私は小さい頃から歌が好きだった。
リズミカルなメロディーに乗って、歌詞がわからない歌をデタラメに歌いながら
踊っている私が幼稚園児くらいの映像を見たことがある。私は小さい頃は明るく活発な子で
女の子の中ではどちらかというと男の子っぽく、かけっこも男の子に勝るとも劣らなかった。
通信簿には「紗歌(サカ)ちゃんは誰とでも分け隔てなく仲良くしていて
クラスの中心となっているような子です。聞き分けも良く
どんなことでも受け入れる受容性のあるすごく良い子です」なんて書かれていた。そんな私は今現在26歳。
分け隔てなく…どんなことでも受け入れる、受容性のある紗歌(サカ)ちゃんはもういない。
自堕落な生活を実家で送っている。昼に母の大きなノックで起こされて
ボサボサ髪のまま洗面所へ向かう。酷い顔。ま、いつもと変わんない。歯を磨き、顔を洗う。
母が作ってくれたお昼ご飯を食べる。平日の昼間。流れているバラエティー番組を聞きながら箸を進める。
「すぐ私出るからね。一応鍵閉めていくけど、出掛けるなら鍵持ってってよ?」
「ん」
「あんたまた今日も夜出掛けるの?」
「んー」
「ギターまだ続けてるの?ま、続けるのもいいことだけどね。でもどっかで区切りつけないと。
あんた大学も中退して就職もせずふらふらして。
バイトしたかと思ったら、どのバイトも長続きしないで辞めて」
聞きたくない。私はポケットからイヤホンを取り出して
耳に突っ込み、スマホを取り出して音楽を流す。母の口がパクパクしている。表情から
またこの子は都合が悪くなったらすぐ逃げる。ほら。食事のときくらいイヤホンは外しなさい。
他所行ったとき恥ずかしいでしょ。結婚もできないわよ
的なことを言われているんだろう。聞こえない。
私は聞きたくないこと、見たくないものをシャットアウトして生きてきた。
こうなったのはいつからだろう。私には3歳年下の妹と4歳年下の弟がいた。
昔は「お姉ちゃんお姉ちゃん」とついて回っていた妹も今や立派な社会人。
家を出て会社に近い家で一人暮らしをしている。ま、“一人”暮らしかどうかは知らないが。
4歳年下の弟は私が大学入学してすぐに死んだ。夏だった。中学2年生。一番やんちゃなお年頃だろう。
夏休み友達と夜家を抜け出し、肝試しに行ったらしく、廃屋の屋上から転落したらしい。
私も大学が夏休みで夜遅くまで遊んでいて、帰ってきたときにちょうど家に電話がかかってきた。
「もしもし。遊雅(ゆうが)くんのご家族の方でいらっしゃいますでしょうか?
こちら救急隊の者なんですけど。今お友達の通報で我々駆けつけたんですけども
遊雅(ゆうが)くん屋上から落ちて、全身を強く打ちつけてしまったみたいで」
…
きっと記憶が蓋をした。私は気丈に、しっかり者の長女として電話に対応した。
父と母、妹を起こして病院へ向かった。病院の方々は懸命処置をしてくれた。
だけど助からなかった。父も母も妹も泣き崩れていただろう。もう覚えていない。
私は病んだ。若い子たちが使う「わ〜マジ病むわ〜」の病むではない。本当の闇に入った。
鬱病と診断はされなかった。そもそも病院に行っていないので、そう判断されることもできない。
だが食欲もなく、眠くはなったんだろうがいつ眠ったかもいつ起きたかもわからない。
そんな生活が続き、げっそり痩せて自然と大学にも行かなくなった。
しかし時間というのは本当に残酷なもので、弟がいないという現実も受け入れ始めることができ
お風呂に入る気力もご飯を食べる気力も湧いてきた。
小学生からの親友のサポートもあって再び大学へ通い出し、成人式を迎えた。
ひさしぶりの友達と会ったりして楽しかった。
しかしその年に父が事故にあった。トラックに衝突されたらしい。そのとき電話をとったのも私だった。
幸い命に別状はなかったが、集中治療室に何ヶ月もいて、その間毎日病院へ足を運んだ。
無事命の窮地を脱した父は一般病棟へ移った。
しかし命は助かったとはいえ、目を覚さない父の元へ足を運ぶのは苦しかった。
