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2
ねこ(=^‥^)
99
安心したみたいに喉を鳴らした。
「……馬鹿」
思わず声が漏れる。
こんな状態になるまで、
一人で残っていたのか。
シエルは返事みたいに、弱く尻尾を動かした。
だが次の瞬間。
「っ……!」
全身が小さく痙攣する。
呼吸が浅い。
もう限界に近かった。
「予紬さん……」
しゆらが隣へ膝をつく。
暴走剤の影響がまだ残っているはずなのに、その手は震えていなかった。
そっとシエルの頭へ触れる。
「……がんばったですね」
その声を聞いた瞬間。
シエルの強張っていた身体が、ほんの少しだけ緩んだ。
小さくなっている。
いや。
縮んでいるんだ。
過剰な魔力放出で、
身体維持ができなくなっている。
「魔力枯渇……」
俺は小さく舌打ちする。
無茶をしすぎた。
本来なら死んでいてもおかしくない。
「助かる?」
ルカが不安そうに聞く。
俺はすぐ答えられなかった。
酷い火傷。
内出血。
呼吸器官の損傷。
そして魔力枯渇。
普通なら無理だ。
だが。
「……死なせない」
気づけば、そう口にしていた。
しゆらが小さくこちらを見る。
俺は崩れた研究塔を見上げた。
もう戻る場所はない。
研究室も、
地下も、
データも、
設備も。
全部消えた。
残ったのは。
逃げ延びた数人と、
瀕死の魔獣だけ。
なのに。
不思議と、
喪失感より先に湧いてきたのは。
「……絶対、生かす」
静かな執念だった。
しゆらはしばらく黙っていたが、
やがて小さく笑った。
泣きそうな顔で。
「予紬さん、そういう顔するんですね」
「どういう顔だ」
「……大事なもの、絶対離さない顔です」
その言葉に、
少しだけ息が止まる。
しゆらは気づいていないのか、
シエルの頭を優しく撫で続けていた。
その時。
小さくなったシエルが、
弱々しく前足を伸ばす。
向かった先は。
俺でも、
ルカでもない。
しゆらだった。
「……え?」
しゆらが目を瞬く。
シエルはその手へ鼻先を押しつける。
それから。
まるで“頼む”みたいに、
小さく喉を鳴らした。
しゆらの瞳が揺れる。
「……大丈夫ですよ」
そっと、
その頭を抱き寄せる。
「もう、一人にしませんから」
その瞬間。
小さくなったシエルは、
ようやく安心したみたいに目を閉じた。
遠くでは、
まだ研究塔の残骸が燃えていた。
赤い炎が夜空を染めている。
それを見つめながら。
俺は静かに理解する。
——もう戻れない。
人間側へも。
研究者だった頃へも。
全部、
あの炎の中へ消えたのだと。
研究塔の残骸が燃えていた。
夜空を焦がす炎。
崩れた鉄骨が、時折鈍い音を立てて崩れ落ちる。
その赤い光の中で、
ルカは小さくなったシエルを見つめていた。
「……ほんとに、シエル?」
不安そうな声だった。
今のシエルは、以前の巨大な姿の面影がほとんどない。
子犬みたいな大きさ。
呼吸も弱い。
それでも。
白銀の毛並みだけは、
ちゃんとシエルだった。
「魔力使い切ると、たまに縮退する個体がいる」
俺はシエルの傷口へ簡易止血剤を押し込みながら言う。
「でもここまで極端なのは初めて見た」
「戻るの?」
「生きてればな」
しゆらがぎゅっとシエルを抱き寄せる。
その手つきは、
壊れ物を扱うみたいに優しかった。
「……生きます」
ぽつりと呟く。
「この子、まだ頑張ろうとしてるので」
その言葉に、
シエルの耳が小さく動いた。
まだ意識はあるらしい。
「よつむ」
ルカが珍しく真面目な顔をする。
「これからどうするの?」
風が吹く。
灰が夜空へ舞い上がった。
その問いに、
誰もすぐ答えられなかった。
戻る場所はない。
研究所は消えた。
地下の仲間達も、
ほとんどがあの炎の中だ。
