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すちはスーツの襟を正しながら玄関のドアを開けた。
後ろから追いつくようにしてみことが出てきて、ふたり並んで歩き出す。
「今日…会社、絶対いろいろ言われるよね…」
「うん、まあ……俺も覚悟はしてる。何とかなるよ。」
「…うん」
少し頬を染めながらも、みことは笑ってうなずいた。
オフィスに入ると、すちが顔を見せた途端、ざわっとした空気が走る。
同僚たちはあからさまにすちを意識し、数人がこそこそと会話を交わしていた。
「マジだったんだな、あれ…」
「しかも、酔った彼氏を抱っこして、キスまで……!」
チラチラと視線を送ってくる人たちに、すちは無言で応じた。
それ以上でもそれ以下でもなく、凛とした表情で自分の席へ向かう。
すると、
「おはようございますー……」
「……って、あら、すちくん」
数人の女性社員が、すちのデスクに集まっていた。
「懇親会のときの彼、すごく可愛かったですね〜。あれ、酔ってたんですか?」
「『抱っこして』って甘えてたの、あれ見てびっくりしましたよ〜!」
「まさか、あんなにベッタリなんて……あのすちくんが、甘々になるなんてねぇ?」
すちは手元の書類をパラパラとめくりながら、ふと一瞬目を細めた。
「……酔ってたんで。ふだんはあそこまで甘えてこないですよ」
「へぇ〜? でも、口にキスまでしてたって……ねぇ?」
「……人の恋愛事情、そんなに気になります?」
静かな声。でも冷ややかな響きが、その場の空気を一気に凍らせる。
「そ、そんなことないですけど……っ、ちょっと羨ましいだけ、です……」
「すちくんって、隙がないのに……ああやって甘やかすんだ、って」
「……惚気るつもりはないですけど、俺の恋人は……可愛いですから」
不意に顔を上げて、いつになく柔らかい笑みを浮かべるすち。
それが逆に、女性社員たちの嫉妬心を強く刺激した。
「ねぇねぇ、聞いたよ〜?懇親会の時、甘えんぼだったって〜?」
そう言って、同僚のひとりがにやにやと笑いながら席にやってきた。
「えっ……な、なにそれ……だ、誰から……」
みことは顔を真っ赤にして俯いた。
「だって!社員さんが言ってたよ。『お酒入った途端に“抱っこして〜”って可愛かったんだよ〜』って!」
「あと、彼氏さんにずっとくっついてて離れなかったって」
「う、うそでしょ……最悪……」
「……っていうか、それって……惚気って言われても仕方ないやつ……」
「でも可愛かったって評判だよ?」
「普段穏やかっぽいのに、ギャップ萌えって」
「そ、それも恥ずかしいですってば……!!」
みことは両手で顔を覆って、机に突っ伏してしまった。
でもその頬には、ほんのりと嬉しそうな赤みが差していた。
互いに、少しずつ受け入れられていく空気。
誤解や驚きはあっても、そこには少しずつ、理解と尊重の芽が育っていこうとしていた。
みことはデスクに戻り、書類に目を通していた。
その時、同じ部署の吉村がふとみことの首筋に視線を止めた。
「みことくん……それ、どうしたの?」
首筋にうっすらと残った赤い痕。目立たないけれど、確かにそこにあった。
みことは一瞬ハッとし、視線を逸らす。
「えっと……大丈夫です、気にしないで下さい…」
だが、吉村はそんな返事を簡単には受け入れなかった。
「いや、気にしないなんて無理だよ。これ、ちゃんと隠さないと……」
そう言うと、バッグからコンシーラーと小さなブラシを取り出した。
「動かないで。すぐに塗ってあげる」
みことは恥ずかしそうに首をすくめながらも、じっとしていた。
吉村の手は優しく、丁寧に痕を隠すようにコンシーラーを重ねていく。
「もう、大丈夫。これで見えないよ」
みことは少し照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、吉村さん……」
吉村はほんの少しだけ笑みを返し、真剣な眼差しで言った。
「何かあったら、いつでも言ってね。無理しないで」
みことの心は少しだけ温かくなり、安心感が広がった。
その夜。
夕食を終えたあと、みことはソファに寄りかかりながら、今日あった出来事をぽつりぽつりと話し始めた。
「……あのさ、今日ね。首の痕、職場で吉村さんに気づかれちゃって」
「……っ」
すちはさりげなく手を止め、視線をみことに向けた。
「コンシーラーで隠してくれてさ。すごく丁寧に塗ってくれた……」
その瞬間、すちの眉がピクリと動いた。
「……塗ってもらったの?」
「う、うん……だって自分じゃ見えにくいし……」
みことは気まずそうに笑う。
しばらく沈黙した後、すちはぼそりと呟いた。
「……次からは、俺が塗る」
「え?」
「職場で他の人に触られるの、やっぱ嫌だ。」
すちの声は淡々としているけれど、確かに熱があった。
みことはその言葉に、目を丸くして――やがて、ふっと柔らかく笑った。
「妬いてるの?」
「……そりゃ、妬く」
「ふふ、かわい……じゃなくて、ありがとう。じゃあ……明日からお願い、ね?」
みことが甘えるように寄り添うと、すちは腕を回してそのままぎゅっと抱きしめた。
「……俺以外に、そんなとこ触らせないで」
「うん」
みことはすちの胸元に顔を埋め、心からの安心を感じながら、小さく頷いた。
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翌朝。みことはベッドの端にちょこんと座っていた。シャツの襟元を少しだけ開いたまま、じっと鏡の前で待っている。
「動かないで、もう少しだけ……」
すちは落ち着いた声でそう言いながら、指先でコンシーラーをぽんぽんと馴染ませていく。頸のラインをなぞるように触れるその手は、まるで羽のように軽く、それでも確かに熱を残す。
「ん……っ」
みことの唇から、ふと甘い吐息が漏れた。自分でも驚いたように目を丸くし、顔がじわっと赤くなる。
「……そんな声、出されたら……」
すちの手が止まり、視線が鏡越しに合わさる。お互いの頬が、ほのかに紅く染まっていた。
「……だ、だって……すちが……やさしいから……」
「これは朝の支度なんだけどな……ちゃんと仕上げなきゃ、外に出せないから」
そう言いながらも、すちは笑みを浮かべてもう一度、やさしくコンシーラーを馴染ませる。その指先が触れるたび、みことの表情は少しずつ緩んでいく。
そして最後に、すちはそっと額にキスを落とした。
「はい、完璧。今日も一番かわいい、俺の恋人。」
みことは顔を真っ赤にしながらも、照れ笑いを浮かべた。
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