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「⋯⋯身体が⋯⋯痛ぇ⋯⋯」
その呻き声は
居住スペースのリビングの片隅
クッションに顔を埋めたソーレンの口から
漏れたものだった。
夜の帳が落ち、部屋には柔らかな間接照明と
ポットで淹れられたカモミールの香りが
ほのかに漂っていた。
ソファに
うつ伏せになったソーレンの背中には
数カ所に湿布が貼られ
あちこちに擦り傷と青痣が浮いている。
肩甲骨のあたりには特に大きな打撲があり
レイチェルが苦い顔で指を滑らせていた。
「もうっ⋯⋯!
子供たちの相手だけでも大変だろうに
なんでアラインと取っ組み合いしてんのよ!
あ、ここにも⋯⋯また打撲」
「⋯⋯あんのやろー
マジで手加減ってもんを知らねぇ⋯⋯
見えねぇように、何発も打ち込みやがって」
ソーレンは枕代わりのクッションに
頬を押しつけ、呻くように呟く。
「何言ってんのよ。
丸腰のアラインに
少し重力操作まで使ってたくせに」
レイチェルが肩に手を滑らせながら咎めると
その背後から時也が
穏やかな声で補足する。
「⋯⋯アラインさん
袖口には分銅鎖と寸鉄が一対
ベルトのバックルには
小型の隠し刃が仕込まれていましたからね。
〝丸腰〟とは⋯⋯少々、言い難いかと」
「⋯⋯え⋯⋯こっわ⋯⋯」
レイチェルが手を止め
唖然とした声を漏らす。
「てか、あの細身の服のどこに⋯⋯
謎すぎる⋯⋯」
「まぁ、あの方は〝武〟を通じて
人と向き合ってきた方ですから。
手段を持っておくのは
呼吸と同じようなものなのでしょう」
「⋯⋯それって
時也さんの鉄扇みたいな?」
時也は苦笑しながら、静かに頷いた。
「おや⋯⋯気付かれていましたか。
植物操作は目立ちやすいので
いざという時の護身です」
「前にテーブルに置いてあったの
暑くて扇いだら──
めちゃくちゃ重くてビックリしたのよ⋯⋯
ほんと、男って⋯⋯
どうしてこう、物騒なのかしら」
レイチェルが呆れたように肩をすくめると
時也はふ、と目を伏せて静かに言った。
「⋯⋯それだけ
僕たちには護りたいものが多いのですよ」
その言葉に
リビングの空気がわずかに沈黙を孕む。
レイチェルは視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「⋯⋯でも、アラインは⋯⋯
どっちかって言うと
〝楽しんでた〟ようにしか見えなかったわ」
ソーレンはその言葉に、ようやく顔を上げる。
頬にはクッションの跡が
くっきりと残っていたが
その表情には
不思議と疲労と別の色が混ざっていた。
「⋯⋯あいつな。
暴力が⋯⋯〝対話〟みてぇなもんだからな」
「⋯⋯対話?」
「殴られねぇと
何考えてんのか分かんねぇし──
殴ってみて、ようやく少し分かる。
そういうヤツなんだ」
レイチェルは眉を顰めた。
「うわぁ⋯⋯
物騒通り越して、もはや別の言語よそれ」
けれどソーレンは
少し目を細めながら天井を見上げた。
「⋯⋯でもな。
今日、ちょっとだけ分かった気がすんだ。
あいつ、ほんとは──
すっげぇ嬉しそうにしてたんだよ。
子供たちが、笑ってんのを⋯⋯
あの張り付いたニヤケ面の奥で
黙って見ててさ」
レイチェルの手が、止まる。
時也もまた
静かにその言葉を受け止めるように
視線を落とす。
「⋯⋯確かに、嬉しそう⋯⋯でしたね」
時也の声は
どこか懐かしむように優しかった。
「あの見下すような笑顔でもな。
あれ、絶対⋯⋯嬉しかったんだと思うぜ。
あいつ」
レイチェルは小さく頷きながら
目を伏せる。
「⋯⋯もし、それがほんとなら⋯⋯
あの人の〝刃物の代わり〟に⋯⋯
子供たちの声が、なってくれるといいわね」
静かな沈黙が、リビングに満ちた。
暖かな照明の下、誰もが言葉を探し
けれど何も言えずにいた。
そして──
時也が
そっと空を見上げるようにして呟いた。
「──ええ。
いずれ⋯⋯その手が〝何も持たず〟に
済むように」
その声は、風のように静かで
祈りのように深かった。
ふと──
ぱん!と手を叩く音ともに
明るい声が弾ける。
「さて、皆さま!
