晩餐も終わり、一同はリビングへと移って食後のお茶をしている。
そんな中、端の方にいるミエルとファリヌは、こちらに背を向けまだ話し合いを続けていた。
「困りましたわね……。明日は午前中に、国王陛下に謁見なさるんですよね?」
「ええ。それまでに、衣装の調達をするのは難しいでしょうね。持参した物の中に、使えそうな物は無いんですか?」
「……平民のお嬢さんが、ちょっとおめかしする時に着るようなよそ行きの服ならば、いくらでも。」
ミエルは、何か物を言いたげな横目でファリヌを見る。日頃の鬱憤もあるのだろう。ばつの悪いファリヌは「うっ」という顔をしつつも、何も言い返す事は出来なかった。
急遽決まった翌日の国王との謁見に、ショコラが着て行く服が無い。晩餐の終わった時刻という事はつまり、服飾店などは当然とっくに閉まっているという事。ああ、困っ…
「……ちょーっと、いいかしら?あなたたち。」
「!?!」
突然背後でした声に、ミエルとファリヌはバッと振り返る。そこにいたのは、ショコラの伯母であるこの屋敷の女主人・クラフティであった。
「ク…クラフティ様……。何用でございましょうか……?」
後ろから急にぬっと現れた彼女に、二人は心底驚いていた。悩み過ぎるあまり、近付くその影に気付かなかったのだ。というよりも、彼らの様子を知ってわざと気配を消すように近付いたのは、クラフティの方である。期待した通りの顔を見た彼女は、満足そうだ。
「ホホ……ごめんなさいね。それよりも、何か困っているんでしょう?話してごらんなさいな。」
ミエルとファリヌは、無言で顔を見合わせる。これから世話になる屋敷の夫人に、更に迷惑を掛ける事になるのではないだろうか、と……。
だがこのままでは、迷惑どころか泥を塗る事にもなりかねない。
「……実は――」
二人は白状する事にした。
「――…なぁんだ、そんな事だったのね!それなら、まずはその服を見せて頂戴。私が判断してあげるから。」
その声に、ショコラが振り向いた。
おや?ファリヌとミエルのところに、クラフティが……。変わった組み合わせが話をしている。
「伯母様?どうかなさったのですか⁇」
ショコラは三人のもとへ近付いて行く。
「あら。明日の貴女の服で困っているそうよ。一緒に部屋まで行きましょうか。」
その言葉に、彼女はこくりと頷く。そして一同は、“ショコラの部屋”へと向かった。
部屋に着くと、早速荷物を解いて確認をし始める。中にいるのはショコラとミエル、クラフティにその侍女たちという面々だ。男性であるファリヌだけは、一人その外で待たされていた。
「――陛下たちはこちらへご静養にいらしているのだから、そこまで畏まった服装でなくともいいのよ。…にしても……確かにねえ。これでは、公爵令嬢としてはあまりよろしくないわね……。」
クラフティは、まるで市井の娘たちが来ているような服を広げ苦笑いをする。
「御前に出るには少し、失礼かしら。“こんなものしか持たせていないのか!”と、公爵様の沽券に関わるかもしれないし。」
「……誠に申し訳ございません……。」
理由があっての事とはいえ、何も言い返せない。ミエルはただただしおれているようだ。
伯母は一つ、強く鼻息を吐く。
「いいわ!それじゃあ、私の服を貸してあげましょう。」
「えっ、よろしいのですか⁇クラフティ様……」
申し訳なさそうにミエルが尋ねる。
「もちろんよ。あっ!伯母の服だからって、馬鹿にしちゃあ駄目よ?若い頃の物も良い状態で残してあるんだから!…本当は、娘でも出来たら着せてあげたいと思っていたのよねぇ~。取っておくものだわぁ。私の衣裳部屋へいらっしゃい、ショコラ!合わせてみましょう。貴女は、それを今風にしてあげなさいね。」
その言葉と共に、クラフティはうきうきしながらショコラを自分の部屋へと連れて行く。服にはやっぱりあまり興味のないショコラは、いつも通り言われるがままにされている。
『服装一つで、色々と大変なのねえ。陛下の失礼になったり、お父様の面目を潰してしまう事になったり……。私は何だっていいのだけれど。それにしてもみんな、衣装選びが好きね。……この間、王宮の夜会へ行った時の事を思い出すわ……』
