テラーノベル
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ユズリハが月光の扉を押し開けると、ちりん、と軽い鈴の音がした。
「おはようございま~す」
「おはよう、ユズリハくん。今日は早速仕事だよ」
カウンターの奥で手を振ったサグメは、朝から妙に機嫌が良さそうだった。
「忙しいですね。わかりました」
「助かるよ。――で、これ探してきてくれない?」
サグメが差し出したのは、一枚の写真。写っているのは黒猫。やたらキリッとした目つきでカメラを睨んでいる。
「……猫?」
「月光で飼ってる猫なんだけどさ、脱走しちゃったんだよね。今日は猫好きの常連が多い日だから、いないと困るんだ。僕は店の準備があるから行けないけど……がんばってね♪」
「ま、まぁ……猫探しくらいなら……」
ユズリハは苦笑しながら店を出た。
午前の街はまだ静かで、通りに差し込む日差しは柔らかい。ユズリハは写真を見せながら裏路地を歩き回り、店の周りの公園、神社の境内、ゴミ置き場の陰まで探して回った。黒猫ならどこに紛れても分からなそうで、足取りは次第に重くなる。
それでも胸の奥には、不思議と“嫌じゃない”気持ちがあった。月光に来てから毎日が慌ただしくて、振り返れば全部新鮮だったからだ。
「いない……というか、なんで僕、レストランバイトで猫探しを……?」
ため息をついたその瞬間、黒い影が視界の端を横切った。
「いた!! 猫!!」
黒猫はふわりと尻尾を揺らし、挑発するように細道へ駆け込んだ。
「ま、待ってぇぇぇ!!」
ユズリハは半ば転がるようにして追いかけ、路地裏を抜け、階段を上り、最終的にはビルの屋上へと追い詰めた。
「やっと……捕まえたぞ……確保ー!」
飛びついた瞬間、猫がひょいっと身をかわした。
「えっ――」
足が空を切り、ユズリハの身体はフェンスを越えて落下した。
視界が反転し、風が耳を裂く――はずだった。
「……ん……?」
まぶたを開けると、知らない黒髪の男がユズリハを片腕で抱えていた。あたりは地上。いつの間にか降りている。
「ったく、落ちるとかどんくさすぎるだろ」
「えっ……ありがとうございます……? あなたは……?」
「さっきの猫だよ。細かい説明はめんどくせぇから把握しとけ」
「ね、猫……? さっきの……?」
状況が飲み込めない。けれど、男の目は写真の猫と同じ鋭さで、どこか納得もできてしまった。
ユズリハは姿勢を整え、恐る恐る切り出す。
「僕、サグメさんに言われてあなたを連れ戻すよう言われたんです。月光に戻りませんか?」
「めんどくせーな。オレは撫でられんの好きじゃないんだよ」
「えぇ……困りますって……」
「じゃあ、これで。じゃーな」
踵を返した男がそのまま立ち去ろうとした――その瞬間。
「ミケーー?」
「うげっ、ゴキブリ……! 相変わらず心臓に悪りぃな……」
音もなく現れたサグメが、笑顔で手を振っていた。
「ユズリハくん、ありがと。ほら、帰るよミケ」
「くそ~……」
ミケと呼ばれた男は頭を掻きながら、不承不承サグメの後を歩き出す。
ユズリハは肩の力が抜けて、疲れたように笑った。
(大変だけど……こういう日常も、悪くないのかもしれない)
◆ 余談
ユズリハ「ミケさんって……なんで“ミケ”って名前なのに黒猫なんですか?」
ミケ「あー……ツクヨミさんがつけてくれたんだが……『猫にはミケって名付ける』って決めてたらしい……」
ユズリハ(ツクヨミさん……意外と変人……?)
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