今にも泣き出しそうな湊の頬にそっと触れ「なんて顔…してるんですか……」
困った顔でそう言った。そして、
「でも………だめ…です……」湊の誘いを断るように返事をした。
シンの言葉に湊の目が宙を泳ぐ。
「……だよな」
薄笑みを浮かべ力なくそう言うと、シンから離れた。
そして、はぁ…と、小さくため息をつきながらその場に座り込み頭を抱え丸くなる。
そんな湊の姿はひどく落ち込んでいるように見えたのでシンは慌てて
「違います!ちょっと待っててください…」
そう訂正すると急いで起き上がり階段を駆け上がって行く。
湊は少しだけ顔を上げ足早に階段を上るシンを目で追う。
すぐにシンは毛布を抱えて降りてきた。
「幾ら暖炉の前でも流石に冷えます…だから……」
そう言って持ってきた毛布を敷き、湊の手を取りその上に座らせた。
そして、湊の前に屈むと目を見つめ
「イヤなわけないです……」
そう言って丸くなっている湊を抱きしめる。
「俺から言わせてください……」
湊の耳元に顔を近づけ
「湊さんが欲しい……」そう囁く。
眉を寄せ、キュッと目を閉じた湊は
「………っ」
シンの背中に腕をまわし、シンの服を強く握りしめた。
幾度となく交わされる口付けに蕩けそうになる。
はぁ…と仰け反る湊の首すじにシンは唇を這わせると夢中になって湊を抱いた。
月が傾き始め分厚い雲がその姿を覆うと輝きが閉ざされ辺りは暗闇に包まれる。
照明のつけていないこの部屋は暗く、揺れる炎の灯りが2つの影を1つになるのを映し出していたーー。
身体を重ねた後、一枚の毛布に2人で包まり長方形のソファーにもたれ掛かるシンに背後から抱かれ湊は身体を預けていた。
シンは湊の髪に…肩に…背中に…首すじに顔を這わせる。愛しい人の肌の感触を確かめるようにそっと唇でなぞっている。そんなシンの動きに湊は身を任せる。
互いに手を取り指を絡め余韻に浸っていた。
絡めた指が離れるとシンは指先で湊の身体をなぞり始める。一旦は静まった湊の鼓動がまた速くなりはじめた。シンが湊の髪に顔を埋めると湊は少し擽(くすぐ)ったそうにして後ろのシンに顔を向けた。虚ろな瞳で見つめてくる湊にすかさず軽くキスをした。それだけでは足りないのか、ゆっくり瞬きをしてシンを見続けているので今度は深く口付けを交わした。再び身体が火照りだした。湊の腕が伸びシンの首に巻き付く。
抑えきれていなかった衝動に再び落ちていくーー。
分厚い雲が抜け、月がまた輝きを放つ。丸く大きな月は空から2人の様子を伺っているように見える。
2度目の交わりが終わった後、横になり抱き合っていた。
シンは湊の細い腰に腕を回し、胸に顔を埋める湊の髪をもう片方の手で優しく撫でる。
シンの胸の中で抱かれながら湊は月を見ていたーー。
毛布の下で足を絡めていることは月には秘密にしておこう。今宵はまだ離れ難いなんて上から見下ろす月には遠すぎて見えないだろうから……。
『どこか行きたいところはないか?』
唐突にそう聞いてきたあの日から湊の様子がおかしいと感じていた。
家に帰るなり考え込むように一点を見つめ悩んでいるようだった。話をしてもどこかうわの空で、聞き返すと引きつるように愛想笑いをしてごまかしてくる。
まるでシンの話など聞いていないみたいだったのに、突然そう聞いてきた時は少し驚いた。
だからその時は軽い気持ちで返答した。それ以降、湊の言動や行動がいつもと違うのは明白だった。いつもならば事が済んだ後恥ずかしがって背中を向けていた湊がシンから離れようとしない。嬉しい反面内心は複雑で甘えてくる湊を可愛いと手離しでは喜べない自分がいた。
何があったのか何度か聞こうと試みたが、さっきのように躱(かわ)されてしまう。