ここでもまた、クラフティを始めその侍女たちやミエル、皆がきゃっきゃと楽しそうである。それに水を差さないよう、ショコラは着せ替え人形になっていたのだった。
翌朝。食事を済ませショコラたちは、国王一家との謁見のためそれぞれ支度をした。
昨夜クラフティが言ったように、伯父夫妻とベニエは、夜会へ行く時のような堅苦しい格好はしていない。だが砕けた格好というわけでもなく、いい塩梅の装いである。さすが、慣れている。それに倣い、ミエルはショコラの支度を仕上げていた。
「――さて。それではみんな、用意は出来たかな?」
伯父のカヌレが問う。邸宅の前には馬車が二台、いつでも出発出来るよう準備されている。
「ここへの行き帰り以外に、公爵家の馬車は使う予定ではなかったのですが……仕方ありません。今回ばかりは、これで参りましょう。」
昨日ファリヌは、他の仕事のためショコラの遠乗りへの付き添いが出来ないと言っていた。しかし国王との謁見とあらば、執事として付いて行かないわけにはいかない。だからこれだけは、お供をする事にしたそうだ。
「ミエルさんは今日、何をなさるつもりなんですか?」
ふと気になったファリヌが尋ねる。彼女は、謁見には付いて行かない。おまけに馬にも乗れないため、その後の遠乗りにも付いて行かない。……と、なると……??
するとミエルは、得意気に胸を張る。
「私はショコラ様が戻って来られた後、遠乗りの支度をお手伝いしたら、街の方まで偵察に行って来ようと思います。これからショコラ様が外歩きをなさる時のために、少しは詳しくなっておかないと!」
「…と言いながら、ご自身が楽しんで終わり。というのはやめてくださいね?」
じろりとファリヌが見る。少々図星を指されたミエルは、思わずぎくりとした。
彼はふう、と息を吐く。
「まあ、ほどほどに。ところで、街まで下りるのに公爵家の馬車を使ってはいけませんよ。当然でしょう。」
「えぇっ⁉」
ミエルは思わず声を上げる。
伯爵家の屋敷は他より高台にあり、更に街までは少しばかり距離もあった。…これを歩いて行き帰りしなければならないのか、と彼女はげんなりした。
「……何も“歩け”とは言っていません。こちらでの移動手段として、別に馬車を手配してあります。それを使ってください。後で案内しますから。」
その言葉に、ミエルは珍しくファリヌに感謝したい気持ちになった。
それではいよいよ、出発の時刻だ。
「さあ行こうか!昼までには戻るよ。昼食は用意しておいてくれ。」
「かしこまりました、旦那様。」
カヌレが屋敷に残る使用人たちへ声を掛けると、伯爵一家を乗せた馬車とショコラを乗せた馬車は、同じ方向へと向けて走り出したのだった。
王室の別荘は、湖に面した眺めのいい場所に立っている。敷地も、もちろん広い。
現在そこに滞在しているのは、国王・ガレットデロワを始めとした一家三人とその世話をする者が多数。そして護衛としてやって来ている、ヴァシュランを始めとした近衛師団の精鋭というかなり大掛かりな人数だ。
大きな庭は芝が綺麗に整えられ、そこには屋外用のテーブルセットが置かれている。国王一家は今、そこでのんびりとお茶を楽しんでいた。
「やはりここは良いな。そなたも、夫人と赤子を連れて来れば良かったものを。体の方も、そろそろ戻って来ている頃であろう?」
ガレットデロワが、側に立っているヴァシュランに声を掛けた。
「お心遣い感謝いたします、陛下。――ですが、わたくしは任務として参りましたので。それに、皆様のご迷惑になってもいけません。」
“くつろぐ”とは真逆の調子で、ヴァシュランは答える。
「相変わらず堅苦しい奴め……。ならばそなたは、王都に残っても良かったのだぞ?」
「いいえ!近衛師団団長として、陛下のお側を離れるわけには参りません‼」
「そんな事では夫人に愛想を尽かされるのではないか?」
「あれはそういう女ではございません。」
堅苦しければ、頭も固い……。ガレットデロワは渋い顔をした。だがその時、一つ閃いた。
「――そういう言い方は良くない。本当に嫌われてしまうぞ?のう、そなたもそう思うであろう。マカロンよ。」
そう言って、彼は王妃・マカロンを引き寄せる。そしてヴァシュランに向かい、意地悪くニヤリと笑った。