頭を強く打っており、もしかしたら以前とは別人のように無気力な人間になってしまうかとしれないと
残酷すぎる診断を先生から聞いたとき、なにかを考えてはいるんだろうけど
なにも考えていない、考えられないような、脳や頭の中が変な感じになった。
食欲はなく、病院に行く前、緊張で気持ち悪くなるし、胸が締め付けられるし。
弟のときも父のときも、きっと母が一番辛かっただろう。
でも母はそんな素振り一切見せず、気丈に振る舞っていた。
一般病棟に移り、転院し、数ヶ月後目覚めた父は事故以前の記憶がすっぽり抜け落ちていた。
ドラマやアニメ、マンガのように小さい頃の映像で
「私お父さん大好き!」
と言って笑い合っていた父はもういない。絶望した。脚の筋肉が落ちたため、長い期間のリハビリを経て
無事家へ帰ることを許可された父だが、私の知っている父ではない。
私はもうどうでも良くなった。今世を諦めようとしたことが何度もある。
高いところから落ちようか。しかし弟のことで高所恐怖症になった。
真夜中包丁を手首にあてる。朝ご飯のときのまな板と包丁のあたる音
母の文句まじりの笑い声、弟の少し反抗期に入ってきたか?と思う返事
受験を控えて、疲れていそうな妹、スーツの父。
今世を諦めようとする度に大切で大事で愛する大好きな家族の情景が浮かび、涙が溢れた。
その度部屋に篭って大音量で音楽を聴いた。そして枕に口を埋めて叫んだ。喉が裂けるまでに。
その辛い経験をする度に聞きたくないこと、見たくないものをシャットアウトしてきた。
そう。思えばどんなときも音楽が味方してくれていた。
歌詞も家族の大切さもなにもわかっておらず、ただメロディーにのって踊っていた幼少期も
中学生、初恋の相手にフラれたときも
夏休み女子旅で夕陽が綺麗な海に向かってみんなで歌った高校生のときも
弟のときも父のときも。辛いときは現実から逃げさせてくれて
楽しいときはそこにさらに楽しさを追加してくれた。私はいろいろ調べて、貯金を引き出し
「初心者からプロまで!ギター入門!」や「ボイトレ入門」など参考書やギター、マイク
スピーカー、ケーブルなどを買い漁った。ギターの音を極力抑えるため
ギターの穴、サウンドホールと呼ばれるところにはめるゴム製のアイテムを買い
毎晩毎日ギターを練習しまくった。掌や指の皮が捲れ、痛かったが、絆創膏を巻いて練習し続けた。
好きな歌は弾けるように、歌えるようになった。
夜、真新宿に繰り出して路上で歌うようになった。正直最初は躊躇した。
今日行こうと思ってやめた日が何度もあった。今でも真新宿で歌う前は緊張する。
でもマイク、スピーカーをセッティングし、自分の弾くギターの音とそのメロディーに乗せて歌を歌うと
スッっと緊張は消え、自分の世界へ入ることができる。誰も見てない、聴いてない。
でも全世界の人が見ている、全世界の人が熱狂していると思う。自然と笑える。
笑えるというより自分のカッコ良さに酔える。
同じ真新宿で弾き語りをしている「ウキ」という子と仲良くなった。
彼女は歌手を目指していると宣言していた。カッコいいと思った。
彼女は私をカッコいいと言ってくれたが彼女のほうがよっぽどカッコいい。
彼女に影響されて私も「歌で食べていく」というのが明確な目標となった。
今はMyPipeで好きな曲や「祭之華」さんや「Cassos take ALL」さん
「来世から仕事します!」さんなどの曲を歌わせていただいている。
ずーっとカバーで歌っている。しかし作詞作曲もしている。家でもしているし
真新宿で歌った後、ファミレスでドリンクバーだけで朝まで粘って作詞作曲している。
その日も変わらず真新宿で歌い、ファミレスに行った。
ドリンクバーを頼んで温かいミルクティーを注いで席へ戻る。喉に良い…気がする。
ノートを広げてペンを持つ。スマホでギターのアプリを開いて、イヤホンを耳に突っ込む。
スマホの画面をタップし、耳元で鳴るギターの音を頼りに作曲していく。
