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リオンが行きたい行きたい、絶対に行くと声も高らかに宣言していたビール祭りの初日を翌週に控えた日の午後、今日はギュンター・ノルベルトとその友人と一緒に家で食事をすることになっていて、その準備の買い出しに二人で午前中に出かけたりしていたが、ゲートルートでランチを食べた後に自宅に戻ってきていた。
ビール祭りが始まるのは毎年九月の末からだが年々暑くなっているなぁとリオンが暢気に呟き、ウーヴェも確かに暑くなっていると返し、スーパーで買い求めた野菜やベーコンなどを冷蔵庫に無造作に放り込んでいく。
その作業を終えて夕食の支度まで時間があるからテレビでも見ようとウーヴェがリオンを誘いリビングのソファに腰掛けて最近見ることが多くなったテレビを二人並んで見ているが、番組のCMを二つほど見た頃にリオンが良しと小さく呟いたのをウーヴェは気付かず、午後のバラエティ番組を見て少しだけ笑ったりしていた。
「……オーヴェ、ちょっと真面目な話があるけど良いか?」
「?」
リオンが内心の緊張を声に少し滲ませながらウーヴェの意識をテレビから奪い取った後、小首を傾げる伴侶に向かい合うようにソファの上で胡座を掻いて座り直すと、太い笑みを浮かべる。
「明日、再就職の面接に行ってくる」
「明日? また急だな」
「ああ。ちょっと悩んでいたから言うのが遅くなった。だからさ、刑事だった時みたいにまたネクタイ結んで欲しい」
刑事として働いていたときのリオンは服装にはあまり拘りは無かったがいつからかネクタイをするようになり、しかもそれを毎朝ウーヴェに結んで貰っていたのだ。
そう言えばそうだったとわずか半年近く前なのに随分と昔の出来事のようにそれを思い出したウーヴェが苦笑するが、次の就職先はネクタイが必須かと笑うとリオンの蒼い目が斜め上を見上げた後、分かんねぇと朗らかな声で返されて再度苦笑する。
「多分必須かなぁ」
「そうか。じゃあ仕方が無いな」
「へへ。オーヴェにネクタイ締めて貰ったら背筋が伸びる感じがするんだよなぁ」
刑事として精一杯働いてこいと毎日伝えてくれたが次の職場でも同じようにして欲しい、朝から力を分け与えて欲しいとウーヴェを正面から見つめると、きっとそうしてくれるお陰で俺はお前の大切な人を守れるはずだと答え、顔中に疑問を浮かべる伴侶の頬に手を宛がう。
「どういう意味だ?」
「うん。明日面接に行くのは……バルツァーの本社だ」
先日、レオポルドやギュンター・ノルベルトに就職をする話をした事を覚えているかと問いかけて驚きに見開かれるターコイズ色の双眸を眼鏡越しに見つめると、あの時父さん達に就職の斡旋を頼んだのかと問われ、俺が頼んだのは時間に融通の利く仕事はないかと言う事だけと答え、ちゃんと質問に答えるからとテレビのスイッチを切る。
「時間の融通?」
「そう。就職すればずっと傍にいられない。でもお前のことはちゃんと支えたい。だから、オーヴェのクリニックが休みの時にはそれに合わせて俺も仕事を休む」
「……でも、リーオ……」
「最後まで話を聞け、オーヴェ」
己の心身を慮ってお前の行動に制限が掛かるのは嫌だと双眸に強い躊躇いを浮かべるウーヴェの唇に指先を宛がって封をしたリオンは、職人にはなれねぇ、頭を使う仕事も向いてない、やはり一番向いているのは身体を動かすことだが刑事という前職を役立てようと思えば警備会社に勤務するのが一番だと思う事を淡々と伝えると、ウーヴェがリオンの指を掴んで口から離させるが、封じられた口を開くつもりは無いと言うようにその手に手を絡める。