人間側は、
もう完全にこちらを“処分対象”として見るだろう。
「……もう、追われる側なんですね」
しゆらが静かに言う。
その声に恐怖はなかった。
ただ、
少しだけ寂しそうだった。
「たぶんな」
「じゃあ」
しゆらは小さくシエルを抱え直し、
こちらを見る。
赤い炎を映した瞳。
「逃げないとですね」
その言葉を聞いた瞬間。
ルカがぐっと唇を噛む。
「……やだ」
小さな声だった。
「ここ、ボクの家だったのに……」
誰も何も言えなかった。
地下は確かに家だった。
狭くて、
暗くて、
騒がしくて。
でも。
あそこだけは、
みんな生きていてよかった場所だった。
「……ルカ」
しゆらがそっと名前を呼ぶ。
ルカは俯いたまま、
尻尾を震わせていた。
「……なんでボク達だけ、こんな目にあうの……」
その言葉が、
夜の瓦礫へ静かに落ちる。
遠くでは、まだ炎が燃えている。
人間達はきっと、
“危険な研究区画を処分した”
くらいにしか思っていない。
そこに、
誰がいたのかも知らずに。
「……」
俺は燃え続ける研究塔を見る。
長い間、
あそこが世界の全部だった。
研究して、
守って、
閉じ込めて。
そうしていれば、
いつか理解されると思っていた。
だが現実は。
燃えた。
全部。
「予紬さん」
しゆらが静かにこちらを見る。
「……どうしますか」
その問いに。
俺はしばらく答えなかった。
炎の向こう。
崩れ落ちた研究塔を見つめながら。
胸の奥で、
静かに何かが形を変えていく。
怒りとも違う。
憎しみとも少し違う。
もっと冷たい何か。
やがて。
俺はゆっくり口を開いた。
「……もう、隠れなくていい」
ルカが顔を上げる。
しゆらも小さく目を見開いた。
「俺達を処分するなら」
燃える研究塔を見つめたまま、
静かに続ける。
「今度は、向こうが俺達を恐れる番だ」
夜風が吹く。
その瞬間。
しゆらの瞳が、
少しだけ揺れた。
ルカも何か言おうとして、結局口を閉じる。
誰もそんな予紬を見たことがなかった。
怒鳴っているわけじゃない。
感情的になっているわけでもない。
むしろ静かだった。
静かすぎるほどに。
だからこそ。
しゆらは少しだけ不安になった。
研究所が燃えたことよりも。
地下の仲間達を失ったことよりも。
予紬の中で何かが変わってしまった気がしたから。
「……疲れてますね」
不意にしゆらが言った。
「は?」
「予紬さん」
しゆらは少しだけ困ったように笑う。
「すごく疲れてます」
俺は返事をしなかった。
だが。
否定もできなかった。
しゆらは昔からそうだった。
妙なところばかり見ている。
怒っているか。
悲しいか。
苦しいか。
そういうことを、誰より先に気づく。
「今日は寝ましょう」
しゆらが静かに言う。
「寝れる状況か?」
「寝れなくても横にはなれます」
「大差ないだろ」
「あります」
即答だった。
少しだけ。
本当に少しだけ。
いつもの空気が戻る。
ルカも鼻をすすりながら笑った。
「しゆら、それ前も言ってた」
「ルカは少し黙っていてください」
「なんで!?」
子供達の間から小さな笑い声が漏れる。
泣きそうだった顔が、少しだけ和らいだ。
その時だった。
シエルが微かに身じろぎする。
「……っ」
しゆらが慌てて抱き直した。
シエルは薄く目を開ける。
金色の瞳。
弱々しいが、意識は戻っていた。
「起きた」
ルカがほっとしたように息を吐く。
シエルは小さく喉を鳴らしたあと、しゆらの腕の中へ顔を埋めた。
もう警戒する力も残っていないらしい。
「今日はここまでですね」
しゆらが静かに言う。
周囲を見れば、半魔の子供達も限界だった。
泣き疲れた顔。
煤だらけの服。
それでも誰も文句を言わない。
言う元気も残っていなかった。
俺は近くの岩陰を確認する。
風を避けられる場所だった。
