「宗近匠がお弟子であったというのは、真(まこと)でしょうや?」
「あん?」
艶やかな金髪を揺すった器量よしの娘が、静水のように碧い眼を好奇心に輝かせ、ぐいと身を乗り出してきた。
本名を藻女桜(みずくめのさくら)と言ったか。
麗しい狐娘、もとい九尾(ここのお)を持つ大妖怪の末裔殿だ。
ところは春秋屋(みのりや)の奥座敷。 本日は定例の、刀剣鑑賞の座を設けてる。
緋毛氈(ひもうせん)を敷いた室内には、刀枕が等間隔で置かれ、これを利用する尤物(ゆうぶつ)が幾口(いくふり)か。
定例の座とは言うが、参加者は毎度のこと数えるほどで、顔ぶれはいつも決まってる。
此度(こたび)は当の娘っ子が一人(いちにん)。
前回はたしか、大将のツレも参加していたっけ。 なんでも、後学のためとの由(よし)だった。
「宗近? 宗近なぁ……?」
「三条小鍛冶」
「おう知ってるぜ、五剣の。 あとはほれ、お前さんの差料(さしりょう)……、コイツ拵えたお人だろ?」
「えぇ、左様で」
「生憎(あいにく)と弟子はとらなかったんだぃ。 こちとら生臭(なまぐさ)なもんで」
手元でぞんざいに扱った小狐丸が、しかしどうにも床しい潤みを燦燦と撒いた。
百事意のごとく取り回すと言えば聞こえは良いが、単に不躾(ぶしつけ)な性分が表れてるだけで、あんまし人さまに勧められるような鑑賞法じゃない。
開け放たれた障子の向こう、庭の一隅(いちぐう)で香るニオイバンマツリの花片に、折りよく昇った月の明かりがうすく差していた。
「“稲荷明神の感応を蒙(こうむ)りて、天下守護の剣を仕(つかまつ)らん”か……」
かの謡曲に寄せて唱えてはみたが、なるほど。
ただいま賞翫する一刀を見ると、切先に落ちた月影が刀身に薄白く流れ、玉縁に叢雲のような乱刃(みだれば)が広々と遊(すさ)んでる。
「人の考える事とは、まこと……」
「人間さまに都合のいい御噺(おはなし)ってのぁ、だいたいそんなモンさ」
例えば、暴虐の限りを尽くした非道なる大妖怪の物語。
例えば、神話から通じる人代(ひとのよ)成立の物語。
都合と申せば然(さ)もありなん。
それらは人間の英雄譚や崇高を謳(うた)う上で、一向に欠かせぬものだろう。
「まぁ大事(でいじ)なのは、真贋を見る眼なんじゃねぇのかね?」
「太刀と同じく?」
「そうそう」
「これは?」
視線を漫(そぞ)ろに遊ばせた娘っ子は、ズラリと居並ぶ刀剣の中に、見慣れぬ一口(ひとふり)があることに気づいたらしい。
相も変わらず、なかなかの逸品だ。
重量の配分がいささか過ぎたるものの、その重みがすなわち物切れの良さを表すようで、じつに頼もしい。
「長義。 備前の長船」と応じると、“ふんふん!”と前のめりな返事があった。
「大将の腰物、勝手に持ってきた」と明かすと、“ふわわ!?”と愛嬌のある反応があった。
「叱られませぬか?」
「大丈夫(でえじょぶ)よ。 それ、あのおヒトにやったの俺だしな、元々」
「なんとも豪胆な……」
そこに、当店の若女将が茶菓を持参してくれた。
苦味の程よい抹茶に、彼女の故国に由来するという黒豆をふんだんに使った大福。
縁側を見ると、今日も今日とてふわふわと柔い気色の女将が、のんびりと湯呑を傾けていた。
「近頃はどういった?」
「あん? まぁ、色々な?」
菓子をチビリチビリと齧(かじ)る娘っ子の問いかけに、懐紙を取り出しつつ応じる。
腰物の拝借料にしちゃ、ちと子どもだましが過ぎるか。