「ただ、警備会社でそんな融通が利くかどうかは分からない。そう思っていたらヘクターから連絡があった」
「ヘクター?」
「そう。兄貴の秘書。明日面接に来いってだけの電話だった」
面接次第ではどうなるか分からないがとにかく明日行ってくると目を細め、就職が決まったらお祝いをしてくれと笑うとウーヴェの目が瞠られた後、割と長い時間驚きの表情のまま心の中でどんな言葉が交わされたのかは分からないが、納得したような穏やかな表情に切り替わる。
「そうだな、祝いをしないといけないな」
「ダンケ、オーヴェ。……コネで入ったと言われるかも知れねぇけどさ、親父や兄貴のボディガードになれる、そうなればオーヴェの大好きな二人を仕事で守れるんだ」
バルツァーに就職するのに会長の末息子であり社長の弟であるウーヴェの伴侶という立場はうってつけのもので、縁故関係で入社するのを良しとしない人達からすれば後ろ指を突きつけたくなるだろうが、それ以上に己が愛する人が大切にする人達を守れる事実がリオンにとっては重要だった。
その思いを隠さないでこの時ばかりは興奮に顔を赤らめるリオンにウーヴェは何も言えずにただ見つめているだけだったが、いつだったかリオンがレオポルドの護衛をした事を思い出し、あの時本当は真っ先に伝えなければならない言葉があったがまだ父や兄との間に溝があった為に出来なかったことを思い出すと、指を絡めていた手を顔の前に持ち上げたウーヴェは、そっと敬うようなキスをリオンの手の甲にする。
「リーオ、どうか二人を……」
助けてやってくれ、命の危機にさらされることなどそうそう無いだろうが万が一の時には守ってくれと告げて再度キスをすると、お前の選択を尊重する、だから明日は面接でお前の優秀さを採用担当の人に見せてこいと口元に笑みを浮かべ、全幅の信頼を置いている顔で頷く。
「……ああ。行ってくるな」
「ああ」
以前までならば公私混同になるだの父や兄に護衛が必要かだのと反論をしていたウーヴェだったが、過去からの問題も乗り越えた今、父や兄の身を案じる己を素直に出すようになっていて、それに気付いたリオンが頷きつつウーヴェを抱き寄せると背中に回った手がぎゅっとシャツを握りしめる。
「まだ就職が決まったわけじゃねぇけどな」
「そうだな……でも、お前なら、大丈夫だ」
刑事として働いていたお前には人を護衛するノウハウを持っているし、万が一何かがあっても元の同僚との関係が切れていない為に何かと動きやすいだろう、そのあたりもきっと父や兄は見越しているに違いないと笑うウーヴェにリオンも同意し、だから明日の面接にネクタイをしていく事を伝えるとそういうことなら喜んでしようとウーヴェも笑う。
「面接なんて久しぶりだから緊張する」
「別に取って食われるわけじゃ無いから大丈夫だ」
不安を訴えるリオンの手を逆に引き寄せてついてくる身体をしっかりと抱きしめたウーヴェは、もしも食われそうになったらすぐに連絡をしてこいとリオンに対して甘い顔を見せると、きゃーとリオンの口から歓声が上がる。
「ダンケオーヴェ、愛してる!」
「……無事に就職が決まれば良いな」
「うん」
その就職先がまさかのバルツァーだとは思わなかったがと素直な感想を口にするウーヴェの額に額を重ねたリオンが会社を一目見て親父や兄貴のすごさを実感したことを衒わずに口にすると、ウーヴェの手がリオンの頭を抱えるように回される。
「オーヴェの甘やかし方もすごいけどな」
「…………」
お前の家族はお前に甘い、その言葉をリオンはウーヴェが退院して間もなくの頃から使うようになっていたが、今もまたそれを口にすると、さすがにウーヴェが面白くないのかふんと鼻息を荒くしてしまう。
