テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
35
67
44
あの日は、待ち合わせでお互いを知り合いだと確認し、手頃な居酒屋に入った。
私は再会した嬉しさから、お酒を飲もうとした。けれど、私は元々お酒に弱い体質だ。
笑い話にした過去を思い出して、悲しい思いはもうしたくないと、お酒を遠慮したのだ。
「あの時はなんで飲まないんだろうって思ってた。けど、花斗見て合点がいったんだ。あの時、愛音は妊娠してたんじゃないかって」
「あれは、ただお酒に弱いから! 今日だって、飲んでないよ」
壱月はちらっとこちらを見て目を丸くすると、はぁ~と大きなため息をこぼし、膝に肘をついて頭を抱えた。
「お腹に子どもができて、むしゃくしゃして俺と寝たんじゃなかったのかよ」
「……私、どんだけ最低な女なの?」
ひどい。ひどすぎる。
この人は、私のことをなんだと思って……。
「ごめん。再会したとき、花斗が大きかったから、そういうことだと納得していた。引越代だって、カンパしてもらおうとしてたから」
「そんなつもり、私はなかった。壱月が勝手に、話を進めたんでしょう」
つい強い口調になった私に、壱月は頭を抱えたまま首を横に振る。
「ああ、俺、……愛音にとって、ひどく最低な男だな」
「そうです、壱月は最低です。勘違いはなはだしいです」
私が言うと、壱月はちらりとこちらを見た。
「そうじゃなくて。いや、そうなんだけど」
おどけた私の言葉に、壱月は文字通りますます頭を抱え込んだ。
「つまり俺は、愛音を妊娠させて逃げた男だったということだろう。……ああ、本当に最低だ。本当、馬鹿すぎる」
「壱月……」
壱月はそれからしばらく、ずっと悔いの念仏をぶつぶつ唱えていた。
それがだんだんと見てられなくなってしまい、私は壱月の頭を、そっと胸に抱き締めた。
「前にさ、産み落とすつもりだったって、言ったことあるでしょう? 本当はね、心臓の音を聞いて意思がブレたっていうか……壱月との子だから、産んでもいいかなって思ったんだよ」
「愛音……」
腕の中で、壱月が小さく私の名前を呼ぶ。
私は構わず、言葉を続けた。
「親に見放されて、現実と向き合って、女を捨てて、何度も泣いて、自己嫌悪に陥って。それでも必死に育てたのは、壱月との赤ちゃんだったから。私ね、たぶん……心の奥では、ずっと壱月が好きだったんだよ。嫌いになれなかった」
言いながら、熱いものが胸の奥から込み上げくる。
それは、目頭を焦がすくらいに熱くなる。
……そう、私は好きだったんだ。
ずっと、たったひとり、壱月のことが。
だから、どんなに最低な過去も、美化して想い出にしてきたんだ。
胸の奥底にあったのは、そんな幼稚な想い。高校生の時に抱いた、壱月への恋心。
そうか、私――。
「壱月が好きなんだよ、どうしようもなく。ずっとずっと、好きだったんだよ、私……」
涙があふれた。
壱月の頭にそれがこぼれそうになって、慌てて服の袖で拭う。
すると、私の手が離れた壱月は体を持ち上げた。
そして、一歩後ろに下がると、私に向かって、深く深く頭を下げた。
「本当に、ごめん。それから、ありがとう」
「壱月……」
それで、ますます涙が止まらなくなって、両手で顔を覆った。
しまいこんでいた想いは、意識してしまうと止まらないらしい。涙が、全然止まらない。
「私、壱月が好き。ずっと好きだったの」
「愛音……」
涙ながらに伝えると、遠慮がちに壱月の腕が遠慮がちに私の背中に回った。
「本当にごめん、ありがとう。ごめんな、ありがとう」
何度も何度も頭の上から降ってくる、謝罪と感謝の言葉。
胸が熱くなって、さらに涙があふれだす。
馬鹿、壱月の馬鹿……私の馬鹿。
好きだったんだよ、ずっと。
壱月だけだったんだよ、ずっと。
なのに、壱月は……私は……。
コメント
1件
うわあ、このシーン…胸がぎゅっとなりました。愛音が「ずっと好きだった」って涙ながらに告白するところ、本当にじんわり来ましたね。壱月の「ごめん、ありがとう」の繰り返しも、謝罪と感謝が混ざってて、二人の十年分の距離が一気に縮まった感じがしました。誤解が解けて、やっと本音を言えた愛音の強さに拍手です。朝永さん、この情緒の描写、めちゃくちゃ刺さりました…!