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じっ様と炭猿さまが好みすぎて……『炭猿さまぁぁっ』となったのはいい思い出です。 …………嘘です。思い出ではなくて今の私の現状ですね。今も脳内で転がり回っています。 あぁ、妖怪に会ってみたい……
その時代にすっと溶け込んだような筆致にくわえて、頭の中に鮮明なイメージが浮かんでくる表現、見事です!短いストーリーながらも登場人物も個性溢れてて好きです✨
「こりゃあいい。てめぇを収めるにゃあ、ここじゃ手狭だと思ってたんだ」
床板を蹴り、一気に外へと躍り出る。素足のまま砂地をすべり、再度左手で脇差の鯉口を切って逆手持ちに柄を握った。
眼前に構えた刃が炭猿を映した瞬間、その刀身がぎらりと閃光を迸(ほとばし)らせる。
光に、炭猿が歯を剥き出して威嚇の呻きを発した。
「お゛まえ、ぃや゛だ……ぉ゛ま゛えも、そのがだな゛もっ! い゛ゃだっ!!」
「そう言うなよ、寂しいじゃねぇか。とはいえこの腕も──おめぇが嫌いらしいがな」
「ぐる゛な゛ぁ゛っ!!」
呼応するように男の右腕が大きく脈打ったのと同時に、男は力強く砂を蹴る。それに脅威を感じたのか、炭猿はだくだくと血が流れ続けたままの手を庇うようにもう一方の腕を振るい、男を横薙ぎにしようとその目を血走らせた。
その甲斐もなく、無傷だったはずのその腕も、あっさりと剛毛ごと切り落とされる。
声にならない悲鳴をあげて血をまき散らし、床間に転がった炭猿の騒音に、男は満足した様子で目を細めた。
「二枚目。これなら全身いけたろう」
わけの分からないことを言いながら軽く呼吸を整えた男の姿を、炭猿はもはや怯えた顔で見る。それをどこまで感じているのか、男はわずかに哀れみさえ孕んだ目で、荒い呼吸が漏れる方向を見遣った。
「恐ろしいかい。それとも得体が知れねぇと思ってんのかい。なんのこたぁねぇ、わしのこの腕も、化け物でできてるってだけの話だ」
袖をまくり上げ、肩まで腕を晒す。手の甲だけを見る分にはただ受肉しただけとしか見えなかった義手は、黒ずんだ木目もそのままに、男自身の二の腕と完全に融合して生々しく鼓動していた。
「この腕に使われた木は元々、どこぞのご神木だったらしいんだがな。可哀想に、おめぇさんみてぇな化けモンに騙された連中に、あっさり切り倒されちまったんだとよ。それがなんの因果かわしの義手になったのを機に、わしを小間使いかなんかのようにこき使いやがるんだ。ご丁寧に、それを言いに夢枕に立った土産にと、こんな刀まで寄越してな」
左手の脇差を眼前に構えると、また刀身が光る。
「こっちに姿を映してから、太刀のほうで化けモンを斬る。そうすることで、おめぇさん方を現世から消すことができるってぇ妙な対の刀だ。どこのどいつが打ったかも知れねぇ妖刀を、神木たぁ名ばかりの、恨みを持った化けモンが振り回してんのさ。そりゃあ怖がって当然だ。だが」
腰を低く構え、目元の温度を引き下げた男が炭猿へと太刀の切っ先を向けた。
「猿と呼ばれる畜生が人を食らった罪は、泣いて怯えたくらいじゃ許せるもんじゃねぇ」
「あ゛ぁああ゛あアあア゛ァ゛あっ゛っ!!」
全身を襲う殺意に、炭猿の全身の毛が逆立っていく。死が目前に迫る恐怖に抗うように掠れた声で精一杯の咆哮を上げた妖魅(ようみ)は、床間を踏み抜くほどの踏み込みで男に飛びかかった。
「すみ゛を、すみを゛っ、よごぜっっ! どくをまいた、おまえらがっ! だがらすみを……!!」