「それだけ愛されてるって事なんだろうけどなー」
いつだったか特別な子どもとレオポルドがウーヴェを称したことに嫉妬していた己がいたが、もしかするとあの時よりも今の方が嫉妬すべきでは無いかと笑うと、少しだけまた伸びてきたくすんだ金髪をウーヴェが掴んで軽く引っ張る。
「いて」
「うるさい」
「ぃてて。ハゲるから止めてくれよー」
情けない声を上げるリオンに溜飲を下げたのかウーヴェが頬にキスをした後、とにかく明日上手くいくことを祈っている事を伝えて再度額を重ねるとリオンが素直に頷いて礼を言う。
「でも……俺の意見を尊重してくれてありがとうな、オーヴェ」
「……ああ」
「もうちょっと言い合いじゃねぇけど話し合いをしなきゃいけないかなーって思ってたからホッとした」
以前までのウーヴェならば過剰なほどの反応を示しただろうしリオンの行動を己が原因で制限してしまうことに対しても罪悪感すら抱いていただろうが、それを乗り越えてでも尊重してくれるお前は本当に強い男だと笑うリオンにウーヴェも小さな笑みを浮かべ、好きな人から褒められるのは本当に嬉しいことだと笑い出す。
「今日の晩メシさ、すげー美味いの食いたい!」
「そうだな。ポテトサラダを作るから手伝ってくれ、リーオ」
「俺は食べる人だからムリっ」
手伝えと言った途端のその言葉にウーヴェが目を細め、お前の意見は尊重したいが働かざるもの食うベからざるだと言い放ち、リオンの喉元で奇妙な音を発生させる。
「食いたければ手伝うんだな、リオン・フーベルト」
「……むぅ。オーヴェのトイフェル」
ポテトサラダを作る手伝いをしろと言っただけで悪魔と罵られるのかとウーヴェが盛大に驚いた表情を作るが、それはリオン同様にただの言葉遊びの一環だと教えるようにリオンの手に手を絡めていたため、己の言葉遊びに付き合ってくれる伴侶の頬に音を立ててキスをする。
「ダーリン愛してる。だからピクルス抜きのポテトサラダにしてくれ!」
「仕方ないな」
「ダンケオーヴェ!」
手伝いはするがピクルスが入ったポテトサラダは苦手だと嘆くとウーヴェも嘆息混じりに頷き、ギュンター・ノルベルトとその友人を出迎える準備をしようと笑い、立ち上がるリオンの手を掴んで己も立ち上がるのだった。
「今日は何を食べさせてくれるんだ、フェリクス?」
「……今日は、ポテトサラダとハンナが教えてくれたハーブチキンソテーにした」
ノルとその友人の口に合えば良いのだけどと自信なさげに笑って兄を出迎えたウーヴェは、弟の背中をやんわりと抱きしめながらお前の料理は何でも口に合うと笑うギュンター・ノルベルトに微苦笑し、その後ろで同じように苦笑しつつ立っている男に気付いて軽く目を瞠る。
「ノル、友人って……」
「ああ、ヘクターだ」
ウーヴェの頬にキスをして驚く弟に片目を閉じた兄は本社の会長室でヘクターと名乗った男の背中を軽く押し、俺の有能な秘書であり友人でもあるヘクター・グリンデマンだと紹介する。
「先日は案内してくれてありがとう。あと、入院してる時にタルトを持ってきてくれてありがとう。あの時はちゃんと礼を言えなかった」
「……」
入院時の状態を覚えているだろうがあんな状態だったからと伏し目がちに謝罪をするウーヴェの前でヘクターが何とも言えない顔でギュンター・ノルベルトとウーヴェの顔を交互に見るが、恐る恐る手を伸ばしてウーヴェの肩に触れると小首を傾げてウーヴェが顔を上げる。
「ヘクター?」
「……いや、本当に……元気になって良かった」
ギュンターから話を聞いた時は心臓が止まりそうだったが会社で顔を見た時は本当に安心したと、どうしてそれほどウーヴェの身を案じてくれるのか分からない程喜んでくれる兄の友人に驚きつつも頷きもう大丈夫だと笑うと、ギュンター・ノルベルトがいつまでここで話しているつもりだと二人の肩に腕を回す。
