ア・ラ・モード杯が終わってベル、ロージーと別れた翌日。
私は宮殿でショコラと言葉を交わしていた。
「え? ダンジョンですの?」
「うん、あの時のスタンピードってたしか魔泉に乱れがあったから発見できたんでしょ。だったら、治めてから出発しようかなって」
かつてラモード王国にスタンピードをもたらしたダンジョン。
スタンピードが引き起こされるまで未発見だったそれは、魔泉の乱れにより活性化したことで発見された。
魔泉に乱れがあることは確定しているのだから、それを放置してこの街を発つのは気が引けたのだ。
私たちが魔泉の乱れを治めることができるのはショコラだって知っているし、信じてもくれたのだが、あまり反応は良くなかった。
「迷惑かな?」
不安に思ってそう問い掛けると、彼女はブンブンと首を勢いよく横に振った。
「いえ、いいえ! 迷惑などありえませんわ! ですが……あのダンジョンは少し厄介ですの」
ショコラ曰く、そのダンジョンの最下層は文字通りの“迷宮”。
複数の部屋や通路によって入り組んでいるまさに迷路のような構造をしており、トラップや魔物も数多く配置されているそうだ。
さらに厄介なのは、頻繁に迷宮の構造が変わってしまうということなのだとか。それもまるで迷宮が生きているかのように。
最下層以外は一般的なダンジョンと同じで、階層ごとに環境が変わっていくものだ。
それらは軍によってほぼ制圧されているらしく、その状態を維持するのは大変ではあるものの、危険はほとんどないとのことだった。
「奥に何があるのかすら分かっていないのです。ユウヒ様方の実力を疑っているわけではありませんが、危険すぎますわ」
「そうかもしれないけど、いつかはやらないといけないことだからさ」
ダンジョンの制圧だって相当な兵力を要することのはずだ。
魔泉の乱れがなくなった方が、王国としても助かるだろう。
――だから、今から治めるのだ。
「……個人的には、そんな危険な場所に友人であるユウヒ様を送り出すことに抵抗がありますわ。……ですがラモードの王族としては、ユウヒ様に治めていただきたいと思っております」
ショコラは私の目をまっすぐ見つめてくる。
「ユウヒ・アリアケ様。どうか、王国のためにその御力をお貸しくださいませ」
彼女はこの国の王女としての決断を下した。だったら、私はそれに答えるだけだ。
◇
「この先は我々でも見当がつかない未知の領域です。くれぐれもお気を付けください」
「はい。案内、ありがとうございました」
ダンジョンの最下層、迷宮の前で案内を務めていてくれた兵士に見送られる形で最下層へと降りていく。
恐らくは迷宮を越えた先で魔素鎮めを行うことになるだろう。
そうして降りた先は聞いていた通り、本当に迷宮になっていた。
ただ変なのは、天井に一定間隔で光源があることだろうか。それのおかげで明かりがなくても見えるのはありがたいのだが。
通路の左右には壁があり、それが天井まで続いているのだから迷宮の上から出口を目指すということもできそうにない。
仕方なくそのまま歩いていくとT字路に行き着く。
「ど、どっちに行くの?」
最悪、右手を壁に添えて歩いていくといつかゴールに着けそうなものだが、それでは時間が掛かり過ぎる上にトラップを網羅してしまう。
こんな時に頼りになるのはノドカだ。
入り組んでいるため、風魔法で先を見通すのも大変そうだが、上手く風の流れを読んでくれれば行き止まりを避けることができる。
「左は~部屋がありますよ~。右は~…………行き止まり~」
決まりだ。私たちは左の道を進んだ。
進んできた道が分からなくなることを避けるために、地上で買っておいた毛糸を垂らしていく。地味だが、これが迷わないためには効果的だ。
「足元、トラップだよ! 気を付けてね」
先頭を歩いていたダンゴがあからさまに踏んではいけない場所を指摘する。
だが、それを避けるために壁に沿って進んだ時――私の手が壁に触れてしまった。
すると壁の一部が沈みこみ、カチッと音が鳴る。
――やってしまった。
「……ッ! ダンゴ!」
「うん!」
殿を務めていて、私がミスしたことにすぐに気付いたコウカが先頭のダンゴに注意を促す。
次の瞬間、前方および後方から数本の矢が飛来してくる。
