私は、あの映画で泣けなかった。
あの映画というのは、中学生の時、私と二つ上の姉2人だけで、初めて映画館に行って見た母子家庭のヒューマンドラマだ。
内容はこう。
その母子は、 お互いにとって最愛の存在で、たくさんの苦悩に直面しながら、時には対立しながら生活を営む。
それでも、やはり愛し合い、この嘘のように広い世界の中で、血のつながった2人は生きる、という話。
そして。最終的には母親が亡くなり、娘はその悲劇に涙を流すも、立ち上がり、彼女は強く生きる。
まさに、お涙ちょうだい、って感じ。
その映画で、姉は泣いていた。
というより、泣けていた。
スクリーンの光が、その涙の通った頬を照らし出していて、とても美しかった。
瞳にたっぷりと潤いを溜め、次々に溢れ、伝う姉の涙には、私と違う、清さがあった。
私はその横顔を見つめていた。
泣けない妹の私は、姉をただ見つめた。
この時から、私は姉といると、自分がいかに歪んでいるのか知り始めた。
私が姉を見るたび、鏡のように、それは汚い私を映しだす。
私は、目を逸らした。
ー2年後。
母が死んだ。
今度は映画じゃない。
ほんとの、母親だ。
私の、私たちのお母さんだ。
私は高校に上がったばかりの時で、まだ冬の寒さが空気に残っていた。
桜も咲いてない、春はまだ眠っている。
その日は、嫌に乾いた風と、濁った灰色の空が占めていた。
ベッドの上で安らかに眠る母を、私と姉、父の3人が囲う。
決して目を開けることのない母の顔を見ても、ほんとに死んでると思えなかった。
もうちょっと、もうあと少ししたら、目を開けて、起き上がるんじゃないの?
いつもみたいにエプロンして、トントントンって心地いい包丁の音を立てて、みんなを呼んで、あったかい料理をテーブルに並べてくれて。
美味しそうに食べる私たちを、包むような落ち着いた顔で、少し肩を上げてほほえんで。
そんで、いってらっしゃいって言って、今日は寒いから、カイロ入れといたよって…、マフラーは大丈夫?していかなくても平気?って…、ちょっと心配しすぎなほど聞いてきて、平気だよって…返事して、私たちに手を振って、笑って、やさしい瞬きをして、、そんで、そんで…。
そんで…
あっ、もうないんだ。
これから、全部ないんだ。
へぇ…、一生ないんだ。
もう、今日から変わっちゃうんだ…。
私はやっと実感し始めながら、隣を見た。
姉は泣いていた。
あの時みたいに、純度100%の清さで。
子供みたいに、声を出して、ひたすらに感情を涙として出せていた。
大きな粒が、溢れては伝う。
目元と鼻先が熱く火照り、柔らかいピンク色に染まっている。
背中を丸め、しおらしく、美しく。
まるで、この世界すべてに抗うみたいに。
目の前の、身の丈を遥かに超える悲しみに、吠えるように。
姉は、向こうが透けて見えるような、綺麗で、透明な涙を落としていた。
私はその横顔を見つめた。
あの時と同じ。
妹の私は姉をただ見つめた。
私は泣けなかった。
結局、泣けてなかった。
そして、その姉の泣きじゃくる顔を見て、
わかった。
私はこの人にはなれないし、敵わないということ。
そして、これからも、自分の汚さに震えるだろうということ。
お姉ちゃん、あなたはこれからも、たぶんずっと、鏡なんだよ。
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