テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
猫さん
2
その笑顔を見た瞬間。
燃えた研究所も。
失ったものも。
全部消えたわけじゃないと、少しだけ思えた。
気づけば、いつの間にか眠っていたらしい。
目を開ける。
空は薄く白み始めていた。
朝だった。
冷たい風が吹いている。
火の勢いは弱くなっていたが、研究塔の残骸はまだ燻っていた。
「……朝か」
身体を起こす。
少し離れた場所では、子供達が寄り添うように眠っていた。
ルカもいる。
見張りをすると言っていたくせに、誰よりも深く寝ていた。
「すぅ……」
「……」
蹴りたくなった。
その時。
服の裾が軽く引かれる。
視線を落とす。
しゆらだった。
いつの間にか隣で眠っていたらしい。
俺の白衣の裾を握ったまま、小さく寝息を立てている。
「……」
離そうとすると。
ぎゅっ。
逆に強く握られた。
寝ているのに。
「……起きてるのか」
返事はない。
完全に寝ている。
俺は小さく息を吐いた。
その時。
もぞり、と別の動きがあった。
しゆらの膝の上。
丸まっていたシエルがゆっくり顔を上げる。
「起きたか」
弱々しいながらも、金色の瞳には光が戻っていた。
シエルは周囲を見回したあと、研究塔の方角を見る。
しばらく黙ったまま。
それから。
小さく鼻を鳴らした。
まるで確認するみたいに。
「……何も残ってないな」
俺も同じ方向を見る。
研究室。
地下。
記録。
仲間達。
全部。
あの場所に置いてきた。
シエルは静かに目を閉じる。
どこか寂しそうだった。
「予紬さん……?」
眠そうな声がする。
しゆらがゆっくり目を開けた。
数秒ぼんやりしたあと。
自分が白衣を掴んでいることに気づく。
「……」
固まる。
耳が赤くなる。
「おはよう」
俺が言う。
「お、おはようございます……」
手はまだ離れていない。
「離さなくていいのか」
「っ!」
慌てて手を離す。
しゆらは顔を逸らした。
朝から真っ赤だった。
「……予紬さん」
「なんだ」
しゆらは研究塔の残骸を見る。
そして静かに聞いた。
「これから、どこへ行くんですか」
風が吹く。
灰が空へ舞い上がる。
俺は少し考えた。
そして。
初めて口にする。
「人間領の外へ出る」
しゆらが目を瞬く。
ルカも寝ぼけながら顔を上げた。
「……外?」
「ああ」
人間が支配している領域の外。
地図にもまともに載らない場所。
魔物達の縄張り。
半魔の集落。
捨てられた都市。
誰も管理していない土地。
「まずは生き残る」
そう言って立ち上がる。
「話はそれからだ」
朝日が昇る。
研究塔の残骸を照らしながら。
俺達の逃亡生活は、そこから始まった。
朝日が昇る。
研究塔の残骸を照らしながら。
俺達は瓦礫の跡地を後にした。
振り返る者はいない。
振り返れば足が止まる。
みんなわかっていた。
だから誰も見なかった。
森へ入る。
道なんてない。
獣道を辿りながら歩く。
子供達は黙っていた。
疲れているんだろう。
無理もない。
昨日だけで色々ありすぎた。
「……」
その時。
小さく服が引っ張られる。
しゆらだった。
「なんだ」
「シエルが重いです」
見れば、しゆらの腕の中でシエルが丸くなっていた。
完全に寝ている。
「置いていけば軽くなるぞ」
「だめです」
即答だった。
シエルの耳がぴくりと動く。
寝ているくせに聞こえているらしい。
「ほら」
俺は手を差し出した。
「貸せ」
しゆらは少し迷ったあと、シエルをこちらへ渡す。
すると。
シエルは目も開けずに俺の肩へよじ登った。
「……」
「……」
「重いですね」
「重いな」
しゆらが少しだけ笑う。
その時。
前方からルカの声が響いた。
「よつむー!」
「なんだ」
「お腹空いた!」
「一時間前に食っただろ」
「昔の話じゃん」
「昔ではない」
子供達から小さな笑い声が漏れる。
ルカは頬を膨らませた。
「だって歩くとお腹空く!」
「ボクも」
「私も」
いつの間にか子供達まで便乗していた。
うるさい。
本当にうるさい。
だが。
少し安心した。
昨日みたいな顔はしていない。
少なくとも今は。
「川があります」
しゆらが指を差す。
木々の向こう。
小さな川が流れていた。
「休憩するか」
その一言で。
子供達が一斉に歓声を上げた。
「やった!」
「座れる!」
「水!」
数人は走り出しそうになり、
「転ぶぞ」
予想通り転んだ。
「いたぁっ!」
「だから言った」
ルカが大笑いする。
転んだ子もつられて笑う。
気づけば。
さっきまでの重い空気はどこかへ消えていた。