「今日はここで食事をするつもりなのか、フェリクス?」
「ノルが、望むなら、ここでも良い」
「……せっかくの美味しい料理も味が分からなくなりそうだ、リビングに行こうか」
ギュンター・ノルベルトの言葉にウーヴェがにやりと笑い返すと兄の目が遠くを見た後、降参と呟きつつ肩を竦める。
「ヘクター、お前が来たがっていたフェリクスの家だ」
「……今何も言わなくても良いだろう、ギュンター!」
話題を切り替えるように友人に笑いかけるギュンター・ノルベルトの言葉にヘクターの顔が僅かに赤くなるが、ウーヴェが小さく笑い出し、大して特徴の無い家だけどゆっくりしていってくれと笑ってステッキをつくと、リビングの向こうの廊下からリオンがひょっこりと顔を出す。
「オーヴェ、チキンが焼き上がったぜー」
「ああ」
リオンの首からキャンバス地のエプロンが掛かっていて兄とその友人が軽く驚くが、友人がヘクターだと気付いたリオンが口笛を吹きつつ姿を見せる。
「何だ、兄貴の友人ってあんただったんだ」
「親しくない人をあんたなどと呼ぶなと何度言えば分かるんだ」
いつも言っていることだが一向に覚える気配がないのはどういうことだリオン・フーベルトと、ウーヴェが目を吊り上げてリオンの耳を引っ張ると悲鳴が上がる。
「ごめんごめんお願い許してオーヴェ!」
「う・る・さ・い!」
「ぎゃー!」
廊下で繰り広げられる騒動を呆気に取られた顔で見ていた二人は、あ、ああ、そうあまり怒るなフェリクス、ヘクターも気にしていないと弟の怒気を和らげるために肩を叩いて宥めさせ、俺も気にしていないとヘクターがリオンに向けて助け船を出す。
その舟に乗り込んで目尻に浮かんだ涙を拭いたリオンだったが、ごめーんと一声放った後、ウーヴェの頬にキスをして仲直りしてくれと鼻を啜る。
「……まったく」
子どものような性格は嫌いではないが子どもじみた言動は嫌いだと溜息を吐いたウーヴェだったが、リオンの頭に手を回して頬に同じようにキスをし、仲直りと囁きかける。
「うん。……ダンケ、オーヴェ」
「ああ」
弟とその伴侶の仲直りを目の当たりにしやれやれと溜息を吐いた年長者二人は、ようこそと笑顔でヘクターに手を出すリオンに本当にお前は騒々しいと苦笑しつつ手を握り、招待してくれてありがとうと礼を言う。
「オーヴェが今日は外の方が気持ち良いって言ってるから、外にセットした」
「それは嬉しいな」
ベッドルームからベランダへと二人を案内し、テーブルセッティングされているそこに座って貰うとすぐさまキッチンへと引き返したリオンは、先程の失態を取り消して貰おうとするかのようにウーヴェの指示に従っててきぱきと動くが、その甲斐もあって程なくしてテーブルには家で食べるには十分すぎるほど豪華な料理が並び、少しだけ窮屈だが四人でテーブルを囲んで座っていた。
「今日の料理が何か分からなかったから好きなワインを飲めるように持って来た」
全員がテーブルに着いた時、ギュンター・ノルベルトが差し出した袋を受け取ったウーヴェが驚きつつ兄の顔を見れば何でも無い事のように笑ってさあ選べと促すが、横合いから覗き込んだリオンが呆れた様に空を仰いでしまう。
袋の中には三本のボトルがあり、赤と白のワインと食後に飲むつもりのバーボンが入っていて、今飲みたい気分ではないのなら好きな時に飲めば良いと笑う兄に何も言えなかった弟だったが、今は用意してあるビールを飲もう、バーボンは食後で良いかと問いかけ、もちろんと返されて何とも言えないもやもやを胸の奥にしまい込むとさぁ食べようと声を掛けるのだった。