今もこうしてシンの腕の中で留まる湊が何を考え思っているのか聞き出したいところだが…また躱されてしまうのかと思うと聞かないでいるのがいいと判断し、ただ甘えてくる湊に触れることしかできなかった。
しばらくすると、湊の手がシンの腕を強く掴んできた。
「湊さん……?」
掴む手が少しだけ震えているのを感じてシンはそっと湊を抱きしめた。
湊の動きが止まる。なにか言おうと開いた口をすぐに閉じた。眉を顰(しか)め迷っているように見える。そんな湊をあやかすようにシンは湊の髪に口づける。
湊は目を閉じ覚悟を決めたのか、ふぅ…と息を吐くと
「怖いんだ……」
そう言ってシンの胸に頭を押し付ける。
湊の頭に手を添え
「何がですか…?」
優しく聞き返す。「お前が…」そう言ってまたシンの腕を強く握る。
「いなくなったら…どうしようって……」
突然の湊の告白に困惑しながらも
「俺が湊さんから離れるなんてありえませんよ」
心配しなくても大丈夫…そう心の中で呟きながらまた湊の髪を撫でた。
「離れるんじゃない…いなくなるんだ…」
シンを真っ直ぐ見つめ静かに言った。
「それって…?」
そう聞き返す。湊は頷くき今度は深く息を吐き出すと「この前…」とゆっくり語りだした。
店の客にいつも仲良く2人揃って来店する客がいた。1人は湊よりひと回り上くらいでもうひとりは8つ下と歳が離れていた。季節の変わり目には必ず大きな洗濯物を抱えてやってきていた。しかし、半年程前くらいからぴたりと来店する事はなくなった。引っ越しでもしたのかと思ってあまり気にもせずにいたが、先日ふらっと年上の1人だけが店を訪ねてきた。「今日は1人ですか?」と尋ねた湊に泣き出しそうな悲しい顔で頷く姿にそれ以上は聞けなかった。何があったかは聞かなくてもわかった。1人分の洗濯物を持っていたが、お揃いの指輪は外していなかったから。帰り間際、その男性は「もっと色々してあげたかった……」そう呟いた。そして、湊に「大切な人がいるなら今のうちに思い出をたくさん作った方がいい…楽しかった思い出はこれからを支えてくれる。『いつか』は突然訪れるから…」そう言い残して去っていった。
「明日とか今度と先延ばしにしてたら『いつか』はもう、すぐそこまで来てるのかもしれない。そう思ったら居ても立ってもいられなかった。お前とこうしていられるのもあと、どれくらいだろうと考えていたら……だんだん怖くなった…」
湊がそんなことを思い悩んでいたなんて想像すらしていなかった。
「だから急に行きたいところはないか、なんて聞いてきたんですね…。だったらひとりで抱え込まないで話してくれたらよかったのに…」
「話せなかった…順当からすれば俺が先にいなくなる…」
「その時は俺も一緒に…」
すかさず答えるシンに「だめだ…」湊が即答した。
「だから言えなかったんだ…お前ならきっと最悪の答えを選ぶ。仮にも医者を目指しているやつの出す答えじゃない」
「だとしても俺はっ…」
湊のいない世界なんて考えられない。今こうして腕の中にいる湊に触れることができなくなるなら自分がここにいるのいる意味なんてない。だったら迷わず俺は…そんな事を考えていると
「シン…」
湊は首を横に振る。
そんなことを考てはいけない。と、言われた気がした。
「……」
それ以上なにも言えなかった。
「お前の自分に正直で誰よりも真っ直ぐなところが俺は羨ましかった…なのに俺は年上だからと託(かこつ)けて本音を言なくて…自分の気持ちを正直に伝えられずにいた。本当はいつだってお前と同じ気持ちでいたのに…ごめんな…」
「ごめんだなんて…」