よくテレビの音楽番組で「メロディーは不意に湧いてくる」というが
そーゆーときもたしかにある。夜歩いているときに鼻歌でオリジナルメロディーが思いつくときもある。
しかし大概は音を聞いてこの次の音、その次に続く自然な音、そう考えながらメロディーを作っていく。
「んー。んーんー」
スマホでギターの音を鳴らしながら、軽く鼻でもメロディーを先行して作っていく。
「お。お疲れ様でーす」
「あ、お疲れ様です」
「同じテーブルじゃ悪いから隣行こー」
「別にいいですよ」
隣のテーブルへと行ったその人はこのファミレスで出会った芸人さん
「人生Wベット」というコンビ名で活動している
ボケ担当の懸左棘(ケサキ) 李冒艿(りもに)さん。芸名は「りもに」らしい。
相方でツッコミ担当の二津井都(ニツイツ) 運利月(ウリツ)さんともこのファミレスで出会って仲良くなった。
最初は私も芸人さんだと勘違いされた。
たまに歌詞を考えるとき目を瞑って、身振りを加えながら作詞している。
その様子を見てネタを作っている芸人さんだと勘違いされて話しかけてもらった。
お2人は小学生からの幼馴染らしく、お2人とも芸人を目指すため大学を中退し
大学に通っているときにしていたバイトで貯めたお金で芸人養成学校に入って卒業し
そのままその学校の事務所に所属し
月1回の新人のお笑い芸人さんがネタを披露するライブでネタを見せているらしい。
「今日はあれっすか。ウリさんはバイトっすか」
ファミレスのソファーの背もたれの上から覗き込む。
「ん?あ、そうそう。今日はウリがバイト。で、朝にバイト上がりだから朝合流して一緒に帰る」
「なるほど」
「だから朝まで粘ってれば会えるよ」
「別に会いたくて聞いたんじゃないですよ」
「今日も歌ってきたの?」
「歌ってきました」
「どこで歌ってんの?探してんだけど未だにわからん」
「いやいやいや。投げ銭は申し訳ないっすよ。売れてない芸人さんに」
「別に投げ銭しに行くんじゃないよ」
「あ、違うんですか」
「違います。生きていくんで精一杯です」
「新しいネタ作ってる感じですか」
「そうそう。ほぼ毎日新しいネタの案考えてるよ」
「どこ目指してんですか」
「そりゃテレビでしょ。冠番組とか。あとは百舌鳥さんのネタ番組出たいね」
「百舌鳥さんね。面白いですよね。あの同席酒場とかめっちゃおもろいっすもん。マジで嫌なこと忘れる」
「ね!私も目指したいわ。人の嫌な出来事を忘れさせられるような、めちゃくちゃ面白いことして笑わせたい」
「素敵な夢っす」
「あざっす。ワイン1杯飲む?」
「激安ワインっすか?あ、いいっす」
「ここは貰う流れだろ!」
李冒艿(りもに)さんと2人で笑った。その後作詞作曲に戻った。
「んー。んー。んん〜違うか。もう1音上げるか?
…んん〜。その前の音が違和感あるのか?そもそもこのメロディーが違うか」
メロディーが違うってなんだ?
なんてメロディーの正解不正解のゲシュタルト崩壊を起こしながらも続ける。
ドリンクバーに飲み物を取りに行くとき、ちょうど李冒艿(りもに)さんと遭遇して、一緒に席に戻り
「どお?順調?」
「いや、なんかメロディーが間違ってるってなんだ?ってなって一旦全消しして
飲み物を取りに行ったって感じです」
「全消ししたの!?マジ?」
「マジ」
「結構進んでたんじゃないの?」
「あ、いや、そんなに。1小節もいってないくらい?曲によってはまだ前奏くらい」
「大変だねぇ〜」
「だから今MyPipeとかで一気に人気出た曲とかってほんとすごいですよ。
14歳の子が作詞作曲した曲知ってます?」
「もちろん!いい曲だよね。最近カラオケでよく聞くよ」
「そっか。カラオケ店でバイトしてるんですもんね」
「そうそう」
「あの14歳の子は…ま、天才って一言で片付けちゃえば私としても気は楽なんですけど
もし幼少期から自分の作った曲を世に出したいって努力してる子だとしたら、もう…心折れかけますよね」
