「王子様と婚約か……ということはクレハは将来王妃様になるんだな。なんつーか、こういう話を聞くとお前がいいとこのお嬢様なんだって実感するな」
ルーイ様はお茶請けのお菓子を食べながらいつもの軽い口調で言った。遊びに来ていた彼に先日決まった私の婚約の話をしてみた。ルーイ様がどういう反応をするかちょっと興味があったのだけど……あまりにもあっさりしていてつまらない。
「……ルーイ様は人ごとだと思って」
「ははっ、人ごとだからな」
コスタビューテ王国の王太子、レオン様と私の婚約が正式に決まった。ルーイ様とは違って屋敷のみんなは大騒ぎだ。まだ婚約しただけだというのに祝辞を述べられるし、式のドレスや宝石類はどんなものが良いかとか、何とも気の早い話題まで飛び交っている。みんな私がまだ8歳という事を忘れていますよね。
「それはそうと、その王子様ってどんな奴なんだ?」
「実は私もよく存じ上げなくて……」
「はぁ? お前なぁ……仮にも未来の旦那だろ。そんな感じでいいわけ?」
「良くないですけど! まさかこんな事になるとは思ってもいなかったんです。それに……」
私は18歳の誕生日に死亡するという未来が待っている……いや、全力で回避するつもりですけども。そんな危うい立場の私が婚約などしても良いのだろうか。それも王太子殿下とだなんて。
ルーイ様は私の顔を見て、考えていることを何となく悟ったのか、私の頭をくしゃりと撫でた。
「……レオン殿下は私より2歳ほど上で現在10歳。とても優秀な方だと伺っています。5日後に王宮で王妃様主催のお茶会があるのですが、殿下もご出席されるそうです。私もそれに出席するように言われています」
「なるほどね……顔合わせを兼ねたお披露目みたいなもんか。そこでお前は初めて、その王子様と対面するわけだな」
おそらく殿下だけでなく、国王陛下や親戚の方々などもいらっしゃるのだろう。今から緊張でお腹が痛くなりそう。
たたたたっ……
そんな時、廊下から慌しい足音が聞こえてきた。どんどんこちらの部屋に近付いてきている。
「誰か来たみたいだな。それじゃあクレハ、俺はひとまず帰る。また話を聞かせてくれ」
ルーイ様は指を鳴らし、その場から消え去った。それとほぼ同時に、こちらに向かっていた足音が部屋の前で止まる。
「クレハ様! クレハ様! リズです」
リズ? 扉を開けると勢いよくリズが抱き付いてきた。いつも礼儀正しい彼女にしては珍しい。顔を覗き込むと、瞳に涙が浮かんでいた。
「ど、どうしたの? リズ」
「クレハ様っ!! 王太子殿下の所へお嫁に行かれるって本当ですかっ……!?」
リズまで……どうしてみんなそんなに気が早いの? きつく抱きついて離れないリズを優しく押し返し、濡れた目尻を指先で拭ってやる。
「あのね……リズ。まだ婚約しただけなの。結婚するとしてもずっと先の話よ」
「クレハ様! 私、クレハ様の侍女になります!!」
「はっ?」
なに……何だって、侍女? なんでそんな急に突拍子もないことを……
「実は前から考えていたのです。本来なら私の様な平民がクレハ様の専属になどなれません。ですが、父が長年ジェムラート家でお仕えしてきた事や、私自身がクレハ様と親しくさせて頂いているのが考慮され、特別に許可がおりたんです。父にも既に了承を貰っています。来週から、このジェムラート公爵家の侍女見習いとしてお仕え致します」
「ちょっと……リズ」
私の知らない所でこんな話が進んでいたなんて……。殿下との婚約に引き続き、頭がついていかない。1人だけ置いてけぼりを食らったような気分だ。
「ですから、クレハ様お願いです。お輿入れの際は、どうか私も一緒に王宮へお連れ下さい。私はクレハ様のお側でずっとお仕えしたいのです」
リズは私の両手を握り締め、涙で潤んだ焦げ茶色の瞳で真っ直ぐ見つめてくる。
「だから……あのね、まだ結婚はしないから」
そのあと何とかリズを落ちつかせ、家に帰って貰うと私はバルコニーへ向かった。今日はさらりとした良い天気だ。手摺りに手をかけて、上を見上げると澄んだ青い空に白い雲がまばらに広がっている。
「エリス来ないかなぁ……」
エリスは天候さえ悪くなければ、2日に一度は必ず来てくれていた。今日もきっと手紙を持って来てくれるはずだ。
ローレンスさんは私と殿下の婚約をご存知だろうか。王宮によく出入りしているらしいので、すでに噂としてくらいなら耳に入っていそうな気がする。殿下にお会いした事あるのかな……
昨日からなんだか体がそわそわして落ち付かない。じっとしていられないのだ。殿下との婚約なんて重大事を伝えられたから動揺しているのだろうか。
姉様とルーカス様の婚約が決まったのは、姉様が9歳の時だ。いずれ自分にもそんな話が来るのだろうかと、ぼんやりだが考えてはいた。だとしても、私の場合はもっとずっと先だと思っていたのに……
私は1日中バルコニーをうろうろしてエリスを待っていた。しかし……結局その日、あの赤い美しい鳥が訪れる事は無かった。
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