「そこで休む」
子供達が小さく頷く。
ルカも疲れた顔のまま立ち上がった。
「ボク、見張りする」
「寝ろ」
「でも——」
「寝ろ」
即答だった。
ルカは不満そうに耳を伏せたが、数秒後には観念したように肩を落とした。
「……わかった」
結局一番最初に寝たのはルカだった。
子供達へ毛布代わりの布を掛けている途中で、そのまま座ったまま眠り込んでしまった。
「早いですね」
「いつも通りだ」
しゆらが少しだけ笑う。
その後も子供達は次々と眠りについた。
誰かが泣きながら寝言を言い。
誰かが友達の服を握ったまま眠る。
静かな夜だった。
遠くではまだ研究塔の残骸が燃えている。
だがここだけは、不思議と穏やかだった。
やがて。
寝息だけが聞こえるようになる。
しゆらはシエルを抱いたまま、その様子をしばらく見つめていた。
「……みんな寝ましたね」
「ああ」
夜風が吹く。
炎の明かりは、少しだけ弱くなっていた。
しゆらは何か言いたそうに視線を泳がせる。
珍しい。
普段ならもっと素直に聞く。
「なんだ」
そう言うと、しゆらの肩がぴくりと揺れた。
「……その」
少しだけ顔を逸らす。
耳が赤い。
「さっきのことなんですけど」
「さっき?」
「地下で」
しゆらはさらに声を小さくした。
「予紬さんが……その……」
言葉に詰まる。
数秒考えて、ようやく思い当たる。
武装兵がしゆらへ銃を向けた時。
咄嗟に抱き寄せた。
あれのことか。
「抱き寄せたことか」
「っ……!」
しゆらの顔が一気に赤くなる。
図星だったらしい。
「なんで普通に言うんですか……」
「聞いてきたのお前だろ」
「そうですけど……」
しゆらは完全に視線を逸らした。
こんな状況で何を気にしているんだ。
そう思ったが。
少しだけ、わかる気もした。
あの時は必死だった。
理由なんて考えていなかった。
ただ。
しゆらが怯えていた。
それだけだった。
「……怖がってたからだろ」
俺がそう言うと、しゆらがゆっくりこちらを見る。
「それだけですか」
「それだけだ」
即答した。
だが、しゆらは納得していない顔だった。
「嘘です」
「なんでだ」
「予紬さん、あんな抱き方しません」
失礼な言われようだった。
だが否定できない。
しゆらは少しだけ俯く。
「……私」
小さな声。
「嬉しかったです」
夜風が吹く。
遠くで、まだ炎の音がしていた。
「怖かったので」
しゆらはシエルの頭を撫でながら続ける。
「みんな壊れていくし」
「……」
「予紬さんまでいなくなる気がして」
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
しゆらは顔を上げる。
赤くなったまま。
それでも、真っ直ぐこちらを見ていた。
「だから」
少しだけ笑う。
「抱きしめてくれて、安心しました」
静かな声だった。
俺はしばらく何も言えなかった。
やがて小さく息を吐き、しゆらの頭へ手を置く。
「……予紬さん?」
「安心したなら、それでいい」
そう言うと、しゆらは一瞬目を丸くした。
それから。
ほんの少し、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間。
燃えた研究所も。
失ったものも。
全部消えたわけじゃないと、少しだけ思えた。
コメント
1件
ああ、もう……胸がぎゅっとなりました。シエルが小さくなって、それでもしゆらの手に鼻先を押しつけるところ、本当に切なくて。頼むみたいに喉を鳴らすシエルに「もう一人にしませんから」って言えるしゆら、強いなあ。予紬さんの中で冷たい決意が静かに固まっていくのも、だんだんと何かが変わっていくのが感じられて、続きが気になって仕方ないです。お疲れのところ、素敵な話を届けてくださってありがとうございます。