「あぁ、わかる。めっちゃわかる。
芸人でも若い子がパンッっと跳ねたりするんだよね。あの自衛隊出身の子知ってる?」
「はいぃ〜」
「知ってるね。あの子なんて24とか5だよ?しかも芸歴も短いらしいし」
「らしいですね。めっちゃテレビで見ますもん」
「あんな若くて芸歴も短くて、芸人の芸というよりキャラクターで売れた子とか見ると
あ、なんか今芸人としてネタ作ったり
必死こいてバイトしてる自分って…って全部投げたくなるときあるよね」
「やっぱどのジャンルでもあるんすねぇ〜」
「ね。…ねぇ」
「はい?」
「気づいた?」
「まあ」
そう、李冒艿(りもに)さんとドリンクバーの前で会ってから
席に戻って会話をしているとき、ずっとチラチラと視線を感じる。女の子。
タブレットを見たりこっちを見たりしていた。
「ドリンクバーおかわりーみたいなフリして行ってみる?」
「いっすよー」
今のグラスを空にしてドリンクバーに向かうときにチラッっと振り返って
申し訳ないがタブレットを覗き込んだ。
「えっ、これ私?」
思わず声が出た。
「ちょっ」
李冒艿(りもに)さんに肘で小突かれる。
「あ、すんません。でもこれ」
「あ、え?これ私?」
黒縁丸メガネは李冒艿(りもに)さんだし、Tシャツのデザインは私だし、ほぼ確定で私たちを描いていた。
「え…」
その描いていた張本人はバレた衝撃からか、私たちを見上げて硬直していた。
「これ私たちですよね?」
「なるほど。絵描きさんでしたか。絵師さんと呼ぶべきか」
「あ、すいません!勝手に描いちゃって」
焦って謝る女の子。
「あ、いや、全然謝られることではないですけど」
「勝手に裸にされて、めっちゃ貧乳とかだったら怒ってたかも」
「貧乳じゃん」
「貧乳ちゃうわ!これでもBあるっちゅーねん」
「え、りもさん、やっぱツッコミのほうが合ってんじゃない?」
「いやいや。何度も言ってるけど、私はボケなの。
てか今の聞いたでしょ。ゴリゴリのツッコミ。あんなん今どきないって」
「めっちゃ気まずそう」
女の子を見ると気まずそうに視線を動かしながらも、ペンを持った手を膝に置いて
まるでお説教されているこどものようだった。
「あ、ごめんなさいごめんなさい!別に怒ってるわけじゃなくて」
「そうですそうです。あ、ちょっと座ってもいいですか?」
「え…あ、はい。どうぞ」
「あ、この子の飲み物もないわ。りもさん持ってきてあげて。あ、ついでに私のも」
「あんたさ。私歳上だよね?ちょっとは自分でとか思わないの?」
「いや、私奥側行っちゃったし」
「しゃーないな。なにがいいですか?」
「あ、じゃあオレンジジュースをお願いします」
「はい!かしこまりました!」
「え、りもにさん私には聞かないの?」
「なんでもいいでしょ」
「歌い手の喉を労われよ」
李冒艿(りもに)さんは笑顔でお辞儀をしてドリンクバーへ行った。
「無視だよ」
テーブルを挟んで目の前の女の子を見ると、まだ手を膝に置いて堅いポーズをしていたので
「すいませんすいません。本当に私たち怒ってるわけじゃないので楽にしてください」
「あ、はい…」
ようやくテーブルに手が乗って、堅そうなポーズは崩れた。
「絵師さんやってるんですか?」
「あ、いえ。全然そんなカッコいいものではなくて」
「でもめっちゃうまいですよね。ま、私には到底無理」
「描いてればこれぐらいすぐですよ」
「お待たせー。こちらオレンジジュースです」
「あ、すいません。ありがとうございます」
「いーえー。ほれ」
「雑だな」
ストローを軽く回す。氷が涼しげな音をたてる。嫌な予感がしたがストローから飲み物を吸い上げる。
「まっ…ず!なにこれ」
嫌な予感的中。
「りもちゃん特製ミックスジューチュです!」
「おぉ〜…飲んでみ?」
「ん?どれどれ?ま、そんなマズイわけ…激クソにマッッズ!」
「さすが芸人さん。フリを作るんだね」
李冒艿(りもに)さんはその女の子の前にスーッっとグラスを置いた。