「うふふ……そうですわねぇ。よろしくありませんわ、お兄様。」
マカロンはのほほんと笑って返す。
「ほぉれ、実妹もそう言っておるではないか。義 兄 上?」
「ぐ……っ」
ヴァシュランは何かを我慢した。
……昔から、ガレットデロワはこうして幼馴染みを揶揄っては遊んでいたのである。
それはともかくとして――。
「シャルトルーズ伯爵はそろそろ来る頃かな?何でも、オードゥヴィ家のショコラ嬢も一緒だと聞いているが。」
その名に、一人が激しく反応した。
「ちょこら⁉おとおさま、ちょこら、くるの??」
どこかかから、小動物のような影がぴょこんと飛び出す。
「そうみたいだよ。良かったね。」
「ゃ~~―――!!!」
王女・シャルロットは、どこから出しているのか分からない歓喜の声を上げた。そして目を輝かせ、庭をぴょんぴょんと飛び跳ねる。やはり小動物のようだ。
マカロンはそんな娘に目を細める。
「まあまあ。嬉しいのねえー、シャルロット。ふふふ。」
今から客が来るというにも拘らず……。静養の言葉に相応しく、そこにはのんびりとした時間が流れていた。
さて。
伯爵家の馬車と公爵家の馬車は、王室の別荘へとやって来た。大きな門を入って木々に囲まれた一本道を少し行くと、豪邸が見えて来る。その前に着くと、みな馬車を降りた。
門の辺りからずっとだが、至る所に近衛師団の騎士が配置されている。ショコラたちは豪邸の入り口で待っていたその内の一人に案内され、広々とした芝生の庭へと連れられて行った。
シャルトルーズ伯爵であるカヌレは、ガレットデロワたちへ深々と頭を下げる。
「――国王陛下、王妃殿下。ご無沙汰しております。この度は遠路遥々お越しくださいました事、謹んで歓迎いたします。」
「ご苦労。伯爵も、変わりないようだな。領地も変わらず平穏のようだ。」
「おかげさまで、みな何事も無く過ごす事が出来ております。」
伯父のうやうやしい挨拶に、ショコラは先日の夜会の時のような厳格さを感じていた。のだが、次の瞬間その空気は一気に緩んでしまう。
「…まぁ、堅いのはこの辺りで終いだ!私も疲れる。せっかく保養に来ているのだからな。それよりも伯爵、釣りの方はどうだ?」
ニカッと笑ったガレットデロワが、釣竿を操るような仕草をした。するとカヌレも砕けた笑顔で、手振りを交えて答える。
「ええ陛下、先日こんなものが釣れましたよ!」
「おお!それは凄いな…」
ものの数分で、釣り談議に花を咲かせてしまった。ついこの間見た夜会での姿しかほぼ記憶にないショコラは、そんな国王に少し驚く。
『国王陛下……こういった方だったのね……』
その時、彼のすぐ側から咳払いが聞こえた。
「ンン!…陛下、まだ謁見の最中です。伯爵お一人ではありません。」
「おお、そうであったな。」
ヴァシュランが会話を遮ったのだ。彼はあくまでも護衛という立場ではあるが、ここでは王都へ置いて来た宰相の役割も担っている。
それに促され、ガレットデロワはカヌレの後ろに目を向けた。するとクラフティとベニエがお辞儀をしたので、ショコラも二人に倣ってお辞儀をする。
「夫人にご子息も、息災のようで何より。ショコラ嬢、噂は聞いている。色々と始めたそうだな。それで?ここへはなぜ、一人で来たのだ?」
先日とは違う、柔らかい笑顔で国王は問う。
ショコラは困った。
ここへは、お忍び旅の前哨戦として来たのだ。ファリヌからは、「知人でも事情を話すな」ときつく言われている。何か聞かれたら静養に来たと答えるように、と……。
だが、国王にまで隠し事をするのはどうなのだろう……??この方にはむしろ、きちんと説明しておくべきなのではないだろうか。
しかし、問題が一つある。
カヌレたちは事情を知っているものの、ここには他にも、近衛師団の団員たちが国王一家を取り囲むようにしている。普通に話をしたのでは、周りにも聞こえてしまいそうだ……。
「?どうしたのだ?なぜ答えぬ。」
ショコラがハッと顔を上げると、訝しんだ目でガレットデロワがこちらを見ていた。
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