「ぅえぇ、けほっ”、がほっ」
鼻を塞ぎたくなる様な酷い酸の匂いが充満した個室の中、青年は一人苦しそうに喘いでいた。
「うゔ、はぁ、、、うっ!」
「かはぁっ、げふっ、ぐぅぅ、、、」
もう治ったかと思った吐き気が僕に襲いかかる。酷い味がした。ゴポゴポと胃の中身を便器にぶち撒ける、気持ち悪い。
「かひゅ、はふ」
やっと治ったかと思えば、次は視界が歪んだ、ボロボロと目から涙が零れ落ちた。喉がきゅうとなった、息苦しい、肺が痛い。
ぐしぐしと涙を手の甲で拭った、視界の先に見える汚い吐瀉物にボロボロの、僕に似た誰かが写った。見え辛くて眼を凝らした、その刹那。
『ははははははは!』
音が、聴き慣れた不快な音が、耳を突き刺した。
『がははははは!あっはははは!』
下劣な男の嗤い声、甲高くてうるさい女の嘲笑う声が僕の脳味噌の中で響き渡った。うるさい、うるさい。
「うるざぃ、、、」
黙れ、黙ってくれ。
手を組んでそう祈っても、音は止まらない。僕の耳に、脳にずっと蹂躙して、消えてくれない。
「だま、れ」
掠れた声で吐き出した。
『ふはははははは!うはははは!』
その声すらも、波の様に襲い掛かるソレに飲み込まれてしまった。
声は、青年の涙が枯れるまでずっとずっと青年を嘲笑い続けた。
嗤い声も雨の様な涙も止んだ頃、青年はふらりと立ち上がり洗面台に向かった。
ふと鏡を見る。誰かが映った、僕の様で僕とは何か違う、左目を包帯で隠した黒衣の男が此方をみて気味悪く笑んだ。そっと口を開く。
『もったいない』
「は、、、?」
どうゆう事だ、そう問おうとした声を飲み込んだ。瞬きの間に男は消えていてその代わりに酷い顔をした僕が映っていた。
嗚呼、なんだ、ただの夢幻か。
薬のせいかな。はぁと深くため息を吐く、駄目だ、どうしてもあの声が忘れられない。騒々しくて不愉快な嗤い声が、ずっと耳に、脳にこびりつく。
明日からも彼奴らを見たら思い出すんだろうな、酷く鮮明に、吐瀉物の色も映ったアレも。普通の人なら一晩寝たら少しは記憶が薄れるだろうに。
どうして昔からこうなんだろうか、いつまでも、いつまでも普通に、普通の人間に混ざれない。馬鹿みたいな量の何のためのものかも分からない苦い錠剤を噛み砕いて飲む事も、キリキリと痛む自傷も、普通の人間ならやらなくて、むしろ嫌悪する筈のソレらを、どうして僕はやめられないんだ。
僕は普通でいたいのに。
こんなんじゃまるで。
僕だけが人じゃないみたいじゃ無いか。
ガリ、と下唇を噛んだ、肉に歯が食い込んで引き抜くとびりびりと痛みが走る。
悔しかった、彼奴らより、人間より下の存在だと不覚にも錯覚してしまった事が、兄達は皆ただのヒトなのに僕だけがおかしいって事も。悔しくてたまらなかった。
ボロボロなソレを鏡越しに睨みつけた、更に醜く見えてしまった。どうしようもない、本当にどうしようもない。
虚しさを洗い流す様に顔に水かける、ふと吐いた溜息は冷たくて儚くて、消えてしまいそうだった。
「オサム」
ビクッ!と肩が跳ねた、ハッと後ろを見遣ったら三番目の兄が心配そうな顔で僕を見ていた。
「どうした、そんなに驚いて」
「あぁ、いや、ちょっとだけボーッとしててね」
ヘラリ、気の良い笑顔を浮かべてみせても彼はまだ不安そうに僕を見つめる、その様子に、少しの罪悪感が心中を咎める。
「大丈夫なのか?最近そういった事が多いが、、、」
「!とゆうかお前、どうしたんだその唇は!?」
え、と情けなく声を漏らし、唇に指で触れる。じんわりと血が染みていた。
「あぁ、ちょっと噛んじゃってさ」
「ちょっとじゃないだろそれは!ああほら血が、、、!」
そっと僕の手を引いて彼は言う。
「来い、治してやる」
ぱち、と瞬いて遠慮の意を伝える。
「良いよ、これくらい」
「唇くらい直ぐ治るし」
「私がやりたいんだ、それに」
頬に手を添えて、優しそうに眉を下げた彼が言う。
「オサムの顔に傷が付いたままなのは、嫌だ」
告げた言葉は甘くて、暖かくて、優しかった。
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続き楽しみに待ってます!!