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白い光が私の体を包みこむ。そのまま意識を集中させて……風を纏うイメージで。ふわりと周囲に風が舞起こる。そしてゆっくりと体が宙に浮かんだ。もう少し、もう少し……爪先が完全に床から離れる。
「やった……出来た!! うわっ!」
油断して気を抜いた途端に光は霧散し、宙に浮いていた体は呆気なく落下してしまう。私は床に派手に尻餅をついてしまった。
「いたた……まだまだ練習が必要だな」
最初の貝殻や石ころしか浮かせられなかった頃と比べたらかなりの進歩だと思う。ルーイ様から魔法を教わった日から私は毎日練習を重ねた。その成果が出て力を使うことには随分慣れてきた。しかし、私の最終目標は自分の体を魔法で浮かせて空を飛ぶ事なので先は長い。空が飛べれば突き落とされて転落死するのが防げる。未来の私は刺されて死んだはずなのだけど、何かの拍子で死因は変わるかもしれない。対策は大事だ。
「今日の特訓は終わり! ちょっと休憩しよう」
両手両足を大きく広げ、ベッドの上に転がった。モニカがいたらお行儀が悪いって怒られちゃいそうだけど、今この部屋には自分以外誰もいないので気にしない。
「カミルはもうルクトに着いた頃かなぁ……」
結局、私のルクト行きは両親に許可されなかった。理由はアレット先生に出された宿題がまだ終わっていないからとのこと。
刺繍苦手なんだよね……。ハンカチに簡単な模様を装飾するだけなのに。不器用な私はいつまでたっても終わらず、次にアレット先生がいらっしゃるまでに終わらせるようにと言われていたのだった。
「姉様はいいなぁ。私も行きたかった」
フィオナ姉様もルーカス様から誘われていたらしく、一緒にルクトへ行っている。期間はおよそ2週間。牧場で牛の乳搾りとかやってみたかったなぁ。
今日はお父様もお母様も王宮に行ってて留守だし、エミールはお昼寝中……退屈だ。
私はバルコニーの方へ視線を移した。いやいや、エリスは昨日来たばかりじゃないか。自分はどれだけローレンスさんからの手紙を心待ちにしているんだと呆れてしまう。
「お庭の散歩にでも行こうっと……」
ジェフェリーさんによって丁寧に手入れされた庭は相変わらず素敵で、沈んでいた気持ちが少し浮上した。以前一緒に植えたサルビアは鮮やかな濃い赤色の花を咲かせている。こっちの花壇の朝顔も蕾が大きくなってるし、明日にでもお花が咲きそう……
季節は夏本番になろうとしている。コスタビューテの夏はさっぱりとしていて比較的過ごしやすい。透明度の高い美しい海は観光スポットとしても人気だ。これから海辺の町では、お祭りなどのイベントが盛り沢山なので今からわくわくする。
花壇のお花を眺めながら歩いていると、屋敷の方からモニカがこちらに向かっているのが見えた。私を探していたみたいだ。
「クレハお嬢様、こちらにおいででしたか」
「どうしたんですか? モニカ」
「旦那様と奥様がお戻りです。お嬢様に大切なお話があるとの事で、すぐにお呼びするようにと……」
「えっ、何だろう」
宿題やってなかったことに対するお説教かな。それとも黙って屋敷を抜け出して『とまり木』に行ったのがバレたのかな。
「お父様……怒ってました?」
「いいえ。そんな風には見えませんでしたよ。ただ……少しそわそわしていらっしゃいましたが」
ウチの両親は過保護だが怒る時は怒る。改まって話と聞いて嫌な予感しかしなくてせっかく浮上した気分が再び急降下する。
「とにかく参りましょう。おふたり共お待ちですから……」
「はーい……」
お庭の散歩を中断して私はモニカと共に屋敷に戻った。
モニカに案内されたのはお父様の書斎だった。入りたくないなぁ……でも、いつまでも入り口の前で立ち往生しているわけにもいかない。私は胸に手を当て深呼吸をすると、意を決して扉をノックした。
「クレハです。参りました」
「どうぞ」
入室を許可するお父様の声が聞こえ、ドアノブに手をかけた。
「失礼致します」
扉を開けて中に入る。お父様は執務机に座ってこちらを見ている。そして、その傍らにお母様が寄り添うように立っていた。物々しい雰囲気に尻込みしてしまう。
「急に呼びつけてごめんな、クレハ」
開口一番、お父様は申し訳なさそうに私を気遣う言葉をかけた。モニカの言った通り、その表情から怒りは感じられない。これはひょっとしてお説教じゃないのかな……?