「人様に頼み事をしてぇんなら、もうちょっと言葉を勉強してからするんだったな。──なにを言ってんのか、皆目(かいもく)見当もつかねぇよ」
生臭い息が間近にかかった瞬間、男の太刀が一閃する。
姿が見えていないとは思えぬほど的確に首を切り落としたはずのそれは、しかし炭猿から血しぶきを上げさせることもなく、その肉体を捻るように圧縮し、急速に太刀へ吸引した。
次の瞬間刀身から、風に煽られた一巻きの絵巻物が現れる。
それがするりと完全に抜け出した後、男は納刀して歩み寄り、こともなげに拾い上げて月明かりにその書面を改めた。
「炭猿。毒を食らって死んだ猿の化け物。……はぁ、こんな姿をしてやがったのか。なるほどなぁ。炭を欲しがってたのは、解毒のためか。猿でも炭を食えば毒を消せるって知ってるのはすげぇもんだ」
先ほど自身で始末したとも思えない、感心した様子で炭猿の絵巻物を眺める男の視界の端に、もはや傾きかけた家の中からほうほうの体(てい)で抜け出してきた村長が映る。こんなものを見ている場合ではなかったと慌てて絵巻物を放り出した男は、村長の救助に駆け寄った。
その右腕は、すでに木偶へと戻っていた。
「貸本屋、炭猿は。炭猿は死んだのか」
「死んだとは言えねぇ。どっちかって言やぁ、あの中で晒しもんになってんのさ」
両腕と肋(あばら)を負傷した村長を負ぶさって移動し、薪割り用の切り株の上に腰を下ろさせる。投げ出していた絵巻物を再度手にして村長の元に戻った男は、その書面を広げて見せた。
そこには炭猿の全身絵と正体、そして村人たちを襲う恐ろしい姿が描かれていた。
「こいつぁ、いったい」
「この腕だか、刀どもかの仕業だ」
男は疲れた様子で息を吐く。
「こいつで首を落とした化け物は、理屈は知らねぇがこうして絵巻物になっちまう。ただわしに分かるのは、化け物は正体さえ分かっちまえば怖くねぇこと。それとこいつらが化け物どもを絵巻物にして、人間みんなに、こいつはこんな間抜け面をしてやがるんだと言いふらしたがってるってことだけだ」
「は……、ははっ。 っ!」
こき使われる側はたまったもんじゃねぇと口をへの字に曲げた男に、村長はしばし呆然としたあと、次第に眉尻を下げ、こみ上げるように笑ってみせた。
しかし胸の痛みで引き攣ったのか、咄嗟に細く息を吸って顔をしかめたその表情に、男は困ったように苦笑する。
「馬鹿だなぁ。肋が折れてるかもしれねぇんだ、笑うんじゃねぇよ。──それに今晩、わしらがどこで夜露を凌(しの)ぐべきか、それを考えるのが先決だ。できりゃあわしのこの腕のこたぁ、あまり知られたくはねぇしなぁ」
「なに、左腕一本でも大立ち回りを演じたと言ってやりゃあそれでいい。どうせどいつもこいつも、炭猿の様子に聞き耳立てていやがったに違いねぇんだ。そのうちあいつの声がしねぇことに我慢しきれず、誰かが様子を見に来るさ」
「骸(むくろ)がねぇのはどう話す」
「化けモンの骸くらい、霧になって消えてもおかしかぁねぇや」
「……派手に祭り上げられるのは勘弁してぇとこなんだが」
「そりゃ無理だ、諦めろ。本当は祠(ほこら)にでも祀(まつ)りてぇくらいなんだ」
「なにを馬鹿言いやがる」
肺に力を入れないようにかニヤニヤとした笑みを浮かべる村長に、男は肩を竦める。その一方で、少なくとも再会の瞬間には別人に見えた人物が、かつて見慣れた表情と物言いを取り戻したことは喜ぶべきかと、密かに唇を吊り上げた。
──了.