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マラソン邸の友 マッチャンへ
今、仕事の昼休み。ハンバーガーを食べ終わって、フレンチフライをつまみながらこの手紙を書いている。こっちは暑い日が続いてる。春も終わりに近づいて、夏が遠くの方に見えかくれしている。
心のこもった長い手紙、ありがとう。彼氏ともうまくいってるようで、なによりだね。契約社員の仕事見つかっておめでとう! もちろん内容は君の希望とは違うことはとっくに分かってる。事務仕事はあまり肌に合いそうにないものね(失礼!)。
こっちのみんなは元気だよ。元気そうにしているだけの人もいるのは事実だけど。特にミエちゃんは、毎日ミンのことを恋しく思ってて、横で見てても切なくなるときがあるよ。テレビで「日本は桜が散った」と言えば「韓国も今頃……」、スーパーで納豆を手に取れば「ミンも食べてるかな……」納豆の食べ方をミンに教えていたからね。ミエちゃんは夕食だけウチのアパートで食べてるんだけど、おかげで毎晩キムチが食卓にのぼっている(笑)。でもそれが、俺達とミンの残された絆なんだな、そう思うと嬉しくなるよ。いや、嬉しかったり悲しかったりかな。まさかビザが下りないとは仲間の誰も思ってなかったからね。
全ては今思えばの話になるけど、アイ・トゥエンティ……入学証書のこと。知ってるよね……を俺達のアダルトスクールで取るんじゃなくて、どこかの高校で取ればよかったのかも知れない。もちろんあの学校には語学コースのみならず高校コースもあるけど、高校コースは母国で学校出てない人が、大人になってからこっちで生きていくために勉強して、それを就職につなげたい人が大半のようだからね。今、移民局は不法労働者の摘発に目を光らせているから、タイミングが悪かったよ。ミンが真に進学を目指しているってことなら、俺も、ミエちゃんも、ツヨシも、その他の友達もどこへでも証言に行くよ。でもミエちゃんが相談した専門家の話だと、一旦ビザを拒否されたら二年くらいは難しいらしい。いくら無実でも、一度疑われたらそれが晴れるまでにはそんな年月がかかるんだね。人間社会ってそんなものかも知れないな……
とにかくそういうわけで、ハーバー邸は俺とツヨシの二人で住むことになった、はずだった。
はず、っていうのは、そのあとも毎日いろんな人が出入りしてるんだよ。キヨシとは面識あったっけかな? ミエちゃんのクラスメートだから、もしかしたらマッチャンも知ってるかもしれない。京都弁のおとなしい男。でも、年下の女の子の前ではむしろにぎやかな奴だ。歩いて十秒、同じ敷地の向かいのアパートの一階に住んでるから、学校行くのも買い物行くのも、俺達と行動を共にしてる。マッチャンが帰国したあとの料理番はキヨシと、たまにミエちゃんも手伝ってくれてるよ。このコンビが実に兄妹チックでね、よくケンカもしてる。でも、あのミエちゃんが、キヨシの言うことならちゃんと従うんだよ!
