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「思うに、お前の父は虎になってしまったのではないか?」
虎の姿をした李徴がそう問うてくる。
確かにそうかもしれない。
とても危険な人食い虎だ。
みんなみんな食べてしまう、きっと心が虎だから、罪悪感もないのだろう。
ふと、山月記を思い出す。
父と比べると、李徴はずっと立派に思えた。
虎になった後も詩文を捨てられなかったのは父と同じだけれど、父のように作品のために人を食おうとはしなかった。
しかも、虎になった後も妻と子の心配をしていた。最後の最後の一言だけれど、それでもわたしの父よりはずっと気高く、立派だった。
わたしは虎に身を委ねる。
虎はそっとその大きな腹を貸してくれた。
ぐるると、唸って、息を吹く。
かじったりしない、優しい虎だ。
でも、いつまでも優しくはないんでしょう?
時が経って、心のすべてが虎になったら、わたしを食べてくれるかな。
ねえ、李徴。
わたしも虎になりたかったよ。
このままずっと学校に行かずに、誰とも関わらずに、小説のことだけ考えていたかったよ。
小説のことは嫌いだけれど、それでも素敵な小説というのもあって、そういうものをたくさん読んで、自分でも書いてみたかったよ。
そして、ろくに何も書けずに虎になってしまいたかったよ。
「やめておけ」
虎が、李徴が続ける。
「人と交わり、師を見つけて研鑽せよ、恥を忍ぶのだ。虎になどなるな、君は人のまま詩人となれ。」
「書きたいものがあるのだろう?」
書きたいもの、わたしが書きたいもの。
ああ、確かにある。
今、読んでいる『メイドオブオールワーク』みたいな真に迫る話をわたしも書きたい。
「そして、何にもなれぬなどと、わけのわからぬ事を言うな。」
「君は何にならずとも、すでに君であるのだから。」
「嫌いながらでも構わぬ、ただ己を愛すがいい。」
その後、しばらく虎と会話をしたけれど、今となっては覚えていない。
でも、これでいいのだ。
頭では忘れても、それは思い出せないだけで、ちゃんと身体に残っているから。
これは、もう小説なんかに食わせない。
誰にも語らず、語られない、わたし自身なのだ。
その翌日、わたしは学校へ行った。
クラスメイトに心配され、先生に心配され、Kに心配された。
こんなにたくさんの人に話しかけられることなんてなかったので、こそばゆかったのを覚えている。
しばらくして先生に呼び出された。
事情聴取というやつだ。
家の事は伏せておきたかったけれど、職員室にある小部屋で色々聞かれるうちに、つい事情を話してしまった。
怒られるかと思ったけれど、意外にも先生は怒ったりしなかった。
力になりたいから一緒にどうするか、どうしていきたいかを考えようと言ってくれた。
どうやら、外の世界にはまともな大人もいるらしい。
何も解決していないのに、気が楽になるのは不思議だった。
その翌日あたりから、わたしの人生は少し面白くなった。
K曰く、人生が面白くなったと言うよりは、わたしの方が面白くなったらしいけれど。そんなことはない、絶対にKの方が面白い。
だって、Kは中学生ライトノベル作家になった。
あの『メイドオブオールワーク』を書いたのはKだったのだ。
その事実にわたしは嫉妬した。
羨望と嫉妬が激しく心を駆け巡り、もう虎になってしまいそうだった。
しかし、わたしは虎にならずに済んだ。
なぜなら隣の席の男子が『メイドオブオールワーク』を馬鹿にしたからだ。
こんな小説、小学生でも書けるぜ!
中学生らしい小馬鹿にした態度にわたしは瞬間湯沸かし器のごとく沸騰し、憎悪のすべてを拳に込めて、殴った。
「お前が小説を語るんじゃねえ!!」
それで一週間の停学になっているのだから、笑えない。
Kは笑うけれど、本当に笑い事ではなかった。
それからは大きな問題も無く高等部に進んで、今に至る。
問題がないとは言ったけれど、うちの家庭は崩壊したままだ。
義母とはドライな関係が続いているし、腹違いの姉はゲーム会社に就職して上京したきりだ。
小説もいくつか書いてみたものの、まだうまくはいっていない。
恥を忍んでKにも見てもらっているのだけど、どうにも感情が先行してしまって、読者を置いてけぼりにしてしまう。
それでも、傾向と対策を繰り返せば見えてくるものがある。
少しずつ、前に進むしかないだろう。
「君は、本当にこれを公開するつもりなのか?」
今日も、夢の中で虎が言う。
いやいや、絶対面白いんだって。
わたしはもう一度、新作のタイトルを読み上げる。
『おっす! わたし李徴! 小説投稿サイトでトップランカーを目指すんだ! 前世では嫉妬に駆られて虎になっちゃったけど、今世では嫉妬なんかに負けないんだから!』
虎が言葉に詰まっている。
気持ちはわかるけれど、諦めて欲しい。
TS転生メスガキモノで作家属性つきというのは新しいのだと、何度でも力説してみせる。
しばらくして、虎はしぶしぶ折れた。
やった。我、許可を得たり。
ああ、これは復讐だ。
あの父親の小説が本になることはないだろう。
でも、万が一。
億が一にも単行本でも出そうものなら、圧倒的な売り上げで正面から叩き潰してやる。
誰も犠牲にしなくても、面白いものは書けるのだと、証明してやるのだ。
わたしは何にもなれぬまま。
復讐心に身を委ね。
たまに虎の夢を見る、女子高生として生きている。