明日も貸切予約ですよ」
時也が満面の笑みで宣言する。
「どうやら
明日は今日よりも
年長のお子さまたちのようですね。
となれば、ソーレンさんのマジックは⋯⋯
そうですね
フォーク曲げくらいで充分でしょう」
その穏やかな調子に
ソーレンがぴくりと眉を跳ね上げた。
「⋯⋯お前、まだ俺にやらす気かよ⋯⋯?」
「ふふっ、ソーレンさん
今日だってとても人気でしたからね?
明日も、どうぞよろしくお願いします」
「⋯⋯あー、もう!
マジで俺、オモチャ扱いだな⋯⋯」
「でも、明日はライエルだし。
ヒーローショーが無いだけマシじゃない?」
レイチェルが笑いながらお茶を啜り
ソーレンの肩を軽く突く。
「おや?ヒーローショーもご所望でしたら──
明日は僕がお相手いたしましょうか?」
時也がそっと目元に笑みを浮かべ
涼やかにそう言った。
「⋯⋯やだ⋯⋯
おめぇの方が、アラインの何倍も
手加減しねぇじゃねぇか⋯⋯」
ソーレンが身をのけぞらせるように
警戒の色を見せると──
「ならば、私が
鍛錬替わりに叩き伏せてやろう」
その声は、突如、後方から湧いた。
全員が振り向いた先にいたのは──
青龍だった。
山吹色の瞳が、冷ややかに細められ
背筋の伸びたその立ち姿は
決して〝子供〟のものではない。
「貴様
今日の接触で肋骨を一本、痛めていただろう
ならば今のうちに鍛え直してやるのが⋯⋯
〝慈悲〟というものだ」
「慈悲いらねぇからッ!」
ソーレンは
椅子から半身起こしながら、叫ぶ。
「てか、俺はなぁ──!
子供の前でチビに投げられるのが⋯⋯!
いっちばん屈辱なんだよ、クソがぁ!!」
青龍は表情一つ変えず
鼻で小さく息を吐いた。
「くだらぬ。
ならば、静かに鍛錬に励め。
嘆くより、肉体を磨け」
「やかましいわっ⋯⋯!
これ以上、筋肉痛増やす気かよ⋯⋯!」
「うふふ⋯⋯」
レイチェルは笑いを堪えながら
ソーレンの背を軽く叩いた。
「でも〝チビに投げられるソーレン〟って
子供たちめっちゃ喜びそうじゃない?
投げてー!から
投げさせてー!になるかもよ?」
「それ以上言うと
俺の女だろうと投げるぞ⋯⋯!」
喧騒の中心でソーレンが吠え、皆が笑う。
そのやりとりの少し離れた場所──
窓際のテーブルでは
アリアがティアナを膝に乗せ
静かに紅茶を口にしていた。
その顔は、相変わらずの無表情。
けれど、ティーカップを置く指先は柔らかく
どこか、ほんのりと
満ち足りた気配が漂っている。
時也はその様子に目を細め
誰にも聞こえない声で呟いた。
「⋯⋯アリアさんも⋯⋯きっと
明日を楽しみにされているんですね」
そしてその言葉通り
この喧騒の夜の中、誰もが──
明日の訪れを、どこか心待ちにしていた。