ところでキヨシがしょっちゅうウチの部屋に遊びに来てるのには、別な事情もあるらしい。たくましい年上のルームメイト(ここだけの話、「ゴリラさん」と呼ばれている――ちなみに女性)がいて、共同生活をする上で何か意見に食い違いがあっても、どうもキヨシは言い返せないらしいんだ。そういうわけからか、どうもうまくいってないらしくて、こっちへ逃げて来ているというのがツヨシの説なんだな。その辺りキヨシ自身は全く口にしないんだけどね。
ところでキヨシの棟の二階の、俺達のアパートの真向かいにも日本人が住んでいるんだ。森さん……ここんところ「デビル部長」ってあだ名がついた人で、最近まで一緒に白タク事業をやってたんだ。「ドリーム・トラベル」っていうんだけど、思いつきの割にはいい名前でしょ? その名の通り、事業の夢は大きく膨らんでって、そして夢のままはじけちゃったけどさ。でもこの経験を通して思ったんだ。生きるって、夢見るところに本当の価値があるのかなって。そこから全てが始まると言ってもいい。そのことが分かっただけでも、人生の収穫だったと思ってる。 会社(?)はつぶれちゃったけど、森さんはそこで「経理部長」ってことになっていたから、それに彼のカネに対する貪欲さがプラスされて、今では「デビル部長」って呼ばれてるんだよ、誰が呼び始めたかは知らないけど(たぶんツヨシだと思う)。デビル部長はこっちで役者目指してるんだけど、最近は芝居の学校よりもスシ屋のバイトで忙しいようだ。チップが結構もらえるいい仕事なんだってさ。
ツヨシのことを言い忘れたか。いや、彼についてはあれからとりたてて変わったことはないと思うから、ここに書く必要がないのが本当のところだ。まあ、平日は相変わらず宿題に追われてるね。俺なんかとは英語に対する意気込みが違うんだな。相変わらず弱いくせによく酒を飲むし、一人で映画上映会もしてる。週末はキヨシやミエ、アフリカ人のママドゥ(ツヨシのクラスメート)や美人韓国人(名前は知らない)達とテニスをやってるようだ。それと、ひとつだけ大切なことを伝えたい。よくマッチャンのことが話題に出るから、ぜひ手紙を書いてやってほしい。
最後に俺自身の最近のこと。空港はハネムーン客が多くなったよ、ジューンブライドの。だから大安だとか仏滅だとか、日本の暦の影響をモロに受けるんだ、こっちにいても。だからすごく忙しい日と暇な日の差が激しいね(ついでに言うと今日は暇な日)。 ところで学校の方は、前よりちゃんと授業出てるよ。マリアエレナちゃんって言う、ウェーブのかかった長い髪のエクアドル人少女と仲良くしてる。最近よくやくニックネーム(マレナ、っていうんだ)で呼ぶようになったんだ。ここまで来るのに二、三ヶ月はかかったなぁ……。
昨日の放課後の昼どき、マレナを日本人街のしゃぶしゃぶ屋に連れて行ったんだ。そしたらさ、耳元で声を小さくして聞いてきたんだ「日本人はチーズをお湯で温めるの?」って。初めは何言ってるのかさっぱり分からなかったけれど、なんと、湯豆腐のことを指してたんだ! さらにさ、しばらくしてまた耳元でささやくんだ「日本人はどうして肉にピーナツバターつけるの?」って。今度は一体何のことだったと思う? 想像しても、まず当たらないだろうな。 なんとマレナは、小皿に入った味噌ダレのことをピーナツバターだと思ってたんだ! エクアドルに味噌なんてないからね。隣で俺が肉にタレつけてほっぺが落ちそうな顔してるのを、まるで木星人を見てるかのような顔で見てたよ。
そういえば、マレナについてもう一つ面白い話がある。新居でパーティをやったときのことだけど、「靴脱いで入ってください」ってツヨシが言ってるのに、あの娘ひとりだけ靴のままだったんだよ。もしかしてツヨシの発音がまずくて伝わらなかったのかなと思って俺からも言ってみたけど、マレナはきょとんとした顔してるだけだった。 昨日ちょうどその話が出たとき、マレナは言ったよ「脱ぐように言うのは聞こえたけど、まさか本気で言ってるとは思わなかったわ」まだ十九歳だし、世界の広さを知るのはこれからだと思うね。
そういや、君の手紙の中に「たまに見せるケンタ君の寂しそうな顔」というのがあったけど、この通りちっともさみしくなんかないよ。みんながそれぞれ支え合ってるからね。「過去を一つも話してくれなかったね」ってあったけど、それは単に話すほどのものが一つもないからだよ。ほら、現在のことならこんなに話せてる(でもそれは、ミン、ツヨシ、そしてマッチャン、君のおかげなんだよ)。 君からもらった巻貝のペンダントは今も首からぶら下げている。ミンからもらったペーパーバックもぼろぼろな状態で尻ポケットに入っている。離ればなれでいても俺達は仲間だし、同じ思いを共有してると信じてる。 こんな風に、マラソンで焚かれた炎は今、ハーバー通りに引き継がれている。その熱さ、温度感覚がこの手紙で少しは分かってもらえたら幸いだ。
日本はもうすぐ梅雨だと聞く。どうか体調を壊さないよう気をつけて。
飛行機の音がうるさいファーストフード店にて
心の友 健太より