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「なんかおれの子供の時って漫画とかで入学式で桜咲いてる演出ってあったけどさ、調べたら実際1980年代って開花が3月下旬から4月上旬でちょうどよく咲いてたっぽいんだよね。今って桜咲くの3月の中旬だから入学式も卒業式もかぶらないでしょ。最近漫画読まないからわかんないけど季節感の表現ってどうしてんだろ」
「あ~確かに…でも小学校の入学式に満開だったことってそんなになかったような気がするけどなあ…あくまでも作中の演出で実際には存在してなかったんちゃうの…知らんけど」
そんな事を言いながらおれは先輩と、先輩の事務所の応接セットのソファに差し向かいに座り、追分だんごで売ってる七味の入ったみたらし団子をムチャムチャ食べていた。
そこに、パラリーガルの野田さんが来た。
「なんですか、ふたりしてその…」
「今な、大事な話をしてたんよ、漫画表現における演出と実際の気候の…」
「…なるほど、雑談ですね。先生、16時からの面談、風邪っぽいので念の為リモートに変更希望って来てました」
「お、了解」
野田さんはペットボトルのほうじ茶を先輩とおれの前に置いて部屋を出ていった。
雑談こそしているものの、遊びに来たわけでもない。おれは今は年度末で春休み。先輩も春休みこそないけど今は普段と比べたらだいぶ落ち着いているので久しぶりに依頼したいことの相談に来たところだ。肩書きが増えてバタバタと置かれる環境が変わったので長谷と身を固めて以来会えていなかった。
先輩との関係は勿論再び完全に過去のものになっているが、それでもこうやって頼ればすぐに会って対応してくれる。話はトントン拍子で決まってさっき契約を取り交わした。
基本的には先輩は優しい。但しクズなので「お礼は今度付き合ってくれるだけでええよ」等と必ず言う。これは半分冗談で、半分冗談でもない。さっきもそう言われて「もうそういうのはナシですよ」と窘めていた。
「おれたちが出会った年って桜ってどうだったか憶えてる?」
「覚えてないですね、でも花見しましたよね駒場で。あと御苑とか砧公園とか行きましたよね」
「あ~、そうね。懐かしなあ」
ペットボトルの蓋を開けて数口飲む間に、先輩が下座の1シーターからおれが居る上座の3シーターに移ってきて密着して座る。肩に手を掛けておれの体を引き寄せて耳元で囁く。
「なあ、今年一緒に花見しに、遠出せえへん?弘前とか行ってみたない?」
「そういうのはご家族で行ったほうがよくないですか?おれは長谷と行くからいいですよ」
おれが淡々と言って団子の串の先を先輩に向けると「おっと」と言って先輩は顔を離して体をずらした。
「…なんやもう、釣れへんなぁ」
笑って串を取り上げ、団子の入っていた容器に戻して蓋をする。
おれは次は道明寺に手を伸ばした。
「しかし、昔もそうやったけど、しっかしほんときみ甘いものよう食うな…」
仕方がないのだ。おれは自宅で母親を殺され、その後おれも殺されかけて、監禁されてその時に母親の屍肉を調理したものを食わされていたことで肉類やその加工品は未だ食べられない。エキスを使った肉や骨の風味が強いものもだめだ。魚も姿がわかるものは無理だ。
よってエネルギーは甘いもの中心で補っている。以前なんてひどいときは甘い味のプロテインをミルクティー割にしたりコーヒー牛乳割にしたりして、あとはサプリメントやらビタミン剤やら組み合わせて済ませていたのでそれに比べたら全然マシなほう。
そんなふうに肉類や魚類に拒否反応がある人間がなんで法医学教室で教員なんかやってるのか、やれているのかと言われたら正直自分で自分に勝手に課している義務感のようなものだ。
法学部の横の食堂で先輩と出会った頃は、まだ医学に進むつもりは全然なくて「犯罪被害による心の傷とかその回復プロセスみたいなのを自分のために知りたい」くらいの感覚で、まだ進振前の身なのに心理学の先生方の所に押しかけていた。
今思うと迷惑極まりないが、その時本郷に出入りしてなかったら先輩とは出会っていなかった。先輩と出会ったからこそ、その後医学生になってから法医心理学の分野に道筋もつけやすかった。
この分野の役割は、心理学の専門知識を司法制度にどのように適用できるかで、先輩のような検事の経験があって弁護士みたいな司法手続きのプロセスがわかる実務経験がある人の意見は非常に役に立った。
事件に直接的に関わった人間が刑事手続きや裁判の中でメンタルに負ったダメージを如何に取り除くか、ショックによる記憶の混乱を如何に解消して有用な証言にするかということを追求している人がこの国にはいなかったのでブルーオーシャンだった。
具体的な技法の実用性が科学的に証明できれば、臨床においてもPTSDの治療や記憶障害の治療にも応用できる。おれが当初着地点にしたいと思っていたその部分にリーチできる。だから教員をしながらずっと取り組んできた。
先輩は本当に、病んでいたおれをやさしく見守ってくれただけではなく恩人なのだ。やらしく見守っていたという説もあるが。まあ、それはそれとして。
「先輩、今度ホテルの桜フレーバーに特化したスイーツブッフェ行きませんか?よかったら先輩のご家族も一緒に」
「それこそ家族水入らずで行くわ、なんで嘗てのセフレと行くねん、気ィ悪いやろ」
急にモラルを取り戻した先輩がおかしくて、おれは声を出して笑った。
「だったら先輩も変に誘わないでくださいよ、おれだって長谷呼びますよ」
食紅で彩られたピンクのつぶつぶの塊にかぶりつくと、餡子のこくのある甘さに桜の葉の芳しい香りと程よい塩気が重なった甘しょっぱい味が口の中に広がる。
相反する味わいってなんかいい、悪くない。
きっとあのまま先輩と甘く蕩けるような濃密な関係のままでいても、良くはなかった。
あの頃は、おれが父親によく似ている先輩に恋しくて縋っているだけで、きっとどこかで区切りは必要だった。
「先輩は今、おれのことどう思ってます?」
「どうって言われても、かわいい後輩ってのが模範解答やろ。てか、あの七味入ったみたらし旨かったから今度また来るとき買うて来てよ」
おれは誂うように先輩に「え~どうしよっかな~」と言って、お茶で口の中を流して席を立った。