた玲は、頬を染めながら言った。
「照れくさかったからだよ」
「……照れくさかった?」
「うん。仁太くんのこと、いっぱい話したから」
「僕の、こと?」
「仁太くんがとっても優しいこととか、仲良くなれて、すごくうれしいこととか、いろいろ……」
玲は、これ以上は無理だというように横を向いてしまった。
仁太は、シャツの胸元をぎゅっと握りしめる。あぁ、幸せだ。幸せ過ぎる……。
別にケンカをしたわけではないが、しばらくギクシャクしていたことは確かなので、仁太は仲直りの意味も込めて提案をした。
「気分直しに、何か楽しいことしない?」
「うん」
「そうだなぁ……。今日これから、どこかに行くのはどう?」
「うん、行きたい!」
玲が笑顔でうなずいた。
とりあえず、今日は外で食事をすることにして、二人は着替えて家を出た。兄と話したりしていたので、もう昼が近い。
駅に向かって歩きながら、玲が言った。
「お姉さん、僕たちのぶんもお昼ご飯の用意してたんじゃないかなぁ。だったら悪かったんじゃない?」
「大丈夫だよ。父さんたちも、急に夕食キャンセルしたり、逆に急に帰って来ることもあるし、姉ちゃんはそういうのに慣れてるから」
「そうか。お姉さんってすごいね」
「うん。姉ちゃんがお嫁に行ってた時期は、ご飯とか洗濯とか自分でいろいろやったりして、けっこう大変だったんだ。
そのときは僕も、姉ちゃんのありがたみをひしひしと感じたけど、出戻って来たら、またすぐに姉ちゃんに丸投げするようになっちゃった」
姉は昔から元気で明るくて、落ち込んでいるのを見たことがない。結婚をして、離婚したのだから、それなりに辛いこともあったのだろうが、それについて愚痴を言うこともなく、せっせと仁太たちの世話を焼いてくれる。
口には出さないが、姉には感謝しているし、そういう姉のことを気遣える玲も素敵だと思う。
早めにレストランに入ったのは正解だった。二人が席に着き、注文を終えた頃から、店内はどんどん混み始めた。
外の通りを行く人たちを眺めながら、二人はパスタを頬張る。仁太は聞いた。
「これからどうする? 映画でも見る?」
近くにシネコンがあるのだ。話題のアクション映画も、人気のアニメも上映中のはずだ。
だが、玲は浮かない顔で言った。
「あの、僕、映画はあんまり……」
「え? そうなの?」
「別に、仁太くんが見たい映画があるならいいんだけど」
「いや、特に見たいものがあるわけじゃないよ。ほかに行きたいところがあるなら行こう」
玲と一緒ならば、別にどこでもいいのだ。だが、玲はまだ何か言いたそうにしている。
「玲くん?」
ややあって、玲は話し始めた。
「あのね、仁太くんには僕のこと知ってほしいから言うけど、映画とか、ほかにもいろいろ苦手なものがあって」
「そうなの? 僕も玲くんのこと知りたいから、教えて」
「暴力シーンとか、人が大きな声を出したり怒ったりするの、画面の中のことでも怖くて……」
「あっ、そうなんだ」
それで風景の動画だったのかと思い至る。そういえば、マンションに行ったときも、仁太が思わず大きな声を出すと、びくりと肩を震わせていたっけ。
それは多分、父親に暴力を振るわれていたことと関係しているのだろう。
仁太は、自分の無神経さを悔いる。
「気がつかなくてごめん」
「うぅん。僕こそ面倒くさくてごめんね」
「そんなことないよ。言ってくれてよかったよ」
さらに尋ねると、玲は、テレビドラマやニュース、物によっては小説なども苦手なのだと言った。だから、滅多にテレビは見ないのだと。
確かに、痛ましい事件の報道を見たり、文章であっても残酷な描写を読むのは、決していい気持ちはしない。
だが、苦手がたくさんあるのは大変そうだ。仁太は、これといった試練もトラウマもなく、呑気に育った自分は幸運なのだと思い知る。
「じゃあ、玲くんの好きなものは?」
玲は考え考え答えてくれる。
「まずはパンダでしょ」
その答えに仁太は微笑む。
「それから、動物はだいたい好きだよ。あぁ、でも、虫はちょっと苦手かな」
「それは僕も。爬虫類系は?」
「まぁ、見るだけなら。あと、植物もけっこう好きかも」
仁太は、ふと思い出して言った。
「校外学習で植物園に行ったよね」
「そうだね」
あのときは、まだほとんど話したこともなかったけれど、こっそり撮った写真は今も宝物だ。そこで仁太は、また思いつく。
「あの植物園に行ってみようか」
「あっ、いいね」
「そうする?」
「うん」
「じゃあ、急いで食べちゃおう」
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