前方からの矢はダンゴが盾で防ぎ、後方はコウカが剣で叩き落としてくれた。
「もう、気をつけてよね」
「ご、ごめんね」
一難去って、全員がホッと息を吐くと今度はヒバナからジトっとした視線を向けられた。
おのれ、ダンジョン。あからさまな罠に視線を誘導させて、壁の罠に気付かないようにするとはなんという策士だ。
「あ~、前から~魔物さんが~来ます~」
やはり魔物も徘徊しているらしい。
通路で戦うことになるため、無視することはできないから面倒そうだ。
「通路なら相手も逃げ道がないから余裕じゃない」
そう言ってヒバナが数発の火弾を前方に撃ち込んだ。すると前方から断末魔が聞こえてくる。
……前言撤回、彼女の言うように通路での戦いの方が楽かもしれない。
そうしてさらに注意深く進んでいくと、最初にノドカが言っていた部屋へと辿り着いた。
どうやら部屋の中には複数体の魔物が待ち構えているらしい。
「いつも通りでいいんだよね!」
「トラップには注意してくださいね!」
ダンゴとコウカ、そしてアンヤが前方へと躍り出る。
私は下手に動いてトラップを踏むのが怖いので、部屋に入ってから1歩も動いていない。
前者2人は大きな蛇の魔物、バシリスクを相手にするらしい。
その他、大勢のリザードマンという二足歩行の大きなトカゲのような魔物はアンヤが1人で相手取る。
彼らに向かって駆け出していったアンヤの左手に黒い靄が集まり、それが晴れたときには彼女の左手には3本の黒いナイフが握られていた。
そして彼女はそれらを1体のリザードマンに向けて投擲する。
迫ってくるナイフのうち1本を持っていたサーベルで叩き落とし、残りを盾で防ごうとしたリザードマンだったが、サーベルで叩き落とそうとしたナイフが触れた瞬間に霧散したことに動揺してしまう。
続いて迫るナイフはリザードマンの胴体に直撃するが、それも霧散してしまった。
最初は何が起こっているのか理解できていない様子のリザードマンだったが、自分の体には影響がないことを確認すると気にするのをやめたようだ。
今度は両手に3本ずつの黒いナイフを用意したアンヤは、6体のリザードマンに向かって1本ずつ投擲していく。
先ほど、何事もなかったことを確認していた仲間のリザードマンもそのナイフは無害であると学習し、歩みを止めない。
――だがそれこそがアンヤの狙いだった。
リザードマンの胴体に迫った黒いナイフが今度は触れても霧散することなく、彼らの胴体の中心へと深々と突き刺さった。
仲間がそれに気付き、慌てて防ごうとしたが、さらに2体のリザードマンも防御に間に合わずに息絶える。
彼らに突き刺さったナイフはいつまでも消えることがない実物のナイフだった。
主に影を使った翻弄、それがアンヤの基本的な戦い方だ。
再度、投げられたナイフをリザードマンたちは仮に本物だった時のことを考えて、避けるか防ぐしか手立てがなくなる。
先ほどは相手に認識を植え付けるために敢えて影と実物を分けて投げたようだが、実際はそれらが織り交ぜられながら飛んでくるので、相手としてはどうしようもないはずだ。
だが、それだけではない。
無駄な回避行動を取らされたリザードマンのうちの1体にアンヤが迫り、蹴りつけた。
あの子はさらにその勢いで後退しながら後方宙返りし、2本のナイフを投げつけることで仕留める。
そこに別のリザードマンが駆け付け、アンヤを切りつけようとした――その時だった。
アンヤの姿が地面に溶けるように消えたのだ。
そして次の瞬間には切りつけようとしたリザードマンの足元から不意に現れて背後に回り込んでは、その胴体に黒い剣を突き立てた。
影潜りと影の実体化。
現在のアンヤの制御能力では、実体化はそれほど自由に使えるわけではないらしいが、短時間の間なら可能ではあった。
そして実体化した影はその形によって性質を変える。剣なら相手を切り裂くことができるのだ。
そこからは、まさにアンヤの独擅場だった。
急に現れるナイフを目の前に突き立てられては止まらざるを得ないし、取り囲んだとしても影に潜られてしまえば逆に勢い余っての同士討ちを警戒しなければならない。
彼らも戦いづらさを感じているはずだ。
その性質上、彼女の攻撃をものともしない相手は苦手だが、その戦法が通用する相手だと乱戦になっても十分に立ち回れるのがアンヤの強みだった。