「10も離れたお前に甘えるのが恥ずかしいとか照れくさいなんて言ってるうちに歳を重ねて『いつか』になっちまう。これからは少しでもお前を見習って自分に正直になれたら…って」
こうしてシンから離れようとしないのは、湊の正直な気持ちなんだとわかると嬉しくて強く抱きしめてしまう。
「それと…」と湊は続けた。
「お前が進むべき道の選択肢の中に俺は入れんな」
「どう言う意味ですか?」
「これから研修とかでお前は色々な場所に行くだろう?その時はお前がいちばん行きたい場所を選べ。俺の近くだからとかそんな理由で選ぶのは認めない」
「湊さんと離れるなんていやです」
「お前にとって最良の道を選べと言っているんだ。どう言う意味かわかるよな?」
「……」
地方より都心の病院の方が医学を学ぶには最適で最良の選択だ。でも、それは湊から離れて暮らすという事でもある。さすがにその提案には同意できない。
「むりです…せっかく湊さんと一緒に暮らせるようになったのに…」
「永遠の別れじゃねぇだろ。待ってるから。お前が1人前の医者になる日を楽しみにしてる…誰よりも」
「淋しくないんですか…?」
「淋しいよ…でもな、お前が後悔するのだけはいやなんだ。やっぱりあの時…そう後悔させたくない。だから、選択肢から俺を外せ」
譲らない覚悟を湊の中に感じた。
シンは仕方なくそれを快諾する以外はなかった。だから、その打開案を打診する。
「それじゃあ俺のこと、毎日好きだって言ってください」
「は?…ばっ…調子にのるなっ」
シンの開示した策に目を見開き狼狽える。
シンに話したことで緊張が解けたのか湊のその顔は以前の表情に戻っていた。
「俺は毎日でも言えますよ」
意気揚々と言う。
「お前とは違うんだよ…」
「今さっき俺を見習うって言ったばかりじゃないですかっ」
「いきなりお前みたいにはなれねぇっーのっ!」
「じゃあ、キスでもいいです。それともハグの方が……」
だんだんエスカレートするシンの要求に
「ハードル上がってんじゃねぇか……」
湊はため息をつき呆れ顔になる。
そして、お互いに顔を見合わせ笑った。
その笑顔を見てシンは安心した。いつもの湊に戻ったと……。
帰り際、部屋を見渡すとリビングのテーブルの下に何かあるのに気がついた。
ガラステーブルの下の台に籠が置かれ中には星形の紙とペンが入っていた。
『心に秘めた願い事を書いて川に流すと叶うかも』
籠の縁にはそんなメモが貼ってあった。
「水溶紙ですね…」
取り出した紙をみながらシンが言った。
「水溶紙…?」
「水に溶ける紙のことです。例えばトイレットペーパーとか…」
「あ〜なるほど…消える紙か、流れ星みたいだな…」
星にちなんだ粋な演出は、星に願いを…と言ったところだろうか。
ペンを持つとシンは紙に願い事を書いた。
『生涯添い遂げます』
シンの書いた紙を見た湊は
「相変わらずお前は重いんだよ…っうか全く秘めてねぇだろ…」
呆れ顔で苦笑した。
「いいんです。これで…」
書いた紙を見つめながらシンは微笑んだ。
「名前。書かねぇのか?」
紙には名前を書く欄があった。
「もちろん書きます」
そう言ってシンは願い事の下に名前を書いた。それを見て湊はまた、呆れる。
「それは俺の名前だろ……」
シンが書いたのは湊の名前だった。
「そうです。俺の……生涯で愛するただひとりの名前です…」
真剣な眼差しで湊を見つめる。
湊の顔が赤くなる。
「ばか…それじゃ俺の願い事になっちまうだろっ!…………貸せっ」
シンからペンを奪い取ると、湊も願い事を書いてシンには見えないように手で隠した。
「名前は?」
願い事を書き終えた湊に名前を書くように催促する。
