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「どういうつもりだフェリック!」
ドンッと強く机を叩きつける音とクライステル伯爵の怒声が執務室に響いた。しかし、怒鳴られた当の本人はまったく怯むでもなく、クライステル伯爵に侮蔑の目を向けた。
「どういうつもりも何も、お父上には当主の座を退きお母上と共に田舎で隠棲して頂きます」
クライステル伯爵の嫡子フェリックは実の父に向って非情に言い放つ。その声音にはかつての優しく温和な少年の面影は微塵も感じられなかった。
「貴様は何をやっているのか理解しているのか!」
「理解しておりますとも」
何処からその自信がくるのか、フェリックに悪びれた様子はない。
「不正を行い私腹を肥やす父上を排斥し、私がクライステル伯爵家を正道に立ち直らせるのです」
「お前は何を言っているのだ」
クライステル伯爵は息子の態度に違和感を覚えた。目の前のこの男は本当に自分の息子なのだろうかと。
伯爵の知っているフェリックは優しいだけの非情とは無縁の男のはずだ。
確かにフェリックは潔癖なところがあった。だがそれだけに、親を蔑ろにしする酷薄な振る舞いができる子ではなかったし、そもそも思い付きもしないはずである。
だからクライステル伯爵は彼に入れ知恵をした人物がいるのだと思い当たった。
「誰だ……いったい誰にたぶらかされた!?」
「たぶらかすなんて酷い言いがかりです。彼女は僕に貴族の矜持とあるべき姿を教えてくれたのです」
「彼女だと!?」
その単語でクライステル伯爵には全てを理解した。今回のフェリックの凶行をそそのかした人物。そして、その背後にいる存在と陰謀が。
「王太子妃殿下か……あの女狐め!」
「エリー様に対して女狐とは無礼な言い様です」
「黙れ!」
クライステル伯爵は事ここに至れば、もはや全てが手遅れなのだと悟った。
「もうクライステル家は終わりだ……」
クライステル伯爵はがくりと力が抜け、椅子に落ちるように腰を落とした。
「何を仰られているのですか。クライステル家は僕がこれから発展させるのです!」
「お前は本当に何も分かっていないのだな」
「分かっていますよ。これからクライステル家は貴族としての正しい道を進むのです!」
胸を張って主張するフェリックにクライステル伯爵は溜息を吐いた。
「どうせ女狐に潔癖な貴族の道とやらを説かれて、我が家の不正の証拠でもほいほいと持って行ったのだろう?」
「そ、そうです。それこそ貴族として……」
「その証拠を持って私を退かせ、お前が家督を継ぐのだとアルス殿下と口約束したわけか」
「ど、どうして?」
見てきたかの様に自分の行動を指摘され、フェリックはうろたえ始めた。
「馬鹿め……いや、馬鹿は私か。お前の教育を誤った。ミレーヌの言った通りだった」
「どうしてあんな女の事を!」
「お前は正直者だが騙されやすい。だから、もっと貴族としての謀計など清濁を教えるべきだと指摘されていたのだ」
「謀計などとは、やはりあの女は悪女だったのですね!」
「アホ!」
クライステル伯爵は頭を抱えた。
「謀略を知らぬ貴族などいるものか。王家もお前の大好きな王太子妃殿下も含めてな」
「そんなはずは!」
「お前がその謀略に嵌ったのだとまだ気付いていないのか。いや、謀略と言うのもおこがましい子供騙しの稚拙な詐欺だがな」
「さ、詐欺?」
急に扉の外が騒がしくなり始めた。
それが何の音かをクライステル伯爵は正しく理解していた。
「いいかフェリック。この国の貴族で会計帳簿を調べた場合、不正の無い者は一人もいない。だだの一人もだ」
「そ、そんなに不正が!?」
「貴族など叩けば埃は必ず出る。それなのに不正の調査などしたらどうなる?」
「それは……」
「当然この国は破綻だ。だから王家もそれを調べたりはしない。不正など国と貴族の間では暗黙の了解なのだ」
「それではアルス殿下が僕に証拠を提出させたのは?」
「王家側から調査をすれば他の貴族も黙ってはいないが、本人から提出されたなら問題はないだろ」
フェリックがやっと事態を飲み込み顔面蒼白になったと同時に、執務室の扉が乱暴に開かれ兵士達が乱入してきた。
「お前はまんまと利用されたのだ」
フェリックと共に拘束されたクライステル伯爵の脳裏には王家との謀略で見捨てた娘が浮かんでいた。
「あの時から既に王家はこのことを企んでいたのだな。だとすれば、私がミレーヌを切り捨てた事がそもそもの間違いの始まりだった」
こうしてクライステル伯爵家は取り潰され、その財産も領地も全て王家に接収されたのだった――
「――と言うような事があったみたいですよ」
まるで見てきたかの様に語るジグレさんの話に誰もが黙って聞き入っていました。
「いやぁ酷い話だねぇ。今の王太子や王太子妃ってのはそんな悪人なのかい?」
「いやいやリビアさん、あくまでも噂ですよ」
ジグレさんはそう言い繕いましたが、私には真実からそれ程かけ離れてはいないのだろうと思われました。
「それでクライステル伯爵家の人達はどうなったのですか?」
「伯爵もご子息も失意の余り自死なさったそうですよ。他の者に関しては情報がありませんな」
「そうですか……」
血を分けた父と弟の死に、しかし私の心は凪いでいました。
彼らに対して思う所が無いわけではありません。ですが、恨みも怒りも、悲しみも寂しさも一切の情動が押し寄せてはこなかったのです。
全てが他人事に思えてしまう……
そう、私のいる世界とは別の『物語』を聞いている様に感じられたのです。
ですから私はただ黙って2人の冥福を祈るだけしかできませんでした……