李冒艿(りもに)さんは人差し指を立て無言で「一口」とやる。
その流れを読んでくれたのか、その女の子のストローで一口飲む。
「マズー!」
「今日イチのテンション」
「困難は人と人の結びつきを強くするのだよ」
「誰の名言?」
「私ー」
「あぁ〜。じゃあ、名言じゃなくて迷言だ」
「今喋り言葉で漢字までわかったぞ」
「今の、よりも…っぽい」
「え?」
「なになに?なにっぽい?」
「いや、私の大好きなアニメ、マンガっぽかったなって。誰の言葉?からの私ーってのが」
「なんてタイトルのやつ?」
その女の子にアニメのタイトルを聞いた。
「あ、でもこの作品、南極で行方不明になったお母さんの足跡を辿って
女子高生たちが南極へ行く物語なので、めっちゃ胸が苦しくなりますよ。私毎話泣いてるくらいですもん」
「毎話?そんなアニメあるん?」
「あるんですよ。私7周くらいしてますけど、7周目でも毎話泣いてましたもん」
「7周!?同じアニメを!?」
「はい」
「オタク?」
「になるんですかね」
「なるんじゃないですかね」
「あ、そういえば。私は赤島(アカトウ) 紗歌(サカ)です。よろしくお願いします」
「なに急に」
「いや自己紹介してなかったなって」
「あ、そういえばそうか。私は懸左棘(ケサキ) 李冒艿(りもに)。
変な名前だけど、芸人って職業柄合ってるかも」
「私は万釈迦(バンシャカ) 夢芽灯(ゆめあ)です。私のほうが変な名前なので。芸人さんなんですね」
「相方は今カラオケのバイトでいないんだけどね」
「あ、そうなんですね。…歌い手さんなんですか?」
「あぁ、私?あ、さっきのね。まあぁ〜歌い手って歌い手ではないですね。
ただ路上で歌ってるだけの素人です」
「あ、MyPipeとかニカ動(Nicanica動画の愛称)とかで歌ってみた動画出してるわけじゃないんですね」
「うん。やってみようとは思ったこともあるし、今もたまに思うけど
録音環境がない上に、ほら、動画ってなったらサムネも必要じゃん?だからまあ、動画は出してないね」
「そうだ!描いてもらえば?」
「え?」
「ほら…、苗字覚えてない…夢芽灯(ゆめあ)ちゃんて呼んでいい?」
「あ、はい」
「夢芽灯(ゆめあ)ちゃん絵上手いしさ、サムネ描いてもらって
歌ってみた動画投稿してみればいいじゃん。めっちゃ跳ねるかもよ?」
「そんな簡単に跳ねないっすよ。それに夢芽灯(ゆめあ)ちゃんに悪いでしょ」
「あ、いえ。私の絵が役に立つのであれば。ま、というか私のへたくそな絵でいいんでしたらですけど」
「全然へたくそじゃないでしょ!このレベルでへたくそなら私どうなるの?絵を描く許諾下りんやん」
「まあ私たちに絵の依頼は一生来ないから安心してください。
夢芽灯(ゆめあ)ちゃんが言ってるのはイラスト界の話でしょ。
私も正直歌ってみた動画撮っても、投稿するの躊躇するよねぇ〜。へたくそだし」
「あぁ〜そーゆーことね。それなら私もわかる。周りの子、めっちゃおもしろく感じるもん。
でも芸人は少し違うかな。もちろん周りのピン、コンビ、トリオ
どの芸人もおもしろいって思うし、たまに笑いの大きさに嫉妬したりするけど
心のどっかで自分らが一番おもろい!って思ってるから」
「ハングリー精神だ。カッコよ」
「たしかにカッコいいです」
「褒めるな褒めるな」
「あ、そういえば、今さらなんだけどさ、なんで私たち描いてたの?」
「あ、たしかに。今さらだけどね」
「あ、えぇ〜っと、まあ、端的に言うと絵になったから?」
「え、めっちゃ嬉しいんだけど」
「それな!」
「お2人ともキャラクター性が濃いからイラストに落としやすいっていうか」
「紗歌(サカ)髪の毛真っ赤だし、ピアスばちばちの見た目完全にヤンキーだしね」
「りもにさんは黒縁丸メガネで、それこそマンガとかアニメの世界のガリ勉ですもんね」
「私は芸人だから、それこそキャラ付けですよ」
「え。伊達メガネなんすか?」
「ううん。目はふつーに悪い」
「あ、夢芽灯(ゆめあ)ちゃん何歳?