まぁいいや。 泣く子も黙る浄戒の権化なんぞと畏れられちゃいるが、どこか子どもみてぇなあのおヒトのことだ。
「あぁ、そういや海行ったぜ? こないだ」
「ほぉ? 海水浴ですか?」
「いやいや、ボケッと眺めるだけ。大将と」
「は? それは……、楽しかったですか?」
「いやあんまし。 てか後で奥方が怒ってなぁ、なんで自分も連れてかねぇのかって」
大仰な身振りで剽(ひょう)げると、先方はクスクスと笑みを撒き、次いで上品に茶を啜った。
『頼みたいことがあるんだ。 お前さんにしかできねぇこと』
過日を思い返し、そっと愚暗に落つ。
晴れて“本家”御用鍛治を引退し、さてこれからはのんびりと花でも愛でながら暮らそうかと思った矢先のことだ。
大将が直々に面倒事を持ってきやがった。
いや、あれを面倒事と言い切るのは些(いささ)か。
『太刀ならもう打たねえよ? いや、いつかは拵えるかも知んねぇが、今じゃねえ』
割りに合わん話なら蹴る気でいたが、内容を聞く内にまんざら手前(てめえ)と無関係な話でもないことが知れた。
『おういいぜ、ひと肌脱いでやろうじゃねえか』
どこぞの役者じゃあるまいし、そんな風に安請け合いしたのが悪かった。
さても面倒事、まさにその通りか。
言うなれば……、何だろうな?
ちょうど、孫が夢中になって遊ぶテレビゲームに、よく分からず付き合わされる爺さまの気分とでも言おうか。
畑違いの盤上に踏み込むのは、それなりに度胸がいる。
「前々から、お訊ね致したい儀があったのですが」
「うん?」
湯呑をそっと傍(かたわ)らへ置いた娘っ子が、いつになく真剣な表情で切り出した。
こっちの思考が洩れ出た気配はない。
物思いにふける年寄りの態を見て、これは訊きにくいことを尋ねるにはまたとない機会と踏んだか。
その辺のさじ加減と言うか、駆け引きの妙はさすがに怜悧な九尾狐だ。
もっとも、ただちに核心に触れようとする朴訥(ぼくとつ)な具合は、まさに世慣れぬおぼこ娘のそれであるが。
否(いや)さ、この懇談にそんな世知辛いもんを持ち出すのもバカげてる。
茶飲みの友と交わす世間話に、元来形式なんぞ必要ない。
「なんでも訊きなよ? 俺に答えられることなら」
「はぁ、では……」
「おう何ね?」
「世界を了した剣について」
日本刀工の祖という肩書きについては、実はあんまり思い入れがある訳じゃない。
刀剣が戦場で用いられる消耗品である以上、需要が嵩(かさ)めばそれに見合ったより良い品が多く造られる。
何より、今や刀剣とは美術品だ。 まかり間違っても武器じゃない。
なら尚のこと、より美しく・より洗練された品々が、あるいは床の間の万花と添い遂げるべく、世に多く生まれ出(いず)るのは道理だろう。
ただ、こんな俺にも自負がある。
貧しい里の、しがない鍛治屋で終わるはずだった自分に、立身の機会を与えてくれた官の友。
そんな彼のため、我が身を炎に焼(く)べるつもりで日々灼鉄と向き合ったあの頃も。
あるいは“本家”に集う抜山蓋世(ばつざんがいせい)の荒くれ者らと、鬼一口の商談をかわしたあの頃も。
胸ん中の篝(かがり)だけは、ひと度(たび)も欠かしたことはない。
誰かを生かすため、誰かを殺す。
そういった極端な道具を産み出すには、それなりの気炎が必要不可欠だった。
いやもしかすると、行く道に迷わぬよう施した灯火の類だったかも知れない。
そんな自分をしても、娘っ子が呈した先の質問は思いがけず。 トチが狂ったように茶を吹き出すより他なかった。