「いいえ。あの……それで私、何をしたんでしょうか?」
「は?」
「えっ……だって私、お説教されるために呼ばれたのではないのですか?」
お父様とお母様は、顔を見合わせて目を丸くしている。
「もう! 違うわよ、クレハちゃんったら」
クスクスと笑いながらお母様が私の方へ歩み寄り、その場でしゃがみこんだ。お母様の目線が私より少し下になる。そして、語りかけるようにゆっくりと話しだした。
「今日…….お父様とお母様が王宮に上がっていたのはクレハちゃんも知っているわね?」
「はい……」
「その理由はね……クレハちゃんの事で、国王陛下にお呼び出しされたからなの」
私の事……? お母様は満面の笑顔で頷く。お父様の方を見ると、同じように笑っている。なに、何なの? 怖いんですけど。わけが分からずビクビクしている私を見て、楽しんでいるのではないだろうか……このふたりは。
「あの……どういう事か説明して頂けませんか?」
「ああ、ごめんよ。クレハ」
お父様は姿勢を正すと、コホンと軽く咳払いをして私に向き合う。そして真剣な顔で告げた。
「クレハ、お前と王太子殿下との婚約が正式に決定した」
「おめでとう!! クレハちゃん!」
手をパチパチと叩きながら、お母様は祝いの言葉を述べた。言われた内容がすぐに理解できなかった私は……その場に唖然と立ちすくんだ。
「クレハちゃん、クレハちゃん大丈夫?」
心配そうにお母様が何度も声をかけてくる。肩を揺すられた拍子に、私の茫然としていた意識が戻った。
「はい……大丈夫です」
ちょっと、全然大丈夫じゃないでしょ! 私は自分自身にツッコミを入れる。さっきお父様は何と言った……私と殿下が……?
「あの、お父様……申し訳ないのですが、冗談にしてはイマイチではないかと。全く笑えませんし」
「うーん……いくらお父様でもこういう冗談は言わないかな」
「じゃあ、本当に? 私、殿下とお会いしたことありませんけど……」
「そうねぇ……クレハちゃん王宮の催しにも全然参加しなかったから、お会いする機会が無かったのよねぇ」
お母様の嫌味なのかと思う切り返しに、反論する事ができない。機会をことごとく潰してきたのは私自身だ。
「そもそも殿下が堅苦しい席はあまりお好きじゃないからなぁ。クレハみたいに本当に避けられない行事にしか顔を出さない。なんだ、ふたりは気が合うんじゃないか? 歳も近いしな」
お父様……姉様の婚約の時は面識も無い同士は気の毒だとか言ってた癖に。私にはそういう配慮無いんですか? 扱いが違い過ぎませんか。
「実はな、クレハは殿下の婚約者候補の1人だったんだよ」
「初耳なんですけど」
「言わなかったからね。まさか選ばれると思ってなかったから……ほんとごめんね」
「殿下のお嫁さん候補は他にもいるのですよね? 何でよりにもよって私なんかを……」
「あら、『なんか』なんて言うものじゃないわ。フィオナちゃんもクレハちゃんも、私の自慢の娘なんだから! クレハちゃんを選んだ陛下、とっても見る目あると思ったもの」
お母様……そう言ってくださるのは嬉しいけど、それは親の欲目という奴では? 姉様はともかくとして。
「クレハ、お前も突然のことで動揺しているのは分かる……でも、これはもう決定事項なんだ。気持ちの整理をつけるのは大変だと思うが理解して欲しい」
「……分かっています、お父様。謹んでお受け致しますと陛下にお伝え下さい」
国王陛下からのお達しをお断りすることなんて、できるはずはなかった。