しゆらは川辺へしゃがみ込み、冷たい水へ手を浸した。
「冷たいです」
「川だからな」
「当たり前ですね」
「当たり前だ」
しゆらは小さく笑う。
風が吹く。
木々が揺れる。
研究所はもうない。
地下もない。
昨日までの日常は終わった。
それでも。
子供達の笑い声が聞こえる。
ルカが騒いでいる。
シエルは肩で寝ている。
しゆらが隣にいる。
だったら。
また作ればいい。
失ったものと同じじゃなくても。
新しい居場所を。
そんなことを考えていると。
不意にしゆらがこちらを見る。
「予紬さん」
「なんだ」
しゆらは少しだけ微笑んだ。
「ちゃんと笑えるじゃないですか」
「……笑ってたか?」
「はい」
そう言われても自覚はない。
だが。
しゆらは少し嬉しそうだった。
まるで。
それだけで十分みたいに。
しばらく川辺で休憩したあと、再び歩き始めた。
昼を過ぎる頃には、子供達の足取りもかなり重くなっていた。
無理もない。
昨日までは地下で暮らしていたのだ。
森を何時間も歩く生活なんて慣れているはずがない。
「もう歩けない……」
一人が倒れるように座り込む。
それを見た途端。
「ボクも」
「私も」
「疲れたー」
連鎖した。
次々に地面へ座り込んでいく。
「お前らな……」
俺が呆れていると。
「予紬さん」
しゆらが小さく袖を引いた。
「私も少し疲れました」
「お前もか」
「はい」
真顔だった。
絶対便乗したな。
そう思ったが、顔色は確かに少し悪い。
暴走剤の影響もまだ完全には抜けていない。
「休憩だ」
その一言で。
子供達から歓声が上がった。
「やったー!」
「しゆらありがとう!」
「救世主!」
「違います」
しゆらは首を横に振る。
「私も疲れました」
「正直だな」
「嘘はよくないです」
その返答に思わず小さく吹き出した。
すると。
「笑った」
しゆらが言う。
「だから笑ってない」
「今笑いました」
「笑った笑った」
ルカまで便乗する。
面倒くさい。
本当に面倒くさい。
その時だった。
「……あ」
子供の一人が前を指差した。
少し先。
木々の隙間から何かが見える。
屋根だった。
全員の視線が集まる。
森にぽつんと建つ小さな建物。
古びている。
だが崩れてはいない。
煙突もある。
窓も割れていない。
「家だ」
誰かが呟いた。
その瞬間。
疲れていたはずの子供達が一斉に立ち上がる。
「ほんとだ!」
「屋根ある!」
「壁もある!」
「ベッドあるかな!?」
「まだわからん」
だが誰も聞いていない。
すでに駆け出している。
「転ぶぞ」
一人転んだ。
「いたぁっ!」
「学習しろ」
ルカが大笑いする。
その隣で。
しゆらも建物を見つめていた。
少しだけ。
本当に少しだけ。
目を輝かせている。
「入りたいか」
そう聞くと。
しゆらは少しだけ恥ずかしそうに頷いた。
「……はい」
予想外に素直だった。
「屋根のある場所、久しぶりなので」
まだ一日しか経っていない。
だが。
みんな同じ気持ちだったのかもしれない。
研究所はなくなった。
地下もなくなった。
それでも。
雨風をしのげる場所があるだけで。
少しだけ安心できる。
建物へ近づく。
扉は壊れていた。
だが中は思ったより綺麗だった。
長い間使われていないらしい。
埃は積もっている。
それでも十分だった。
「住める!」
「広い!」
「ボクあっち!」
子供達が勝手に部屋の取り合いを始める。
ルカまで混ざっていた。
「そこボクの!」
「違うもん!」
「先に見つけた!」
うるさい。
本当にうるさい。
だが。
その騒がしさが妙に心地よかった。
その時。
隣で小さな笑い声がした。
しゆらだった。
シエルを抱えたまま。
楽しそうに子供達を見ている。
「なんだ」
「いえ」
しゆらは首を横に振る。
それから少しだけ笑った。
「なんだか」
窓から差し込む夕陽が、その横顔を照らす。
「また始まるみたいですね」
その言葉に。
俺は少しだけ室内を見回した。
騒ぐ子供達。
寝ぼけたシエル。
喧嘩しているルカ。
そして。
安心したように笑うしゆら。
研究所とは違う。
地下とも違う。
それでも。
悪くない。
そんな気がした。
コメント
1件
ああ、第11話読み終えました……。研究所を失った喪失感の中でも、子供たちの笑い声やルカの騒がしさ、そしてしゆらの優しい笑顔がじんわり沁みましたね。「ちゃんと笑えるじゃないですか」ってしゆらに言われて、予紬さん自身も気づかないうちに笑ってたっていう場面が、すごく好きです。新しい居場所を作っていく決意と、誰かの隣で少しずつ変わっていく関係性が丁寧に描かれていて、とても温かい気持ちになりました。次も楽しみにしています🌷