眩しい光がカーテンから射し込んできて目が覚めた。
そこは、知らない部屋のベットの上だった。
簡易的なテーブルとその上にあるノートしか目の前にない。
まずは、ここが何処なのか知りたくて、起き上がり周囲を見渡す。
窓から見える景色は、これといった目立つものはなく、ごく普通の自然豊かで辺鄙な所だった。
他に手がかりがあるかもしれないと思い、部屋全体を観察する。
だが、特になにも分かるような情報がない。
ふと、視線を落とすとノートに、この場所の名前であろうものが書いてあった。
僕の予想が当たっていれば、きっとここは何かの施設だろう。
このノートを見れば全て分かるかもしれない。
僕はゆっくりとノートを開いて読み進めた。
ノートに書いてあったことは、僕の名前や住所、家族のことなど、生きていくのに重要な情報が書かれてあった。
そして、僕がここにいる理由。
数年前に、若年性アルツハイマーという認知症を発症したから。
正直、認知症というものが、いまいち分からないが、きっと記憶が曖昧になったり、失くなったりする事なのだろうと、解釈した。
だから、ここがどこかも、自分が誰かも分からなかったのかもしれない。
まだまだノートには続きがあって、ページをめくろうとした時に、ドアをノックする音が聞こえた。
もしかして、この施設の職員さんかな?
僕が返事をすると、ドアが開き、一人の男性が入ってきた。
青い髪が特徴のイケメンなお兄さんだった。
『こんにちは。あの、ここの職員さんですか?』
『どう見ても、違うでしょ』
『え、あ。すいません…』
確かに、よく考えてみれば、こんな派手な人、職員さんな訳ないよね。
だったら、誰だろう…
家族かな…いや友達?
『えっと…僕、さっき起きたばっかりで、記憶があまり無い…というか無いんです』
『あー、ノート全部読んでない感じね』
『そうなんです』
『だから、あなたが誰かも正直分からなくて…本当にすいません…』
『いいよ、謝らなくて。仕方ないことだし』
どこか素っ気ない態度だが、すごく優しさがあって、なんだか懐かしいと感じる。そんな気がした。
『お花、変えとくね』
『あっ、ありがとうございます』
『綺麗なお花ですね。なんて名前のお花ですか?』
『これは、向日葵って言うんだ』
『へぇ~』
『今の季節、夏に咲く花で、るぅとくんに一番似合う花なんだよ』
『そうですか』
『じゃ、僕、用事がこの後あるから今日は帰るね』
『えっ!もう帰っちゃうんですか?』
『ごめんね、また明日も来るから』
『…分かりました』
そう言うと、彼は僕の洗濯物を袋にまとめて、帰る準備をそそくさとした。
そういえば、彼の名前はなんだろうか。
『じゃあね』と笑顔を交わした後、僕は彼に質問する。
『あの!最後に質問していいですか?』
『ん?』
『あなたの名前は…?』
『僕?僕の名前は…』
彼が困ったような顔をして、黙ってしまう。
え、聞いちゃまずかったかな。
少し考えて、顔を上げると、彼は『ころん』と言った。
『え?それは…えっと、本名?じゃないですよね?』
『まぁ、そうだけど…』
『君には、この名前の方がしっくりくると思って』
『そうなんですね…』
『明日の僕は、また今みたいに、記憶が失くなっているかもしれない』
『うん』
『で、でもっ!』
『ころんさんに会えること、僕、楽しみにしときますね!』
自分でも、不思議だった。
なぜ、こんなことを言おうと思ったのか。
というか、勝手に言葉が出た。という方が表現として正しいかもしれない。
目の前に居る、この【ころん】さんが、なんだか大切な人だと思った。
忘れたくない人だった気がする。
どんな関係だったかも、もう覚えてない。
でも、でも…
こんな胸が締め付けられて、高鳴る気持ち。他の人にはならないと思うんだ。
きっと、僕の中にある、最後の記憶の欠片が呼び掛けてくれているんだって、そう感じた。
『ありがとう…』
ころんさんは、言葉を詰まらせながらそう言って、部屋を後にした。
ころんさんが出ていって、僕はノートの続きを読んだ。
そこには、僕の職業について、びっしりと一文字一文字丁寧に書かれていた。
僕は歌い手という、他の人が作った歌をアレンジして歌ったり、オリジナルの曲を出したりする、少し珍しい職業だということ。
そして、その歌い手としてグループに所属していたこと。
グループは【すとぷり】という名前で、たくさんのファンの方々が居て、全国でライブや握手会など行っていたこと。
そして、僕の病気が見つかって、活動が続けられないとなった時、6人ではないと意味がないからとなって、グループを解散することになったこと。
なんだか、僕が思うより濃い人生を送っていたんだなと思った。
他にも、たくさんのことが書いてあって、気付けば日も高く上がっていた。
そして、いよいよ最後のページ。
そこには、メンバーであろう名前と写真、そして【絶対忘れちゃいけない人】と書いてあった隣に【ころん(僕の彼氏)】と刻まれている。
昔の自分が書いてあることなのに、全く思い出せなくて悔しい。
僕の彼氏…?
分からない、分からないよ…
なんとも言えない感情が湧き出して、涙が零れ落ちた。
よく見れば、この最後のページは、元々涙の滲んだ跡がついている。
ここで僕はいつも泣いているの?
いつから、彼を思い出せなくなってしまったの?
絶対、忘れちゃだめなんでしょ?
なんで、なんでよ…
彼が懐かしく感じたのも、まだ一緒に居たいって思ったのも、彼が僕のことを本名でもない、【るぅとくん】って呼んだのが、なぜか僕のことだってすぐ分かったのも、全部、全部…
僕の遠く、忘れた記憶なの?
ごめんなさい、ころんさん。
僕、思い出せないや。
色々考えすぎた。
頭が重たい。
でも、また眠ってしまったら、記憶なんてリセットされるんでしょ…?
なら、次、目覚めた僕に、今の僕から最後のメッセージを残せば、きっと…
目を覚ますと、そこは知らない部屋のベットの上だった。
窓から見える景色は暗く、今が夜だと分かった。
目の前には簡易的なテーブルとその上にある、ノートと一枚の紙切れしかない。
その紙切れには、びっしりと文字が書かれている。
【何も記憶が無い僕へ】
あなたは病気で一度眠ると記憶が失くなってしまいます。
あなたの右側にある花は、向日葵と言って、現在の夏に咲く、僕にぴったりの花です。
その花は、ころんと名乗る、青髪のイケメンで声が特徴的で優しい僕の大切な彼氏が持ってきてくれました。
毎日、お昼頃にお見舞いに来てくれているそうです。
これを今、書いている僕に、ころんさんの記憶はありません。
でも、会ったらなんとなく、懐かしいと思う感情が出てきて。
きっと、今これを読んでいる僕もころんさんに会ったら何か思うことがあると信じています。
ちゃんと記憶を繋げられるように、毎日こうやって、ころんさんについて書いてほしいです。
どうか、記憶を紡いで。
全くころんさんについて想像できないけど、なんだか、体が疼いた。
頭にサイレンのような音が鳴り響く。
耳鳴りもひどい。
今にも気絶しそうな、ぼやけた頭の中に走馬灯のように映像が流れる。
『…ころっちゃん、?』
僕は知らない人の名前を呟いた。
コメント
5件
フォロー失礼します!
めっっっちゃ好きです🥺( 続きってありますか…?