ふつーにタメ語使ってるけど、場合によっちゃ私が敬語のパターンもあるから」
「22です」
「若っ!あ、全然タメ語でオッケーだわ」
無言の李冒艿(りもに)さんのほうを向く。唖然とした表情で固まっていた。
「あ〜あ。りもさん固まってもうた」
「お2人はおいくつなんですか?」
「私は26歳。でこの動かない石像は2…9だっけ?」
「8だよ!」
「わ!動いた」
石化の魔法が解けたように李冒艿(りもに)さんが動いた。
「大丈夫?石落とさないでね?拾っといてくださいよ?」
「ごめんごめん。あまりの若さに石化してた」
「でもお2人ともまだ20代じゃないですか」
「まあね。りもさんはあと少しでリーチだけど」
「リーチ言うなや」
「夢芽灯(ゆめあ)ちゃんはよくここ来るの?」
「んん〜。よくってほどではないですけど、詰まったときはここに来てます」
「じゃあさ、良かったらでいいんだけどLIME教えてくれない?私よくここ来るから、会えたら会いたいし」
「あ!じゃあ私も!」
ということで3人でLIMEを交換した。李冒艿(りもに)さんのLIMEは前に交換していたので
夢芽灯(ゆめあ)ちゃんのLIMEだけをもらった。
「おぉ〜…お…つ…かれ〜…」
という声のほうを見る。姫カットの髪型で、後ろ髪は腰ほどまで伸びた髪を
左側をピンクに、右側を黄色に染めた女の人が立っていた。
「あ!ゆせせちゃん!お疲れ様です!」
どうやら夢芽灯(ゆめあ)ちゃんの知り合いのようだった。
「あ、お知り合い?ごめんごめん。じゃ、自分らの席に戻るわ。
じゃ、またね、夢芽灯(ゆめあ)ちゃん!出てくださいよ」
「わかってるわかってる。またね!夢芽灯(ゆめあ)ちゃん」
「あ、はい!李冒艿(りもに)さん、紗歌(サカ)さん、また!」
李冒艿(りもに)さんと自分たちの席に戻る。
「いやぁ〜まさかの絵師さんと知り合いになっちゃったね」
「っすねぇ〜。まさか私たちを描いてくれてたとは」
「あとでできたら送ってもらう?」
「いいっすね。あ、お2人の描いて貰えばいいんじゃないですか?人生Wベットの」
「お、いいね」
「ネタ作り進んでます?」
「進んでるわけなくない?今まで夢芽灯(ゆめあ)ちゃんと話してたんだから。紗歌(サカ)もそうだよね?」
「あ、そっすね。作詞作曲一切進んでないっす」
「やらないとな」
「っすね。あ、グループLIME作っときますか」
「お、いいじゃん。うちらと夢芽灯(ゆめあ)ちゃん。
グループ名「ガスイド」にする?うちらが集まるこのファミレスの名前」
「じゃ、そーしときまーす」
グループLIMEを作り、人生Wベットの2人と夢芽灯(ゆめあ)ちゃんを招待した。
グループの名前を私たちがよく利用するファミリーレストラン「ガスイド」にした。
早速人生Wベットの2人と夢芽灯(ゆめあ)ちゃんが入った。
運利月(ウリツ)「なにこのグループ」
李冒艿(りもに)「バイト中じゃないの?」
運利月(ウリツ)「今受付誰もいないし、呼び出しもないから大丈夫」
紗歌(サカ)「ウリさんお疲れ様でーす」
運利月(ウリツ)「さかお疲れー。このグループなに?」
紗歌(サカ)「あぁ、今日知り合った絵師さんがいて
その子もいつものガスイドにいたんで、運命感じてグループ作りました」
運利月(ウリツ)「ほんとさかって変な子だよね」
紗歌(サカ)「お褒めに預かり光栄ですww」
運利月(ウリツ)「1mmくらいは褒めてたわwで、その絵師さんがもう1人の?」
夢芽灯(ゆめあ)「あ、私です。初めまして、万釈迦(バンシャカ) 夢芽灯(ゆめあ)です」
李冒艿(りもに)「あ、苗字そんな漢字なんだ?カッコよ」
紗歌(サカ)「たしかに。釈迦じゃん」
運利月(ウリツ)「あ、初めまして、二津井都(ニツイツ) 運利月(ウリツ)です。
芸人やってます。あ、これ聞いた?」
李冒艿(りもに)「うん言った」
運利月(ウリツ)「あ、なに?今もその3人一緒にいる感じ?」
紗歌(サカ)「いや、ま、一緒のファミレスにはいますけど、テーブルは別です」
運利月(ウリツ)「なるほど?絵師さんか。
ま、私たちがもし単独ライブとかやることになったらポスターのデザイン頼もうか」
