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どうかこの一瞬だけは貴方が世の中のしがらみから解放されますように。
どうかこの夜だけは貴方が他人と自分を比べませんように。
どうか太陽が昇る頃には貴方の心にあったモヤが、少しは晴れますように。
世界が定義した「正しさ」をこの小さな背中に乗せて、周りの目を気にして、本当の自分を見失って、しかしボロボロの貴方を見て世界はさも当然かのように「辛いフリ」と断定し、心配などしてくれない。
私自身でさえ「あの人だって辛いんだ、私も頑張らねば」と己の心に鞭を打ち、昇るのを恐れる太陽に立ち向かう。
死にたいわけではない。
明日が怖いわけでもない。
夜、布団に入った時に何故だか胸の付け根が息苦しくなるのだ。
理由もなくスマホを手に取り、失った今日を画面から探す。
たとえ優しい友人が「辛いよね」、「大丈夫?」と声をかけてくれたとしても彼らはどこまで行っても他人なのだ。
家族もみんな私自身ではなく、私以外の誰かでしかないのだ。
SNSでは日々強い言葉が投げられ続けている「こうあるべきだ」、「これをしないといけない」と、私を矯正しようとしてくる。
彼らの話すことを実行しなければ私は不幸になるとでも言うのだろうか。
彼らの言うことは全て正しいのか。
だが、様々なことから逃げ続けてきた私が彼らに反論することはできない。
きっと世界は彼らを正しいとしているからだ。
成功者はそれ以外を敗者と認識しているのだろうか。
それとも彼らの言葉は完全な善意なのだろうか。
それこそ、私では理解できるはずがない。
現に私は今も逃げ続けている。
友人が悪口を言われているのを否定できなかった。
今日やろうと決めたことを全くできなかった。
「たまにはそんな日があってもいい」と優しい人々は言うだろうが、そんな言葉が聞きたいわけではない。
ではどうして欲しいのだろうか。
私にもわからないのだ。
「貴方がどう思っているのか、教えて」と先生は言う。
私の心をただの言葉で表すのが、どれほど難しく、苦痛になるのか、あの人は知らない。
感情を言語化すれば、どこかで話がズレてしまう。
そのズレた話が他人によって解釈されれば、まったく異なるものになってしまうのだ。
それがまた辛いのだ。
まるで私が嘘をついたように感じてしまうからだ。
私は強くあらねばならないのだろうか。
相変わらず世界は「らしくあれ」と言い、誰彼の中に巣食う「らしさ」を強要してくる。
私の心は私にしか理解できないし、させたくもないのだ。
少し捻くれてるだろうか。
しかし私には、私を理解し私を定義する義務がある。
そして、他の誰にも、私を理解し私を定義する権利はない。
でも、理解・定義は簡単ではない。
長い時間がかかる。
もしかしたら一生できないかもしれない。
春の冷たい風に、暖かな太陽が差し込んでいるような、晴れ晴れとした香りを胸で感じることはないかもしれない。
だから私は、「自堕落と後悔に塗れてこそ、一生に一度の人生」と思うことにしている。
私は善人であることはできない。
私は自律した人であることはできない。
私は他人の定義した私ではいられない。
どうせどこかで限界が来るのだ。
だからこの文章を残す。
何度でも読み返すのだ。
人生の最後になるべく多くの人に迷惑をかけて死ぬ。
これが私の夢なのだ。