「わかってるよ……」
「…?!」
湊も自分の名前ではなく…香月慎太郎と書いた。そして、
「俺が……湊晃が生涯でいちばん愛した、ただひとりの名前だ……」
目を泳がせ恥ずかしそうにそう言った。
「湊さん……」
シンは嬉しくなって湊の手を取りにっこりと微笑むと、湊はますます恥ずかしくなってシンから顔を背けた。
こういうところも可愛いくて仕方ない。でもすぐに、ん?とした顔をして
「愛した?過去形ですか?」
シンの突っ込みが入る。
「はっ?……細かいことはいいんだよ…」
「よくないです。現在進行系に訂正して言い直してください」
「っるせぇ、そう何度も言えるかっ」
「言ってくださいよ湊さんっ」
「言わねぇよっ!!」
「もうっ!素直になるんじゃないんですかっ?」
湊は昨夜シンに話した事を少し後悔した。
「本当にしつけぇなっ……わかったよ…」
あまりのしつこさに根負けした湊は息を整え真顔になる。
「愛してるよ…シン…世界でいちばん……」
そう言ってみせた。
「俺も愛しています。全宇宙でいちばん」
シンが言い終わるや否や
「めんどくせぇ…」
「は?なんでですかっ!」
「人が勇気振り絞ってもう一回言ってやったのに、全宇宙とか変なマウントとるんじゃねぇっーのっ!!」
「マウントなんかとってませんっ。本当のことを素直にっ!言っただけですっ」
「はいはい!わかったから!!……はあぁ…俺は当分お前みたいになれそうにないわ……」
湊は諦めた様子で頭を搔いた。
外に出ると庭先に小さな川が流れている。川緑に2人並んで屈んだ。
顔を見合わせると、さっき書いた紙をそっと水面(みなも)に浮かべる。すると水に濡れた紙に『星に祈りを』と文字が一瞬浮き上がり、ぱらぱらっと紙は溶けて消えていった。その様子を見ていた湊とシンは自然と手を繋ぎ全て流れて消え行くのを見届けた。
「湊さん…」
「ん?」
「なんて書いたんですか?」
「……教えねぇよ」
最後まで湊は願い事をシンには見せてくれなかった。
「全然素直じゃねぇ…」
そう言ってシンが苦笑する。
『いちばん近くで見ていたい』
湊の書いた願い事。
シンと一緒にいられるだけで楽しくて仕方ない。笑って泣いて喧嘩して…どんな時だって大切な思い出になる。例えその日が訪れたとしても泣きながら笑って今日の事を思い出すだろう。忘れられない大切な思い出が出来た今日という日を…。だから、その日までいちばん近くでシンを見ていたい…見ていて欲しいと願った……。
「さて、帰りますか…」
車に乗り込みエンジンをつけた。
楽しかった思い出を詰め込んだ車は家路に向かって走っていく。
人は来たるべき日に向かって歩いている。
それがいつなのかはわからない。突然その道が遮断された時…進むべき道がわからなくなった時は思い出せば良い。記憶の中にある楽しかった思い出を。その記憶が糧(かて)になりその先の進むべき道を造り、導いてくれるはずだからーー。
おわり
【あとがき】
最後まで、お付き合いいただきありがとうございました。
あとがきで書きたいことがたくさんあったのですが…あり過ぎるので省略します笑
それでは…また。
2025.1.21
月乃水萌
コメント
10件
もちろんみなしょーの2人のお話という意味でも素敵だけど、それ以上のメッセージが込められてる感じがすごく感動でした!!🥹
今回もめちゃくちゃ良かったです! 湊さんが考えてしまうのんもわかる🥺いつ何がおこるかわかんないので後悔のないよーにしないとって思いました☺️また楽しみにしてますね♡♡
めちゃくちゃ良かったです!! その日が来てしまったら、私は全身の水分が無くなるぐらい泣くと思います。笑笑