李冒艿(りもに)「あ、それいいね。
人生Wベットのイラストも描いて貰えば?ってさかが言ってたんだけど」
運利月(ウリツ)「ポツッターのアイコンにする?」
李冒艿(りもに)「いいんでない?」
紗歌(サカ)「ま、ゆめあちゃんが良ければの話だけど」
夢芽灯(ゆめあ)「私のへたくそな絵で良かったら」
運利月(ウリツ)「マジ!?」
李冒艿(りもに)「やった!ゆめあちゃんマジ絵うまいから」
紗歌(サカ)「うまいうまい」
夢芽灯(ゆめあ)「いやいや、全然ですよ」
そんなやり取りをしながら作詞作曲をする。しかし進まない。進むわけない。
スマホでギターの音を鳴らし、どんなメロディーがいいか考えていると
スマホの上部に通知がどんどん来る。会話内容が気にならないわけない。
気になって会話に参加して、またギターのアプリを開いて作曲しようとしたら
また通知が来て、気になって入っての繰り返し。
ドリンクバーへ行ったりしているとあっという間にファミレスの窓から見える空が白み始めた。
「何時にバイト終わるんすか?」
「ウリ?6時」
「じゃあもうそろだ」
「だねー」
「まだこの時間は暗いっすね」
「まだ4月だしね」
「もう4月でしょ」
「紗歌(サカ)ー、それ言わんで?私が一番実感してるから」
「一番〜実感〜」
「ラップしてないから」
「5月私誕生日なんで。おなしゃーす」
「なにを」
「え?…全然考えてなかった」
「なんだそれ」
そんな話をしているとこの時間に店に来る人が。
「おっすー。お疲れい」
運利月(ウリツ)さんだ。
「ウリさーん。おつかれっすー」
「りもは?」
「隣です」
と言うのと同時に
「隣」
と言いながら背もたれから顔を覗かせる李冒艿(りもに)さん。
「おぉ、真隣」
と言って李冒艿(りもに)さんの席に運利月(ウリツ)さんが座る。
しばらく「ネタどお?進んでる?」とか芸人さんぽい会話をした後、李冒艿(りもに)さんが
「もうお腹タプタプだから飲んで」
と言って運利月(ウリツ)さんに残りを飲ませている。このやり取りが定番化していた。
しかしこれは李冒艿(りもに)さんの優しさなのだ。
この時間から来てドリンクバーを頼むのは、お店側には悪いがコストパフォーマンスが悪い。
無駄なお金がかかる。幸いこの時間はお客さんも少ないため、あくまでも待ち合わせとして利用する。
でもこの時間まで働いてきた運利月(ウリツ)さんのために
「もう飲めないから」という口実で飲み物を1杯支給しているのだ。
その1杯を飲み終わったらファミレスを出る。
そしてその後に続くように私もお会計を済ませてファミレスを出る。
いつもと少し違うのはお会計の前に夢芽灯(ゆめあ)ちゃんに
「またね」
と言ったことくらいだろう。
白み始めた空の元、運利月(ウリツ)さんと李冒艿(りもに)さんと3人で歩き始める。
今までいたファミレスのちょうど裏に公園がある。いつもそこで少し駄弁る。
といっても大概、運利月(ウリツ)さんのタバコに付き合っているだけだが。
今日も今日とてパチンッっという安物のライターの音が響く。
「どっちの子が夢芽灯(ゆめあ)ちゃん?」
「あの黒髪のほう」
「あ、そうなんだ。ま、言われてみれば夢っぽいな」
「なんだそれ」
「でもピンク黄色髪のほうも夢って感じしません?」
「ま、たしかに。夢に出てきそうな子だもんね」
「夢芽灯(ゆめあ)ちゃん、なんと驚きの22歳」
「マジ?メガネ割れた?」
「ヤバい。割れるとこだった」
「石化はしてましたよ」
「するだろうね。あ、めっちゃ些細なことでもショックを受けて、石化するってネタどお?」
「んで話が全然進まないみたいな?」
「そんな感じ」
「なるほどね。メモっとくわ」
李冒艿(りもに)さんはスマホを取り出し、メモを取る。運利月(ウリツ)さんはタバコを吹かす。
どんどん短くなり、灰の部分が長くなってきたら携帯灰皿に灰を落とす。
「ウリさん、タバコ吸い始めたの15のときじゃないですか」
「あーそうそう。あんときはどうしようもなくグレてねぇ〜。
って違う違う。勝手にストーリー作り上げないで?