「【アクア・スパイラル】」
「【フレイム・ウォール】」
私がアンヤの戦いを見守っているうちに他の魔物もシズクとヒバナで片付けてしまったらしい。
大きな渦で魔物たちを掻き集め、それらを囲うように円形の炎の壁が出現。少しずつ狭まっていくことで中にいた魔物たちがまとめて焼き尽くされてしまった。
今のような簡単な連携であれば、彼女たちは特に打合せなどしなくとも息をするように実行できる。流石だとしかいいようがない。
どうやらバシリスクを相手にしていた2人も無事に倒せたようだ。
最後にアンヤに視線を戻すと、ちょうど最後のリザードマンへ剣を突き立てるところだった。
「ま、魔物が多くなってきたね……」
「魔力だってただじゃないんだから、いい加減にしてほしいわね」
先に進むごとに通路での戦闘も多くなっていく。
多分、迷路の出口に近付いているからだとは思う。
「トラップ発見! 主様、気を付けて!」
「ど、どうして私だけ……」
「だって、いつも踏むのは主様だよ」
しれっとそんなことを言われたのは、流石にショックだった。
私、そんなにドジに見えるだろうか。……たしかに吊り天井の罠とか壁の中から魔物が出てくる罠とか、踏んだのは私だけどさ。
その他にも踏んだ落とし穴と毒ガスは焦ったな。どっちもノドカが居なかったら危なかった。
何食わぬ顔をしながら隣でチョコレートを食べているアンヤが軽々とトラップを回避していくのが羨ましい。
そうして私が羨望の目でアンヤを眺めていた――その時だった。通路を歩いていた私たちを突如発生した大きな揺れと轟音が襲う。
「な、なに!?」
「み、見て! ダンジョンが!」
急に目の前の道に壁が現れ、封鎖されてしまう。
だがその代わりに右側の壁が取り除かれ、新たな道ができた。
これがショコラの言っていた構造の変化だというのか。
そんなことを考えている間も揺れは中々収まらず、私たちは転倒しないようにどうにかバランスを保とうとする。
「あっ!?」
「どうしたの!?」
誰かが、大きな声を上げた。
振り返るとヒバナが青ざめた顔である一点を集中して見つめている。
彼女の視線の先には壁についた彼女の手。だが、触れている壁はその一角だけが沈みこんでいた。……そうトラップである。
――構造が変化している最中もトラップは作動するの!?
ハッキリ言って、反則だと思う。
私たちの間に何とも言えない雰囲気が漂っていると、今の揺れとは別の揺れが近付いてくる。
そして、後方の角から出てきたのは通路を覆いつくすほどの大きな丸い岩。
その岩が私たちの方へ向かって勢いよく転がって来ていた。
「だ、ダンゴ、前! 走って!」
ポカンと口を開けてそれを眺めていたダンゴの背中を軽く押すと、彼女は頭を振って走り出し、私たちもその後に続く。
揺れの中を走っているため、左右の壁へと身体をぶつけながらでないとまっすぐ走れない。
そのため、トラップを気にする余裕はなかった。
「まずっ!?」
「え?」
慌てたような声が聞こえ、咄嗟に後ろを振り返ると最後尾から2番目に走っていたヒバナが態勢を崩し、転んでしまっていた。
彼女のすぐそばの壁を見るとトラップの感圧板があることからあの子はあれに気付いて、避けようとした際に転んだのだと分かった。
駆けていた勢いのまま、ヒバナの前に出てしまったコウカも慌てて振り返る。
そして私をはじめ、即座に動くことのできた者たちが彼女を立ち上がらせるために近付こうとするが、揺れが酷いせいで上手く近寄ることすらできない。
――その時、最悪なことにヒバナの頭上の天井が動いた。
ダンジョンが壁を作ろうとしているのだ。
「上!」
「――ッ!?」
天上を見上げたヒバナの顔が驚愕に染まる。
後方からは岩、頭上には壁。その壁は彼女の身体の丁度真ん中あたりに目掛けて降りてきている。
どちらにせよ、立ち上がってこちらに来ないと迫ってくる岩か壁に押しつぶされてしまう。
ヒバナは恐怖を顔に張り付けながらがむしゃらに立ち上がろうとするが、揺れが酷くなったせいですぐにバランスを崩してしまっている。
それは私たちも同様だった。
唯一揺れを物ともしないノドカが私の肩を掴んでいた手を離し、ヒバナ救出へと動くがあの子の飛ぶ速度は決して速くはない。
