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「……もしかして」
私は彼の上から降り、ベッドの脇へ腰を下ろした。カイル殿下も、その隣に座る。
「いつも部屋を真っ暗にしていたのって……」
「……見られたくなかった」
「どうして?」
「…………」
わずかに迷ってから、カイル殿下が答えた。
「お前に……怖がられると思ったからだ」
「…………」
私は彼の顔をじっと見つめた。
「……馬鹿じゃないの?」
「……え?」
驚いて顔を上げた彼の胸元へ、そっと手を伸ばす。指先が、白く引き攣れた古傷に触れた。
「……っ」
身体がわずかに強張る。それでも、私は手を離さなかった。
「こんなにたくさんの傷……一体、どうしてここまで」
「…………」
カイル殿下は視線を落とした。そして、ぽつりと語り始める。
「……10年前。母上と共に、地方都市へ視察に赴いた」
その街は、強固な魔物除けの結界に守られていた。誰もが、安全だと信じていた。
「だが――結界の内側に、突然『亀裂』が開いた」
「結界の……内側に?」
「ああ」
結界は、外から侵入する魔物を防ぐもの。本来なら、その内側に亀裂が生じることなどあり得ない――当時は、そう考えられていた。
亀裂から魔物が溢れ、街は一瞬で混乱に陥った。多くの住民が犠牲になった。その時、護衛が駆けつけるより早く、魔物がカイル殿下へ迫った。
「母上は――俺を庇って……目の前で息絶えた」
カイル殿下は、俯いたまま拳を握りしめた。
「それまでも、俺は何度も命を狙われていた。そのたびに護衛や騎士たちが守ってくれた。だが、あの日だけは間に合わなかった。俺は母上の後ろで、何もできなかった」
ゆっくりと顔を上げる。
「だから決めた。もう二度と、守られているだけの人間にはならないと」
街の近くには黒魔法師の一族が住んでいた。皇室の調査では、彼らが結界へ干渉し、人為的に亀裂を開いたとされた。一族は拘束され、その多くが処刑された。事件は、それで解決した――はずだった。
「だが……亀裂は、なくならなかった。魔物を討伐し、結界を強化しても、今度は別の場所で亀裂が開く。その繰り返しだ」
「だから……自ら剣を取って、騎士団へ入ったのね」
「ああ。安全な城の中にいる間に……また誰かの大切な人が奪われるかもしれない。そんなことは、二度と御免だ」
「…………」
その言葉に、ふとあの夜が蘇った。
『後ろで命令しているだけでは、守れないものもある』
(ああ……)
今になって、ようやく意味が分かった。
(この人は……ずっと、自分が傷ついてでも誰かを守ろうとしてきたんだわ)
もう二度と、自分の目の前で誰かを失いたくないから。そのために、何度も最前線へ立ってきた。
西日が傾き、部屋を柔らかなオレンジ色の光が包んでいた。私は、彼の胸に刻まれた傷へもう一度触れる。
「……痛かったでしょう」
カイル殿下が、自嘲するように口元を歪めた。
「昔の傷だ。もう痛みなどない」
「そういう意味じゃありませんわ」
「……え?」
両腕を伸ばし、その首へ回す。そして――。ぎゅっ。傷だらけの身体を、そっと抱きしめた。
「お母様のことです」
「…………っ」
「ずっと、一人で抱えてこられたのでしょう?」
腕の中で、カイル殿下の身体が固まった。
「私は、怖くなんてありませんわ。だってこれは、あなたが命がけで誰かを守ってきた証でしょう?」
「……ソフィア」
「だから――」
少しだけ身体を離し、彼の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「もう、私の前では何も隠さなくても大丈夫よ」
「…………」
次の瞬間。ぎゅっ――。
「……!」
逞しい腕が、私の身体を強く抱きしめ返した。肩口へ顔が埋められる。
「カイル殿下……?」
「…………」
返事はない。けれど――ずっと張り詰めていた何かが、少しずつほどけていくような気がした。
私は何も言わず、その背中をそっと撫でる。しばらくして、彼が顔を上げた。
「……ソフィア」
「何ですの?」
瞳が、私を捉える。
「……いや」
彼の手が、私の頬へ触れた。そして――。ゆっくりと唇が重なる。今度の口づけは、さっきまでとは違った。確かめ合うような、優しいキスだった。
(……私たち、最初からこういうことを先にすればよかったのかもしれない)
隠していた弱さを見せて。痛かった過去を打ち明けて。それでも離れないと、伝えて。
(本当に、順番がめちゃくちゃね)
それでも――。今からだって、きっと遅くない。これからは──傷を隠すために、明かりを消さなくてもいいのだから。
コメント
1件
ああ、もう……この回、本当にじんときました。カイル殿下がずっと隠してきた傷の理由が明かされたところも胸に来たんですけど、何よりソフィアが「お母様のことです」って言って抱きしめたシーンが刺さりました。あの瞬間、彼の中でずっと固まってた何かがほどけたんじゃないかな。傷を「怖い」じゃなくて「誰かを守ってきた証」って言えるソフィアの強さも素敵だし、最後のキスがさっきまでとは違う優しさだったのも、すごく良かったです。もう、私の前では何も隠さなくていい──その言葉、本当に響きました。
ひより
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伊織
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