私タバコ吸い始めたのちゃんと二十歳(ハタチ)越えてからだから」
「さすがっすねぇ〜」
私は自分の腕をパンパンと叩く。
「やめて?腕なんてないから」
「なんでタバコ吸ったんですか?」
「きっかけ?きっかけはね、単純にストレス」
「芸人の?」
「そうそう。講師の人にダメー。全然設定がなってないー。
ツッコミする気あるのかー。自分たちの色が見えないー。
うーるさっ!って思って、イライラでゲボ吐きそうだったから
先輩にタバコ1本吸わしてくださいって貰ったのが始まりだね」
「もらいタバコっすか」
「そ。最初はクラァ〜ってきたよ。ヤニクラってやつ」
「あ、なるもんなんですね」
「そそ。ただなんかタバコ吸うと息がしやすくなってね」
「へぇ〜」
「ま、でも吸わないで済むなら吸わないほうがいいけどね」
「りもさんは吸いたくならなかったんすか?コンビなら言われることも同じでしょうし」
「んん〜ならなかったな。しかもその後ウリがタバコ吸い始めたでしょ?
ベランダとか換気扇の下で吸ってくれてるのはありがたいけど
タバコの臭いってそう簡単にってもんじゃないからね。
ウリの服からもよゆーでタバコの臭いするし、なおさら吸う気はないよね」
「へぇ〜。でも今ヤニ芸人注目されそうですけどね」
「あぁ、百舌鳥の太鼓さんがタバコめっちゃ好きだからね。マジカッコいいよな」
「太鼓さんはマジでカッコいい。てか百舌鳥さんはマジヤバい。百舌鳥さんたちの番組出れたら泣くと思う」
「わかる。出演の話来ただけで泣く」
「そんな偉大なんすね」
「てか紗歌(さか)最近うちのカラオケ来なくない?歌の練習大丈夫なの?」
「いや練習はしたいですけど金が」
「バイトすりゃいいのに」
「誰かに指示されるのマジで無理」
「社会不適合者だ」
「Cassos take ALLっすから」
「聴いたよそういえば。めっちゃカッコいいね」
「でしょ?マジカッコいいっすから」
「私の好きな「魔性の果実」は聴いた?」
「あぁ、りもさんが箱推ししてるやつっすよね」
「そうそう。ただただみんなエロい」
「下心〜」
「家でもMyPipeでライブ映像とか流してるから」
「でもいいでしょ」
「まあ…悪くはない」
「見てみよ」
「見てみ?今日見てみ?で今日の夜ファミレスで感想聞かせて」
「今日バイトですよね?」
「あれそうだっけ?」
「そうそう。うち、りも、うち、うち、りも、りも、Wじゃん」
「あ、そうか」
「朝まで頑張ってください」
「頑張ってください」
「あ〜…帰って速攻寝よ」
「私も速攻寝よ」
「んじゃ帰りますか」
「うーす」
「うぃーす」
「じゃ、紗歌(さか)、夜ねー」
「うーす。りもさんバイトがんばっすー」
「おうー。頑張るでー」
「じゃ、お疲れー」
「お疲れ様でーす」
それぞれの帰路へと歩く。まだ静かな朝。だけれども大通り沿いなので普通よりは少しは車の音が騒がしい。
歌手を目指している身なら、すべてが作詞作曲の手掛かりとなる。
だけどこれから始まる朝というのが、希望に溢れ、幸せな人たちの笑顔や
一生懸命働く人たちの活気に満ち溢れている世界が始まる気がして
どうも好きになれず、イヤホンで耳を塞ぐ。スマホで曲を流す。
ギターの輪郭がはっきりした音、ベースの心を震わせる音
ドラムのリズミカルで耳の心地良い音、一気に歌の世界に入れる。
この世の出来事をシャットアウトできた気がする。
家までの道をこの世に色付けされたような世界にして歩く。朝帰り。父も母も寝ている。
静かに家に忍び入り、部屋に戻って相棒置く。ギター。まだ4年ほどの付き合いだが、もう家族。
たまに調子悪いよーというが「バカな夢見ないで」とか
「いい加減働きなさい」など言わずに私の夢に付き合ってくれる大切な相棒。
私の一番の理解者だ。一応寝る前に顔を見る。そして撫でる。
「お疲れ。おやすみ」
と言いながらファスナーを閉め、私もベッドに寝転がる。
天井、窓からは徐々に太陽が出し始めた空の明るさが隙間から入ってくる。
今日も1日が終わった。やれやれする。
運利月(ウリツ)さんや李冒艿(りもに)さんと出会って、少しまた明日を生きるのが楽しみになった。
「今度劇場行ってみるか〜。いや金ねぇわ」
と1人で笑いながら眠りについた。