このタイミングでは到底、間に合わない。
――そうして、あの子のすぐ近くまで壁が迫っていたその時だ。
「ヒバナッ!」
地面を蹴ったコウカがヒバナに向かって飛び込んだのだ。
そのまま彼女は空中でヒバナの身体を抱きとめ、勢い付いたまま壁の向こうへと2人の姿が消える。
最後に見えたのは、そんな2人の奥から迫ってきている大岩の存在だった。
「コウカ! ヒバナ!」
「いやっ、ひーちゃんッ!」
一際、大きな音と揺れが壁の奥から伝わってくる。
だが、それを境に揺れも音も次第に治まっていった。
揺れも音も治まったというのに、ちっとも気が晴れない。
私たちは騒然としてしまう。
「ひーちゃん! ひーちゃん!」
「姉様! そんな……ッ!」
シズクが2人の消えた壁に縋り付き、泣きながら叫び続ける。
ダンゴも悲痛な表情だ、恐らく私も。ノドカとアンヤだって呆然と佇み、ずっと壁を見つめていた。
こんなこと、嘘だと言いたい。言ってほしい。
――いや、違う。
「生きてる! 2人は無事だよ、魔力経路が繋がってる!」
私とあの子たちの魔力経路は生きていた。それは2人が生きていることを意味している。
身体の再生のために魔力を使っている形跡もない。どうやったのかは知らないが、あの子たちは難を逃れたのだ。
壁を隔てているせいで《以心伝心》のスキルは使えないが、相手が無事なら絶対にどこかで合流できる。
「よかったぁ……姉様たち、無事だった……」
「うぅ~……本当に~よかった~……」
最悪の状況は回避されていたことで、みんなもホッと息をなでおろしていた。
だが――。
「ひーちゃん! いやっ、ひーちゃん……っ!」
「シズク?」
シズクだけは酷く取り乱したままだった。
分断された壁に縋り付いて、悲痛に塗れた声でヒバナの名前を呼び続けている。
それは見ている側の胸が締め付けられてしまうような光景だった。
「シズク、大丈夫。ヒバナは無事だから!」
「そうだよ姉様、大丈夫だよ!」
駄目だ、私とダンゴの声が届いていない。彼女の顔にはまさに絶望しか浮かんでいなかったのだ。
きっと今の彼女の心は外からの声さえ受け入れられないほどに固く閉ざされようとしている。
――そんなの駄目だ。
私は彼女の身体を強引に抱きしめる。
「いやっ、やめて! ひーちゃんから――」
「あの壁はヒバナじゃない! ヒバナは――」
「聞きたくない!」
腕の中でシズクが暴れる。
スライムが持っている力で暴れられると私も危ないのだが、すぐさまみんなが駆け付けてシズクを抑えてくれた。
「生きてる! ヒバナは生きてるんだよ!」
「いやっ!」
――声が届かない……いや、そんなことがあるものか。
もう私が体を抑える必要がないので、両手を彼女の顔に添えて強引に目線を合わせる。
「見て、私を見てっ! ちゃんと聞いて! 信じてってば!」
「――ッ」
彼女の顔に自分の顔をグッと近づける。鼻と鼻がくっつくくらいの距離で彼女の瞳しか見えない。
その状態を維持していると、やがて淀んだ目に澄んだ光が戻ってきた。
暴れることをやめたシズクの手足が解放される。
私は決して彼女の目から視線を逸らさずにゆっくりと言い聞かせるように語り掛ける。
「生きてるよ。ヒバナも、コウカも」
「ほんと……?」
「絶対に絶対、本当だよ。信じてくれる?」
数秒の間を置いて、控えめではあったもののシズクは確かに頷いてくれた。
これでひとまず大丈夫だと判断した私はシズクから顔を離し、立ち上がる。そして座り込んでいた彼女の手を取って立ち上がらせた。
ヒバナが生きているのは分かってくれたみたいだが依然として彼女の表情は暗く、俯いてしまっている。
シズクの精神面は非常に心配だが、今はここで立ち止まっているわけにはいかない。
「もう道がわからなくなっちゃったけど、あの2人も入口か出口のどちらかを目指すはず。だから、無事に合流するためにも私たちは前に進み続けよう」
みんなが私の言葉に頷いてくれる。
来た道を戻ろうにも道そのものが消えてしまっているのだから、進むしかない。
あとは私たちと彼女たちが無事にこの迷宮を抜けて、合流できることを祈るだけだった。
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